【第五話 ご詠歌】
――
着物マダムは、そう名乗った。
今、俺たちは多聞寺の近くにある茶屋の席で、小さなテーブルを挟み向き合っている。彼女の名前に心当たりは無い。念のため「どこかでお見かけした事があるような気もするのですが、この辺にお住まいですか?」と、やんわり質問してみた。
「いえ、子供の頃は、家族の仕事の関係で海外に住んでいました」
「では帰国子女というやつですか?」
「えぇ、まぁ……でも、周りは日本人のお友達ばかりでしたので、日本語しか話せないですよ。今は隣の大福市に住んでいます」
同級生とか地元の知り合いとか、そういう類ではなさそうだ。でも、やっぱりどこかで見た事あるんだよなぁ。まぁ、そんなに拘る事でもないか。
しかし、間近で見ると更に美しいな。シュッと整った顔立ちに二重のまぶた。和服姿に合わせて髪をアップさせているおかげで、綺麗な富士額を拝む事ができる。髪を下ろした姿も見てみたいものだ。肌もきめ細やかだし、薄い化粧でも十分に映える印象だ。どう見ても、俺と同じくらいの世代とは思えない。君を見ていると、その瞳に吸い込まれそうだよ、祥子さん。
「……だよ、祥子さん」
「えっ? どうしましたか?」
「あ、いや! すいません。初対面なのに名前の方で呼んでしまって……」
「あら、構いませんよ。苗字より名前の方が呼ばれ慣れているので」
「では、俺の事も信治と呼んで下さい。改めてよろしく」
俺は、さり気なく右手を差し出して握手を求めた。
祥子さんも抵抗する事なく「あ、はい。宜しくお願いします」と応じてくれる。冷たい手だった……着物姿だと、やっぱり寒いよな。俺が君を包み込んで温めてあげたいくらいだよ、祥子さん。
「……くらいだよ、祥子さん」
「はい?」
いかんな……ついポロっと妄想の語尾が漏れてしまう。
焦った俺は、軽く咳払いをしてメニューを広げた。
「ここのメニューは、種類が多過ぎて選べないくらいだよ、祥子さん」
「そのようですねぇ。どうぞ、お好きなものを召し上がって下さい。もし、お昼がまだでしたら、ランチメニューでも構いませんよ。この『毘沙門蕎麦』なんか美味しそう……」
「そんな、そこまでは申し訳ない」
「いえいえ、助けていただきながら、粗末なお礼などできません。では、この『お年玉ぜんざい』なんていかがです? 期間限定商品って書いてありますよ」
祥子さんは、グイグイとメニューに食らいついている。特に、甘いものが揃ってるページを眺める目の輝きが凄い。スイーツ好きなのかな? 祥子さんのキラキラした表情は、妙に若々しく見えて綺麗というよりかは可愛いという言葉が相応しい。
結局、メニューは『毘沙門蕎麦&お年玉ぜんざいランチセット』を二つ注文する事で落ち着いた。料理が出てくるまでの間、俺は気になっていた本題を祥子さんへ切り出してみる。
「さきほどの御朱印帳、見せてもらえますか?」
祥子さんから手渡された御朱印帳。赤い下地に、金の糸で「七福神めぐり」と刺繍された表紙は、俺が昔に巡ったものと変わらない。めくれば蛇腹式の仕組みでパタパタと広がり、見ると七ヵ所全ての朱印が押されてあった……ん? 全て押されてる?
「これは?」
「あ、すみません。これは夫が以前に回ってきたものでして……」
おっとぉ……おっと? 夫だと?
まぁ、ここまで美しい祥子さんの事だから夫の一人や二人は……いや、二人はいかんか。でも、複数侍らせたからって否定はできない美貌であるわけでして……あーっと、何の話だっけ? そうだ、夫だ。祥子さんには夫がいるんだ。落ち着け!
「おっとぉ……おっと? いや、これは失礼しました。指輪も見受けられなかったので、てっきり独身かと。申し訳ない……はは……」
「ぷっ、ふふふ」
祥子さんは右手をグーにして口元に当てながらクスクスと笑っている。馬鹿にされているのはわかっているが、可愛いから許す。それにしても、こんな微妙なギャグで奥ゆかしく笑ってくれるとは……こりゃあ夫もメロメロだわな。羨ましい。
「毘沙門天様が祀られているこのお寺に来たのは、ちょっと気になった事がありまして……あの、ここを見ていただけますか」
「ん? あぁ、俳句……短歌ですか。どれどれ」
祥子さんの白く細い指が、七福神の一つである毘沙門天の朱印を指し示す。そこには、手書きで短歌のようなものが書かれていた。
――『魔を降す 猛き姿に添う女神 燃ゆる炎に 如意の詠歌を』
祥子さんの旦那さんは、書でも嗜んでいたのだろうか。その句は、崩し過ぎない見事な達筆で書かれていた。特に「燃ゆる炎」の部分に力強さを感じる。
「詠歌……ですか。ふむ」
「毘沙門天様、何かお心当たりがありますでしょうか?」
「いや、だから毘沙門天では……でも、そうですね。ちょっと待って下さいね」
そう言って、俺は懐からスマホを取り出しアプリを立ち上げた。続けて、スマホを少し顔に近づけて音声コマンドを入力する。
「ヤッホー、クラリス!」
コマンドを受けたスマホが「ピコーン!」と反応し、俺からの新たな音声コマンドを静かに待っている。祥子さんは、キョトンとした表情で目を丸くしていた。
祥子さん、どうですか?
ちょっとハイテクな機器を使いこなしてるナイスガイに見えるでしょう。若いもんだけじゃなく、俺みたいなアラフォーだって格好良く使いこなせるんですよ――。
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