第35話 黒猫と反省会とクロエ



 闘技場を出た黒猫たちは、受付嬢のケティと少し話した後に既にチェックインを済ませていた宿に戻った。


 宿の名は『マーレ』。この港湾都市でも、一、二を争う人気の巨大なホテルであり、黒猫たちが泊まる部屋は、最高級のスイートルームだ。

 別に黒猫が小金持ちになった反動で調子に乗った訳では無い。ならばなぜ、そのような場所に泊まれたのかと言えば、この宿はアニノス商会が運営しており、エミリオスからの追加報酬としてこの宿にタダで泊まる事になったのだ。


 素人目にも高級だとわかる調度品の数々に光度調整可能なシャンデリア型の魔力灯。室内は過ごしやすい気温と湿度に調整されている。

 前世でも縁の無かった最高級の宿に泊まる事となった黒猫。しかし、ここまでの旅でアトスに鍛えられ、神経がだいぶ図太くなった黒猫は、特に浮かれる事も、そわそわする事も無く、食事を済ませた後に鍵を閉め切り、猫人の姿でくつろいでいた。


 猫人姿の黒猫は進化後に少しだけ見た目が変わっていた。二本ある尻尾の片方だけ先端の白い毛のすぐ下が円状に赤く毛が変色し、額には出し引き可能な角が二本生えた。一番変化したのは身長で、50センチから80センチに伸びている。


 今は疲れからか、2メートル程のいつもより小型の虎形態になったアトスの腹の上を枕代わりにキングサイズのベットで横になっていた。


 アトスのお腹がふわふわで温かく何故か常に清潔だった為に森で一度使って以降、その人をダメにするお腹枕の魅力にすっかり取りつかれいる黒猫。すっかりリラックスした状態で先の闘技場での試合の反省点を、ベットの傍に椅子を持ってきて座っているクロエを交え話し合っていた。


『—————————まぁ結論を言えば、やはり、今の貴様に足りないのは攻めの技術と心構えで有ろうな』


「で、あろうな。守りに関しては貴様に散々鍛えられておるが、攻めに関しては少し不安点が残っておるのは事実だ。だが、貴様が相手では全て軽くあしらわれる故、感覚が掴みきれぬのであるが…………」


 黒猫は魔物になって以来、戦闘において天賦の才を会得した。卓越した肉体センスに、瞬時に最適解を閃く思考能力。どんな逆境においても諦めぬ精神を持ち合わせているが、アトスが相手では手も足も出せず試合が終わってしまうのは毎回の事だった。


 逆に言えばアトスという高い壁が常に近くにそびええ立っているからこそ慢心する事も無く凄まじい成長を遂げられている、というのも確かであり、現に黒猫はアトス以外では負けた事が一度としてない。


 だが、その勝利のほとんどは黒猫が実力の半分も出すこと無く終わっている事が多く、故に黒猫にとっては、毎度死闘となるアトスとの闘いよりも記憶がどうしても薄くなってしまうのだ。


『であれば、クロエに相手を任せてみてはどうだ?』


「クロエであるか?」


 アトスの提案に黒猫は鼻先に手を当て悩む。アトスの提案は悪くは無い、実際船上での戦いでは、ただの木の杖と風の魔術で海賊達を相手に素晴らしい活躍を見せていた。だが、だからこそ、ある程度の底は見えていた。クロエの実力は、進化した黒猫よりと同じか、あるいは少し下だという確信が黒猫にはあった。


