第27話 黒猫とアニノス商会



その国土の大半が半島に属している国、エイラット王国は国最南の都市オルタラット。軍港と商業港を有し、他国の貿易や造船で栄えるこの都市にはアニノス商会の支部が置かれている。


 現在、その支部の2階、客人をもてなす為の応接間に5人の人影があった。


 一人は商会の会長エミリオス・アニノス。彼は後ろにベルナールドを形ばかりの護衛として立たせて上座の位置にある一人用のソファに腰掛けている。

 彼は足元から小さな木製の箱を二つ取り出すと、向かいに座っている人物の正面に置いた。


「これが、今回の海賊にかけられていた報奨金だ。ここ最近でかなり暴れていたらしくてな、中々の額だったぜ。そしてもう一つは俺からの報酬だ。」


 エミリオスはそう言って箱を開けると180度回転させ中身を確認するように促した。


「これにかけられていた賞金3万5千ユール。そして俺からの6万6千ユールで総額約9万6千ユール。エイラット金貨にして80枚と言ったところだな」


「…………そうですが、これはありがたい」


 そう言ってエミリオスへと笑みを向けるのは黒髪に藍玉と紅玉を思わせるオッドアイの麗人。黒猫シャルルだ。


 男体化は魔力が少なくなった為に使っていない。

 もちろん、これにはアニノス商会の面々は驚いていたが、ここは異世界である。大抵の事は『すごい、そんな事も出来るのか』でまかり通るので忌避感を抱かれることは意外と少なかった。


「しかし、貴殿の商会とは、これからも、末永いお付き合いをしたいと思っております。アニノス商会の品にハズレは無い……と吾輩は思っておりますので」


「ははは!そうか、そうか。そいつは嬉しい限りだな」


 それは、エミリオスへの「信頼しているぞ」という意思表示であり、それに対したエミリオスは少し驚いた様に眉を上げ、そして直ぐに嬉しそうに黒猫に笑みを返た。


 エミリオスは義理と人情が大好きな商人だ。重要な客に信頼してもらうなら、それ相応のお返しをするのは当たり前の事。


 逆に言えば、他の客を差し押さえて優先させるだけの価値が黒猫にはある、とエミリオスは言っているに他ならない。

 エミリオスは黒猫の行動にはとても助かったのだ。なんせ海賊船から商売敵の依頼書が大量に出てきたのだ。


 雇われた元傭兵や船長サミーの言葉も一致しているところが多数ある為、調査が入る事となるだろう。


 もし、仮に巧妙にそれらの証拠を隠滅で来たとしても、商売は信頼が命だ。


 火のない場所では煙はたたない。調査が入ったという事実だけで商会らの信用はかなり落ちるだろう。

 これで周辺国家の市場はアニノス商会の天下となった訳だ。

 エミリオスとしては正に幸福を呼ぶ青い鳥。否、黒い猫だった訳である。


「君には我が商会をご贔屓にしてもらいたいところだ。もちろん、困った時は俺に頼ってくれて構わないぞ」


 そして、彼はポケットからある物を取りだし黒猫の前へと置いた。それは、緻密な彫刻が掘られた銀製の懐中時計だった。


「これは、ウチの商会の関連の奴らに見せれば大抵の事は君の思い通りになってくれるはずだ」


「……良いのですかな?吾輩がこれを悪用しないとも限りませんが……」


 悪用するならそんな事は普通言わないだろう。エミリオスの頭の中にそんな思いが過ぎるが、口には出さない。

 代わりに彼は商人の笑顔で敬語で答えた。


「それは、もちろんですとも。私はあなたを信頼・・していますので……」


 黒猫は目を丸くしてエミリオスの顔を見る。そしてエミリオスの片眉をクイッと上げる仕草でピクン、と小さく体を震わすと、次には大きな声で笑い出した。


「……っは、ははは!これは一本してやられましたな!なるほど、吾輩は貴殿に信用されているのですか。ならば、それは誠意を持って答えねばなるますまい。わかりました是非とも受け取らせていたいただきましょう」


「それは、よかった。君とは是非とも友好的な仲でありたいからな」


「ははは、買い被りすぎです会長殿。吾輩はただの根無し草。しがない一匹の野良猫にすぎませぬ」


 格好つけたように言うが、実際に根無し草なので笑えない話だと肩を竦めて自虐的に笑う黒猫。

 すると、エミリオスはそんな様子の黒猫に何か言おうと口を開こうとしたが…………何か思い止まったのか口の中で止めて言う事はなかった。


 黒猫は立ち上がると自分の背後に立たせていた男からコートと軍帽を受け取った。


「では、紹介をいただいた宿へとさっそく向かいますので、何か用が出来ましたらそちらに」


「おう、これからはウチの商会をご愛顧宜しくお願いする」


 もちろんですとも。黒猫は柔らかな笑みをたたえ、外套姿の女性と軍服姿の男を連れて部屋を出ていった。


 …………黒猫が出ていった後、エミリオスの背後、白髪褐色の大男ベルナールドから声がかかる。


「よろしかったのですか、会長。あの懐中時計、あれはこの世に5つとないアニノス商会の………」


 ベルナールドはアニノス商会の者ではない。ただ、エミリオスの護衛として今回雇われただけの関係だ。

 だが、アニノス商会は周辺国家に手を伸ばし、この大陸全土に名の知れた大商会であり、その影響力は小国ならば国家運営にまで及ぼす程だ。


 もし仮に黒猫がそれを悪用すればどうなるか、それは想像に難くない。


 ベルナールドは依頼され雇われた身であり、大企業の会長へと意見を言える立場ではない。

 それを理解していながらも、依頼人は守りたいという傭兵としてのプライドがそうさせたのだ。

 エミリオスはベルナールドの心を見抜き、腕を組んで豪快に笑って返した。


「良し!シャルルは俺の眼が見定めたんだ。彼は……いや彼女か?……まぁいい、シャルルならば安心してアレを渡せる」

「そう、ですか。……なら俺が文句を言うのはお門違いですね」

「そうだな、君は雇われの身。元々俺に口を出せる身分ではない。だが、それを理解していながらも俺を心配して忠言を申したのは素直に嬉しかったぞ」


 思った事を全て口に出す馬鹿も嫌いだが、理解していながらも何も言わない愚か者も嫌いだ。エミリオスはそう言って立ち上がると、ベルナールドの肩を叩く。


「さて、護衛依頼はここで終了だ。君を雇って良かったよ。金は既に組合の方に渡してある。取りに行くがいい」


「ありがとうございます」

「うんうん、君も達者でな」


 相変わらずの仏頂面で、通り過ぎたエミリオスの背中へと見事なお辞儀をするベルナールド。

 エミリオスは振り返ること無く、片手を振って自室へと戻っていくのだった。

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