第32話 黒猫死闘② 剣戟

 



 開始と同時に大地を力強く踏み締め、相手へと一直線に突っ込んだのはやはりアトスだった。


 彼は獣の如き体勢と勢いで右手のパンテラナイフを黒猫の顔面へと向けて振り下ろす。しかし、それは刀身の見えぬ程に素早く抜刀した黒猫の刀にパリングされ、黒猫の肢体へと届く事は無かった。


 獣形態のアトスの体重は500キロをオーバーしており、黒猫の腕力では受け流す事がやっとだったが、今の彼は人の身である。体重は重くとも80〜90キロであり、更に黒猫は進化した事による腕力の増強により、なんとか弾き飛ばすことが出来たのだ。


「ほう」


 半ば空中にいた為に大きく体勢を崩すアトス。黒猫はがら空きになったボディへと突きを放った。


「……ちっ!」


 しかし、こちらもアトスの肉体へと届く事は無かった。左手に装備していたもう一つのナイフで防いだからだ。


「よい!面白いぞ!」


 アトスは喜色満面かつ獰猛的に笑い、空中で体勢を整え着地と同時に再び飛び掛る。


「はぁぁぁぁぁあぁあ!!」

「せいやぁぁぁぁぁあ!!!」


 軍刀とパンテラナイフは打ち合う度に火花を散らす両者一歩もゆずらぬ斬撃の応酬。


「よい!よいぞシャルル!その意気だ!」


「そうであるか…………っ!」


 それに気を良くしたアトスは気持ちの昂揚のままに、速度を徐々に徐々にと上げていく。そして、アトスの腕が不可視の領域に達した時には既に黒猫は防戦一方となっていた。


 最初は斬撃を斬撃で打ち返していたが、今では受け流しに徹している。だが、アトスはまだまだ本気ではない。


斬撃の速度は留まる事を知らないのか上がっていき、そして、とうとう黒猫の頬を掠め、血が滴り流れ落ちた。


「くぁっ!」

「どうしたシャルル、反応が遅れ始めているぞ!」

「っ…………ふん!」


 アトスからの激励を受けた黒猫は、受け流す事をやめ、左手を刀身に添えアトスの斬り上げを受け止める。


 そして、それと同時に地面を蹴り軍靴へ『浮遊板』の能力をかけ、アトスの力を利用する形で後ろへと大きく飛び退いた。


「アトス!吾輩は今から貴様を本気で殺しにかかる!」


 三秒程の滞空時間の中、黒猫は『髑髏の灯火』を五つ同時発動する。


 だが、アトスに火炎放射は効果はない事はわかっている。だが、本来の使い道をしても当たるかどうか、そもそも効くか分からない。


 更に黒猫は頭をフルに回転させて思考を速め、イメージする。


 思い浮かべるはレーザー。五つの『髑髏の灯火』を収束させて炎ではなく、超高温の熱線へと変える


「ぬぅ!?何だそれは!」


 あまりの高熱にバチバチと激しく光り瞬く『髑髏の灯火』。

 アトスは嫌な予感を感じ取り、この日この時、黒猫との試合で初めて自主的に能力を使った。


「貫け!」

「くっ!」


 放たれた熱線。しかし、アトスはそれを野生の勘による未来予知に近い予測に瞬間的かつ短距離の空間跳躍を可能とする能力、『空跳』により躱す。


 だが、その際に薄く頬を掠め。なんと炎ではびくともしなかったアトスの薄皮を血は出ないまでも切り裂いた。


「……シャルルよ。貴様どこにこんな隠し玉を?」


「先程思いついたのだ、なんだ?文句があるのかな?」


 黒猫のアトスを挑発するような言葉。実際それが目的の発言なのだろうが、アトスはそれに気を立てず、むしろとても笑みを返された。


「くははは!文句だと?否、否だ!むしろ能力を使わされた故、昂ってきたぞ!くぁっはははは!」


「であろう?はっはははは!(……やはり、こいつ化け物であるな)」


 黒猫の成長の速さをその身をもって感じ取り、嬉しそうに高笑いするアトス。実際、黒猫の成長は日進月歩であり、配下としてとても嬉しいのだろう。


 それに対して、黒猫は大気の影響で減速しているのは言え超高速の熱線を避けたアトスに対し絶句したくなった。


 その気持ちをどうにか抑え込み、余裕たっぷりの笑みを取り繕う。


「ほれ、やっと体が温まってきた所だ!まだまだいけるであろう?いくぞ!」

「うむ、かかって来るがよい!」



 ーーーーーーーーー


 一方、闘技場の観覧席ではクロエが二人の闘いを食い入るように見詰めていた。


 クロエの視点での二人に対する評価。


 まずはアトスに対してだが。一言で言うなれば、化け物。戦闘の為だけにに生まれてきた存在という印象だ。


 その底の見えぬ馬鹿げた身体能力は元より、最初は獣の如く大雑把に非効率的にパンテラナイフを振るっていたのだが、それを黒猫と打ち合う度に、効果的に効率的に手先や姿勢に流れ・・を作っていく。