 黒猫が欲しいのは自分よりも少しだけ強い相手だ。だが、ないものねだりも良くない。そうと考えていると、黒猫の考えを察していたのかアトスはニヤリと黒猫に笑みわ向けた。


「…………何を笑っている」


『くはは、どうせクロエと己の能力差について考えていたのだろうが心配いらんぞ、何せクロエはエルフ族の中でも特別な存在だからな』


「特別?」


 アトスの言い回しに引っかかりを覚える黒猫。すると、クロエがスっと小さく手を挙げ口を開いた。


「アトス様、それについては、わたしの方から説明してもいいですか?」


『かまわん、当事者の方が詳しい説明ができるだろう、話すがよい』


「ふむ、そう言えば吾輩もクロエに聞きたい事は山ほどあるな…………長い話になりそうだ、場所を移そう」


 黒猫はベットから立ち上がると、寝室を出て応接間に向かった。


 応接間の造りは見事なものだった。広さは十六畳程で、壁はワインを思わせる暗い赤であり、優美な風景画が飾られ、部屋一番の存在感を放つ大きな暖炉の上には見事な角を持つ鹿に似た獣の剥製や小さな絵画があった。ソファや、丸テーブルなどの家具は暗色で統一されており、繊細な彫刻や装飾が施されている。


 黒猫はテーブルランプに明かりを灯し、柔らかなソファに腰を沈める。アトスは黒猫の座るソファの後ろに陣取り、クロエはテーブルを挟んで黒猫の真向かいに浅く腰を下ろした。


「吾輩はクロエの事も、ラジウス森林連邦の事も何も知らぬ、良い機会だ聞かせともらうとしよう」


「はい。ですが、その前に…………」


 クロエは懐から一枚の布を取り出した。それをテーブルの広げると、布には魔術陣が描かれていた。ただ、黒猫の想像とは少しずれており、陣の中には文字らしきものは一切なく、代わりに電子工学的な幾何学模様の走っているのが特徴的だった。


『ほう、古代術式か見るのは久しいな。形状を見るに【隠匿】か?』


「はい、アトス様のご明察どおり古式の汎用隠匿魔術の魔術陣です。しかし、アトス様の知識の範囲の広さは流石ですね、素直に驚きました」


『くぁはははっ、伊達にそこそこ長生きしておらんからな!』


 目を少し見開き感心した様にほぉと息を吐くクロエに大笑いするアトス。黒猫は身を乗り出して魔術陣を覗き込み首をかしげる。


「ふーむ、ところでこの古代術式とやらはなんだ?」


『今や廃れた旧時代の魔導技術だ。今では一部の長寿種族が細々と継承しているのみ、人間ではシルバ殿以外に使っているのを見た事は無いな』


「ほう、つまり希少性の高い技術という訳か」


「はい、現在広く知られている魔術は現代魔術と呼ばれており、この古代魔術とは根本から仕組みが違い、比較的簡易的です。簡易化された現代魔術とは違い古代魔術は一流の使い手でなければ発動すら難しく、その希少性、難易度も相まってエルフ族でも使い手は今ではごく僅かです」


 彼女が陣に手を置き魔力を込めた瞬間、緩やかな光の波動が発生し、黒猫達を囲むように薄い光の膜を形成した。黒猫はこの世界に生まれて初めて見た魔術儀式に目を輝かせる。


「おお、素晴らしいなこれは!」


「お褒めに預かりありがとうございます。。ではまずはエルフ族の事について説明させていただきます…………」


 そうして、クロエの口から語られた話は黒猫にとって、とても興味深い内容だった。


 アトスがクロエを特別だと評したのは、彼女がエルフ族の中でも数少ない、自治領外へと出る事をエルフ族の種族長より正式に許可された数少ないエルフだからだ。


 エルフ族はラジウス森林連邦の中でも少数種族。長寿の為に繁殖能力が低く、二千年以上前に起こった外神大戦がいしんたいせん、約千年前の森王しんおう大戦たいせんと二度の戦争により、現在ラジウス森林連邦以外のエルフの部族は絶滅したとされている。


 更にラジウス森林連邦内でも安全とは言い切れない。大戦から千年たった今なお一部の人族に狙われており、主な理由としては奴隷としては勿論、頭から足先まで良質な魔術素材になる故だ。


 特にラジウス森林連邦の北に隣接しているエックナーフ聖国は人族至上主義の色が濃く、その影響で古代魔術に代表される希少技術の漏洩、種の保存の観点から、森林連邦内でも自治領から出る事を基本的に許されていないのだ。


