第16話 黒猫と虎と敬称
黒族の集落の少し開けた場所、そこには老若男女様々なゴブリンが所狭しと集まり蠢いていた。
それを遠目から観察しているのはアトスの背中に腰掛け、煙草を吸っている軍人風の女性、黒猫だ。
黒猫は煙を吹き、短くなった煙草を携帯灰皿に突っ込むとアトスに話しかける。
「アトス、全員集まったか?」
『屋内に気配は感じない。これで全員と思って間違いなかろう』
「そうか、ありがとうアトス」
黒猫はそう言って再びゴブリン達を見つめる。列も作らず規律のきの字もない雑多な集団。
最初に
この状況で全員が全員好き勝手に喋っていたら少し不満を覚える自信があると黒猫は少し思った。
「やはりゴブリンはゴブリン。クグロと比べると皆が皆……こう言っては反感を買われそうであるが……やはり劣っているな。いや、むしろクグロが異端すぎたのか?」
ぶつくさと口に指を添え呟き始める黒猫。それを横目にアトスも相槌を打つ。
『そうだな、我もゴブリンであの様な理知的な者を見たのは初めてだ。奴は恐らく普通の人間より賢いぞ』
「そうかやはりか、クグロは特別なのだな。吾輩の目は間違っておらんかったのか」
アトスの言葉にそう嬉しそうに、いつもの様に笑う黒猫。それを見たアトスはそこに危機感を感じ目を細めて険しい顔になる。
『…………シャルルよ貴殿は我、そしてクグロを何故信用しているのだ?。昨日あったばかりの我らに貴様は心を開いている。賢いぞ貴殿であればその危険性を理解しているのではないか?』
「ほう」
その言葉に黒猫は更に深い笑みを浮かべる。
「…………そうであるな、まぁ一応吾輩は人を見る目というやつを養っているつもりだ。それで貴様とクグロを吾輩のが信用するに足りると判断したのだ。全ての者にこうして信頼を置く訳では無いのである」
それに。黒猫はそう話しを一旦区切り、アトスの背中から飛び降りる。
「とはいえ吾輩は……例えばホームズほど頭も良くなければ観察眼に
その呟きを聞いたアトスは難しい顔になった。それもそうだろう。この世界で生まれ育ったアトスに黒猫の前世の名探偵が分かるはずもないのだ。
そしてその様子を黒猫は小さく美しく笑い、アトスの眼前に来るとその喉元をまるで家猫を可愛がるかのように優しく撫でた。
「吾輩は欲していたのかもしれん、気を許せる相手をな。だが、これだけはハッキリと態度で分かる。貴様らは吾輩に好意を抱いていると。それだけ分かれば後は十分だ『魚心あれば水心』……好意には好意で返すべきなのだからな」
「…………貴殿が何を言っているのか偶にわからん時があるのだが」
撫でられて気持ち良さそうに目を細めながらも、どこか不満気につぶやくアトス。
「そうか、それもそうだろうな。だが我々は出会ったばかり、これから幾夜も共に過ごすこととなるであろう。ならば共に分かち合える時が来る」
『…………我が貴殿について行こうとしていた事を気付きていたのか』
「無論だ吾輩はそれなりの観察眼ならば持ち合わせている。貴様の様子を見れば簡単にわかったぞ」
黒猫はクスリと妖艶に笑うとヒラリとアトスから離れる。
「曰く、
絶対に楽しい。威風堂々とそう断言する黒猫にアトスは呆れたような顔になり、そして嬉しそうに笑みを浮かべた。
『そうか、そうであろうな』
「うむ、そうに決まっているのである。そう言えば今思い出したことがあった。アトス、貴様に一つ命令して良いかね?」
「む、構わんがなんだ?」
では…………。アトスの了承を得た黒猫はコホンとわざとらしい咳をし気持ちを整える。そして鋭い目でになりアトスを指をさして命令を下した。
「貴様はこれから吾輩を『貴殿』というのは吾輩が許すまで禁止だ」
『ひとつ聞かせてもらおう、何故だ?』
「吾輩のプライドが許さんのだよ」
黒猫はアトスの前に仁王立ちになり堂々とそう言い放つ。
「吾輩は貴殿に負けた、それもかなりの惨敗だ。それにより吾輩の中では未だに貴様への劣等感が残りに残っているのだよ……だが、吾輩が一言二言言った程度で貴様の
『しかしだな…………我は…………』
演歌歌手の様に体を斜めにし眉間にシワを寄せ拳を握る黒猫にアトスはしかめっ面で抵抗をした。するも黒猫は口早に文句を言い出す。
「しかしもへったくれもないわ、この聞き分けのきかん大馬鹿者め。そもそも貴様の敬語は敬語になっておらんのだ。です、ます、敬称、はい、いいえ……そんな基礎も基礎な敬語も使えずに吾輩を貴殿と呼んでいる貴様に昨晩からもの申したくて堪らんかった。そもそもはだ、貴様は………………」
『!?…………ま、まて!待つのだシャルルよ。話が逸れておる!それでは我への説教まっしぐらだ!』
慌てた様子をまるで人の様に器用に前足を上げてストップと呼びかけるアトス。黒猫はその様子を見て何とか冷静さを取り戻した。
「コホン…………すまんな、どうやら熱くなりすぎたようだ。確かに吾輩の考えのみを通す、というのは良くないやも知れぬ。貴様という言葉も昔は敬語の類ではあったのだし…………まあこの辺りを持ち出すと、それこそ面倒か。コホン、それではアトスよ、吾輩はある提案を貴様に持ちかけよう」
『提案だと?』
うむ。黒猫はあまりの情緒の移り変わり様にうんざり顔のアトスに人差し指をピンと立てて見せる。
「吾輩はこれから出来るだけ貴様に闘いを挑もう。命の取り合いは無しだがそれ以外は何でもありでのルールでだ。それで吾輩が貴様に勝った時。その時からこそ貴様に『貴殿』と呼ばれるに相応しいと思うのだが……如何かね?」
『なんだと?』
その言葉にアトスは目を輝か焼かせて、食いついた。やはり野生動物。それも力を持って闘いにより君臨した者としての
どちらにせよ、彼が黒猫の提案に興味をそそられたのは言うまでもないだろう。
『なんだと。それは…………よい、よいぞ、とてもよい提案だな。血が、心が熱く滾ってくるわ!くぁっはははは!!良い『貴様』の提案に乗ってやるぞシャルル!』
「よし、命令のはずが交渉に変わっていたが……まぁ結果でいえば微々たる違いか。では今日の夕刻お相手願おうか…………ん?おっと、クグロがこちらへ向かってきておるな。準備が出来たようだ。では行くとしよう」
『くくく、了解した。我が主よ』
クグロの接近をその優秀な耳で感じ取った黒猫は空色のマントを翻し、ゴブリン達の元へと行く。アトスは己の主の見た目よりも大きな背中を見て、未来はどうなっているのだろうと、薄らと嬉しそうに笑うのだった。
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