 それは、先人達が努力し長い年月と代を積み重ね、作り上げた構えや、剣技に通じており、それは、つまりアトスは本能のみで、どの様にナイフを振るえば相手を簡単に殺せるかを追求し、最適解を見出しているのだ。


 まさに化け物。何者にも形容し難い何百年、数千年という歴史を持つ武術流派を嘲笑う冒涜的な存在である。


 ならば、黒猫はアトスに見劣りするかと言えばそうでもない。仮にもしアトスを本能的と表現するなら、黒猫はその真逆、理性の塊だ。


 黒猫の身体能力自体はクロエ自身と大差ない……いや、間違いなくクロエの方が高いだろう。だが、本気で集中した際の反射神経や思考能力。そして持続力が群を抜いて凄まじく、格上相手にも多少の差なら問題ない程だ。


 事実、アトスに押されているように見えるが、実際はまだ一撃しかくらっていない。クロエはあの攻撃を受けてほぼ無傷でいられる自信は殆どなく、自分には不可能だと断言出来る。


 つまり黒猫は相手の身体能力、力のかけ具合い、姿勢を見た瞬間に解析し、次の行動を予測、最小の動きで受け流しているのだ。もはや生命体ではなく、ある種の機械と形容できるその御業にクロエは無意識に感嘆の声をあげる。


 だが、この対決の結果はやはり見えている。余裕綽々のアトスに対し、既に黒猫の顔には疲労が滲み出ているのだ。その結果、剣技にも綻びが生じてきており、既に黒猫の負けが確定しているのは誰の目にも明らかだ。


 やはり、黒猫とアトスの間には身体能力と経験の差による開きが大きすぎるのだろう。アトスが戦闘のプロというのは理解できる。だが黒猫には何処か何とも言えない……表面化し難い拙さ、があり戦闘の経験が乏しくクロエは感じたのだ。


 勿論、それは誤差の範囲と言っても良い程に小さな物。


 同格どころか格上にすら勝てると言い切れる反射能力、思考能力には舌を巻かざるおえないが、アトス程の相手ともなれば、それは表面化し大きなハンデとなる。


 黒猫本人もそれを自覚しているのだろう。だから、日課と称してアトスを相手に試合をする事で技術と経験を積もうとしている事が理解できる。


 才能にかまけぬ努力の人。それが、クロエの黒猫に対する最終評価だ。


「凄まじい……本当に凄い方々だ」


 クロエは心の底から湧き出る嬉さに、ただ笑みを浮かべている。己の仕える主の勇姿を見て、己の選択は間違いではなかったという確信を抱き、彼女はこの戦いの行く末を見守るのだった。


 ーーーーーー


 激しく軍刀とパンテラナイフで打ち合っていた。


 普通の武器ならば破損しているだろうが、そこは神謹製である。


 全てを切り裂く。大地を割る等といった目に見える特殊能力は持ち合わせていないが、ほぼ破壊不可という能力の持つ黒猫の武器は、こういった持久戦にこそ最も本領を発揮する。



 すると、その打ち合いの中、唐突にアトスは後ろへと下がり20mほど大きく間隔を開けた。その顔に浮かべるは何やら企んでいる笑み。黒猫は警戒しながら荒れた息を整える。


「っは……はぁはぁ…………すぅ……なんのつもりだ」


「くはははは、息も絶え絶えだな。……もしかして、ちょっと機嫌悪いのか?」


「当たり前だ」


 即答。あまりの回答の速さにアトスは肩を竦めて苦笑を浮かべる。


「即答か」


「まぁな、あまりにも理不尽すぎて不貞腐れそうになっている吾輩がいる」


「それは……すまんな。だが、本番はこれからだ」


「……何?」


 黒猫に嫌な予感が走った瞬間、アトスの背後にとてつもなく巨大な穴が開いた。


「ぬっ!?」


「我は思ったのだ。今の貴様は、技量に対し、身体能力が追いついていないとな。ならば、手っ取り早く進化を促してやろうと思った」



 辺りに響き出したのは空間を震わせ、本能的な危機感と不安を促せる複数の重低音だった。


「この音……まさか……!!」


 黒猫はこの音を知っていた。

 それは前世。古民家の軒下、公園の端、そして草木生い茂る山の中などで耳にした音だった。


 だから、理性的にも、そして本能的にも正しく理解した。これから、現れる生物の正体を。



 そうして、ブブブブブという不快な羽音を立てながら現れたのは数十からなる雀蜂の群れだった。


 体長は凡そ2m後半から3m前半。そんな化物サイズの蜂が次々と暗い穴から出現する。


「こやつらは召喚獣ではない。昔戯れに支配下に置いた蜂の巣の近くの空間に繋げて、呼び寄せてるだけだ。故に『進化』をのぞめる……さぁ!殺し尽くしてみせろシャルル……でなければ死ぬぞ」


「……く、くぁっはははははは!とんだサプライズだ!良いだろう皆殺しだ!焼き殺し、切り殺し、撲殺し、撃ち殺してやる!さぁ!かかってこい駄虫ども!」


 淡々と簡単に告げられたある種の死刑宣告。黒猫はヤケになったのか、嬉々とした凄みのある笑みを浮かべ、巨大雀蜂の群れと対峙する。



 戦いはまだ、始まったばかりだ。


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