【第二話 異形のモノ】
実を言うと、俺は下戸である。全く飲めないわけではないが、好んで飲もうとはしない。年に数回ほど催される会社の飲み会で、ちびりちびりと嗜めば十分に酔う事ができる体質だった。
今さっき飲んだ甘酒のせいだろうか、酒と同時におかしな薬でも飲んでしまったかのような感覚で、フラフラと軽いめまいに襲われる。
「あれ? 一杯だけなのに……変だな」
たった一杯の……しかも、小皿サイズの盃でフラフラとするのはおかしい。体調でも良くなかったのだろうか。めまいはさらに酷くなり、視界の先で甘酒を振る舞う巫女さんの姿が横長に太り始めていく。心臓も急激に早鐘を打ち始め、俺の頬や耳を熱くさせた。まずいな……こんなトコで倒れるなんて冗談じゃない。
しかし、それも束の間。
脳内でプツンと何かが切れたような感覚と同時に、俺の視界は再び正常に開けていた。騒いでた心臓の鼓動も、少しずつ落ち着きを取り戻そうとしている。横長に太って見えていた巫女さんも、気付けばダイエットに成功して細身の姿となっていた。
「…………?」
俺は顔を左右に振って空を見上げた。澄み渡る空の青さに変化はない。冷たい空気も変わらずに、俺の上気した頬を撫でつける。何だったんだろうな……まぁいい、深く考えてもしょうがない。俺は盃を巫女さんに返し、ご先祖様の眠るお墓の方へと向かった。せっかくだから、ご先祖様たちにも年始の挨拶をしておこう。
お墓が並ぶ敷地の方は、賑やかな本殿の周辺とは対照的に、平素と変わらない静けさを保っていた。お墓の外柵で、一匹の野良猫が昼寝をしている。コロンとして毛艶も良さそうなところを見ると、寺の住職に可愛いがられているのかもしれない。
俺は野良猫の可愛さに釣られて一撫でしようと手を伸ばした。しかし、気配を察した野良猫は、丸くしていた体を起こして「フーッ!」と威嚇しながら全身の毛を逆立てる。そんなに警戒しなくてもいいのに……と黙って睨み返すが、よく見れば野良猫が威嚇する矛先は少しズレていた。俺の後ろに何かがいるらしい。
「た、助けて下さい!」
「うわっとぉ!」
伸ばしていた手を戻して、後ろを振り返ろうとしたその時、誰かが俺の背中に飛びついてきた。勢いでヨロけてしまうが、なんとか倒れないよう腹筋に力を入れ耐えてみせる。
「お願いします! 助けて下さい!」
「へっ? どうしました?」
「あ……あれ……あれ……」
「ん? んん? えぇっ!」
飛びついてきたのは女性だった。柄無しの淡い柿色に染まった和服姿。長い髪を結い纏めた姿が、なんとも印象的で美しい。特に耳からうなじにかけての曲線美がたまらない。年齢は俺と同じくらいだろうか。もうちょっと年下かな……三十代半ば以降の女性が持つ独特の色気を感じる。
いや、着物の女性に見惚れている場合ではない。
彼女の指差す方を見れば、何やら怪しい物体がこちらに近づいて来るではないか。
――何だアレ?
俺は眼鏡をかけていない。コンタクトもしていない。昨年の健康診断では、視力も優秀で色覚検査も問題無かった。しかしどうだ……眼前で人外な何かが動いている。
全身灰色の物体。丸々と太った体から短めの手足が生えている。その上に、胴体と同じようなサイズ感の頭が乗っかっていた。表情は常に歯軋りをしているような苦しさを見せ、おでこの少し上あたりから二本の小さな……あれはツノだよな? 辞典や図鑑の類から紐解けば『鬼』という答えが導かれるようなイメージだろうか。
しかし、身長は俺の半分くらいで、頭のサイズから計算すると三頭身ほどという残念な……いや、可愛らしい体型である。それが目の前に二体、のそりのそりと俺たちの方に迫って来ていた。
「……鬼? ずいぶん小さいな」
俺は、背中に隠れて怯えている着物姿のマダムをチラッと見た。迫り来る小鬼たちとの関連性は無さそうに見えるが……どこかで彼女を見た事があるのは気のせいだろうか。またアレか、昔の同級生ってやつか? 同い年には見えないけど。
しかし、今ここで「同級生ですか?」と確認している場合ではない。まずは、目前に迫る小鬼を何とかしなくては。二体の小鬼は、まだ襲いかかってくるほどの距離にまで達していない。迎え撃つか、逃げるか、選択するには余裕があった。
「あの鬼のような二人は知り合いですか?」
「知りません! いつのまにか私の後ろにいたのでビックリして……」
着物マダムは、そう言うとサッと俺の背中に隠れ、そのまま両手を使って小鬼たちの前へ俺をグッと押し出した。おいおい、マジかよ……退治してくれってか?
小鬼たちの面構えは怖い。今もずっと苦しそうな表情している。よく聞けば「ブフゥ……ブフゥ」と鼻息なのか苦しみの声なのか判別のつかない音まで出していた。犬歯のようなものまで剥き出してるし、鼻の穴もでかい。沖縄のお土産であんな顔の置物があったような気がする。しかし、しかしだ! 体型もヘンだし動きもトロそうだし、ぶっちゃけて言えば弱そうだな……よし! 退治してみるか!
「じゃあ、ちょっと下がってて。危ないから」
「は、はいっ!」
とりあえず、カッコイイ姿だけは見せておこう。俺は着物マダムを後ろに下がらせて、三歩ほど前に進んだ。そして、のそりのそりと迫ってくる二体の小鬼たちに対峙し、適当に……それっぽく迎え撃つポーズをとってみた――。
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