【第四話 事後】

 静まり返る戦場を目前にして、俺は辺りを見回した。

 一陣の北風が、一枚の木の葉を乗せて回転しながら吹き去っていく。違う場所から新たな小鬼が出て来るんじゃないかと神経を尖らしてみるが、特に援軍らしき気配は感じられない。おまけに、握っていた棒までもが「ブオォォン!」という音と共に手から消えてしまった。


「あ……あれ?」


 俺は両手を眺めた。今も少しだけ感触が残っている。何だったんだろう?

 後ろを振り返れば、少し離れたところで着物マダムが両手をギュッと握って祈るように佇んでいる。墓の外柵では、さっきまで威嚇のポーズを見せていた野良猫が、何事も無かったようにコロリと和やかな表情で目を閉じていた。


 とりあえずは、着物マダムに挨拶をしておこうか。共に変な小鬼を見ているわけだし、これをきっかけにラブなロマンスに発展するかもしれないし……ともかく、そのまま「では、これにて」と簡単に別れてしまうのは、男としてどうかと思う。


「お騒がせしました。怪我はありませんか?」

「え……あ、はい。すみません。ありがとうございました!」


 俺の声にビクンと反応した着物マダムが、近づいて丁寧にお辞儀をしてくる。頭を上げた後も、俺の顔をマジマジと見たまま放心状態になっていた。その呆けた表情も美しい。誰かに似てるんだよな……誰だったかなぁ。


「本当にありがとうございました」

「いやいや、大した事では……あの鬼みたいなの、何だったんでしょうね?」

「そうですね。でも、どこかで見たような気もするんです」

「えっ? そうなんですか?」

「はい。でも……はっきり思い出せないので……すみません」

「いえいえ、そう謝らなくても――」


 俺は、ちょっと強引に話題を変えた。謝罪と御礼の繰り返しは困る。


「その御朱印帳、七福神のやつですか?」

「え? これですか? はい、そうです!」


 つい先ほど気付いたのだが、着物マダムは一冊の本のようなものを持っていた。見た事のある赤い表紙……それは、多聞寺でも販売している御朱印帳で、通常のタイプとは違う、七福神巡り専用の御朱印帳だった。

 この八柱市に点在する七福神が祀られた指定の寺社仏閣を巡り、参拝の証として押印される七つの印章をコンプリートすれば、可愛らしい七福神を模した景品……ではなく、七福神からの加護を受け、福を授かる事ができるイベント用の御朱印帳だ。そして、この多聞寺は七福神巡りの毘沙門天スポットでもある。


「懐かしいですね。俺も、子供の頃ですが回った事がありますよ」

「そうでしたか。私は今回が初めてで……」

「今、どのくらい回っているのですか?」

「この多聞寺が始まりです」

「ほぅ、ちょっと見せていただけませんか」


 俺は会話が続きそうな事に気を良くして、御朱印帳を見せてもらおうと手を伸ばした。しかし、着物マダムの反応は鈍く、ちょっと見せるのに戸惑っている様子も見受けられる。ここは、サッと身を引いた方が無難かな。


「あぁ、すいません。怪我が無くて良かったです。では、これにて――」

「あ、待って下さい。これでしたら、どうぞ!」


 手を引っ込めて立ち去ろうとしたが、着物マダムは俺を引き留め、スっと両手で御朱印帳を差し出してくれた。はて、どうしたんだろう?


「ごめんなさい。なんだか夢を見ているようで……少し怖かったのです」

「え? 夢ですか?」

「あなたは、毘沙門天様ではないのでしょうか?」


 はいっ? どういう事ですか? 残念ながら普通のサラリーマンでござんすよ。あわよくば、あなたとラブでロマンスな関係を今から期待している欲深いアラフォー男子でござんす。毘沙門天様なんてそんな……いや、嬉しいけどさ。


「あはは……そんな大層な神様に見えましたか? どう見ても一般人でしょう」

「でも、さっきの宝棒で鬼を退治していたのは……」

「…………」


 そうだった。戦うというほどではないが、不思議な力が作用して、変な棒が……そうか、あれは宝棒だったか。宝棒は仏敵を打ち据える武器で、毘沙門天が手しているものである。あの『西遊記』に出てくる孫悟空が持っていた如意棒の原型とも言われているやつだ。

 その宝棒を手にした俺は、プチンと小鬼を消し去ったんだよな。確かに俺は毘沙門天のつもりで立ち回っていたが、彼女にはガチで毘沙門天に見えていたのか。いやいや、このまま納得するのもおかしいでしょ!


「と、とにかく、俺は毘沙門天ではありませんよ。武田です、武田信治と申します」

「そうでしたか……あの、よろしかったら少しお茶でもいかがでしょうか? 助けていただいたお礼もしなくては……」

「いやいや、それには及びませんよ。助けたと言われるほどの事はしてないし」


 と、一応紳士らしく振舞ってみる。


「お時間ありませんか?」

「いやぁ、時間はありますけど……うん、そうですね。では、お言葉に甘えて」


 引き過ぎると、本当にここでお別れになってしまう。俺は頃合いを見計らって、着物マダムの誘いに応じた。他にも色々と聞きたい事があるしな。いきなり俺を毘沙門天呼ばわりするくらいだ。話は絶対に合う!


 ロマンスの神様……俺の新しい恋の相手は、この人でしょうか――。




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