 その話を聞いた黒猫は眉間を小さくしかめた後に、胸元から煙草を取り出し、火を着け肺を煙で満たした。


「ふぅ…………なるほどな。ならば君が危険を冒してでも外に出た目的はなんなのだ?それに、先ほど外で顔を晒していたが大丈夫なのであるか?」


「わたしが外に出たのは、外の情報を国に流す為です。この港湾都市オルタラットは各国の交易の要、そして何より森林連邦の協力者が多くいます。私はこの都市を拠点に、冒険者の身分を隠れ蓑に集めた情報、そして協力者が集めた情報を母国へ流す任務を五年程前までしていました」


 彼女のスパイ活動は25年に及び、町の噂話の聞き込みレベルから、自ら国家機関に忍び込み国の機密情報の奪取、国内では入手困難な資源の密輸まで様々な任務をこなして来たらしい。その際に役立ったのが、今彼女が身に着けている外套だそうだ。


「顔を晒しても問題無いのは、今纏っているこの外套に刻まれた【認識阻害】の術式のおかげです。母が作ってくれたもので、数種類の古代術式認識阻害系統の魔術が何層も重ねてあり、熟練の現代魔術の使い手でも正体を見抜けない優れものなんです。しかも、任意の相手にだけ術の効果を消す事ができるのです」


 すごいでしょ?と言わんばかりに外套の小さく笑みを作るクロエ。先ほどまで氷像の如く表情が固まっていたが、どうやら、黒猫との会話をしていくうちに少しだけ緊張が解けたらしい。その様子を見て、黒猫も小さく笑みを作る。


「ふむふむ、なるほどな。しかし、スパイ活動は危険が付き物。クロエ殿が人間基準では強い方だというのは船上での戦いを見てわかっているつもりだ。だが、その程度の実力でクロエを抜擢する理由が…………いや、まて、そうか、そういう事か」


 彼女の話を脳内で整理した時、黒猫はある考えがピンッ!と閃いた。アトスが訓練の相手にクロエを押した理由、情報漏洩と誘拐を恐れ自治領に厳しい出国制限を法で定めているエルフがクロエにスパイ活動をさせている訳。


 無駄に複雑になど必要ない。答えはあまりにも簡単だったのだ。


「クロエ、君は何か魔術やら魔導具やらで能力に何かしらのリミッターを設けておるな、しかも、それだけでは無い、見たところ君の身に着けているものは、その外套以外たいして価値が有る様には見えぬ。君は目立たぬ為に、能力と装備、双方を平時は制限している。違うか?」


 ニヤリと清々しいまでの思い切ったドヤ顔で黒猫はクロエに問いかける。その様子をみていたアトスは盛大に笑い声をあげた。


『くははははは!!まったく、良い表情しおって。本当に我が主は可愛らしいな』


「む、吾輩のどこが可愛らしいのだ!吾輩はカッコいいを目指しているのだ。その評価は少し心外だぞ」


『くはは、そういうところだぞシャルルよ。なぁクロエよ、貴様もそう思うであろう?』


「はい、最初は少し威厳漂う雰囲気だと思っていましたが、今はアトス様が仰られる通り可愛らしいお方だと私も思います」


「むう…………貴様ら…………!」


 大笑いのアトスにつられた様に小さく笑うクロエ。最初の堅苦しさが緩んだのは喜ばしいが、少し不本意な黒猫は『女体化』すると拗ねた様にそっぽを向いた。


「ふん、これで可愛らしいと言われても問題ないな!そもそも、吾輩の事は今はどうでもいいのだ!クロエ、吾輩の推察は正か非か、どちらなのだ?」


『くあははは!まったく貴様という奴は…………まぁよいわ。クロエ、シャルルに答えを見せてやってくれ』


「はい、わかりました。ではシャルル様、が答えです」




 彼女は外套から左腕を出し、ローブ状のゆったりと広い袖を捲った。そして、黒猫は袖の下にあったものに目を見開いた。


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