【第六話 「テッテレー!」と皆が言う】

 まだ浮いていた。

 まだ闇の中だった。目を開けようにも、怖くて開けられなかった。でも、杏奈を包んでいる感覚はまだあった。予測不可能にクルクルと回転しているせいで三半規管は悲鳴を上げているけれど、まだ俺は死んでないようだ。いつまで空間を彷徨えば終わりがやってくるのだろう? 



 ――ばふっ!



 終わりは突然やってきた。柔らかい何かに包まれるような感覚……極楽浄土は、こんなにも柔らかいところなのか。闇の中に吸い込まれたから、てっきり地獄行きかと思っていたのに、こんなに優しく受け入れてくれるとは驚きだ。もしかしたら、祥子さんが気を利かせてくれたのかもしれない。

 行き着くところまで来たわりには、どうもという感覚が無い。呼吸も普通にしているし、目や耳や鼻の感覚も薄れていない。相変わらず闇の中なので何も見えないけど、抱き締めたままの杏奈の頭皮からはかぐわしいシャンプーの匂いを感じることができた。


「杏奈、杏奈! 生きてるか?」

「…………」


 返事は無いけど、微かな呼吸音が感じられる。俺は彼女の背中をさすりながら「もう大丈夫だぞ」と強がって、自分にも言い聞かせた。

 まずは、この状況を把握しなければ! 生きているなら……俺たちはどこに飛ばされてしまったのか? 他の七福神のメンバーも近くにいるのか? 何よりもまずは暗闇に目が慣れてくれなくては困る。


「……うぅ、ノブくん」

「杏奈! 良かった。動けるか?」

「ノブくん……」

「どうした? どこか痛いところがあるのか?」

「た……たん……」

「たん?」

「誕生日、おめでとう」

「はぁ?」


 パッと暗闇が散り、明るい光が俺たちに降り注ぐ。急な眩しさに目を細めるも、その奥で複数の人がたかっている気配を感じた。敵か? 味方か? はたまた「黄泉の国へようこそ」とか言い出す使者か? 視界が回復するまでの間にグルグルと脳を回していた中、俺の思考を遮断するように「ハッピー! バースデー!」という声が一斉に響いた。パンパンパーン! って、クラッカーの鳴る音まで聞こえた。


「な、な……?」

「ノブくーん! ビックリした? だーいせーいこーう大成功!」

「え? な、何なにナニ?」

「なんだよシンジ。まだ分かんないのかい? ドッキリだよ、ドッキリ」

「鼻水垂れとるぞい。みっともないのぅ」


 先に吹っ飛ばされたはずの七福神たちが、ニヤニヤしながら俺と杏奈の周りを囲んでいた。それだけではない。鬼の恰好をした奴とか、すんごいラフな普段着でヘッドホンを肩にかけている人とか、作業着の人とか、スーツ着た人とか、何だかよく知らない人たちも囲んでいた。

 吹っ飛んだ俺たちを受け止めてくれたのは、大きな救助用のマットだった。緊急時に高所から飛び降りるのを目的としたアレだ。テレビで見たくらいでしか知らなかったけれど、こんなに柔らかいものだったんだ。

 杏奈が「みんな、ありがとう!」と俺の腕からスルリと抜け出し、寿さんの手を借りて立ち上がった。俺もエイジの手を借りて立ち上がる。マットの空気は抜け始めているようで、足元をフラつかせながらどうにか地上に足を付けた。


「ここは……毘沙門堂じゃなかったのか」

「なかなかの再現度だったでしょう?」


 広い空間の中にポツンと建つ毘沙門堂。外観まで手を抜かずに再現してあった。堂の一部に穴が開いている。そこから俺たちは飛ばされたのだろう。寿さんが「ここは海宮城から少し離れたところにある撮影場じゃよ」と言った。そうか、海宮城の敷地内だったのか。そういえば、爆破シーンを撮影するために大きなスタジオを構えたという話があったなぁ。俺が子供の頃は、ヒーローものや警察ものやバラエティなどで惜しげもなく車や敷地を爆破していたシーンをよく見ていた。全部、同じような場所に見えたもんだよ。


「セットを組むのも大変だったんですよ。杏奈さんが、後から後から別の注文をつけてくるもんですから……」

「あら、それでもちゃんと言われた通りに仕上げてくれるのが、エベっさんの凄いところじゃないの」

「まぁ、そうですけど」

「ほんとじゃよ、我々もの我儘に付き合うのは大変じゃったぞい」

「何よぉ! じぃじたちだってノリノリだったじゃないの。顔に墨まで塗って欲しいなんて、私は言ってないからね!」

「まぁ、正直言って、ここまで上手くいくとは思わなかったよ。シンジが単純な奴で助かったな」


 エイジの一言で周りが大笑いの渦に包まれた。騙された俺としては顔を引きらせることしかできないけど、不思議と怒りは湧いてこなかった。むしろ、今まで悶々としていた何かが吹き飛んでくれたような感覚だった。


「さぁて、詳しい話は後だ。もう一度、あそこまで戻るぞ。そろそろ準備も終わった頃なんじゃないかな」

「準備?」

「ノブくんのバースデーパーティーよ。あのお堂から私たちが飛んで行った後、片付けと準備をしてもらうようトミーとレイレイに頼んであるから」

「レイレイ……って?」

「あ、間違えたわ。祥子ちゃんよ」

「祥子……さん?」


 また状況が把握できなくなってきた。

 まぁ、とりあえずは皆の言う通り毘沙門堂へ戻って、ゆっくりと話を聞くことにしよう。周りを囲んで祝福してくれたスタッフっぽい人たちが「じゃ、お疲れさーん」とか「せっかくだし、お前も食ってけよ。美味いもんが出るぞ」と、打ち上げムードで各々の持ち場の片づけをしている。


 戻って来た毘沙門堂の中は、ちょっとした立食スタイルのパーティー会場に変わっていた。セットって、こんなに早く変えられるものなの? そういえば、子供の頃に見ていた全員集合するお笑い番組では、セットが丸ごと回転してたっけ……あの応用かな?

 俺たちが戻って来たことに気付いたトミーが、未開封のシャンパンボトルを片手で振りながら「お疲れさまでした!」と呼び寄せた。すぐにパーティーが始まるのかと思えばそうではなく、まずは点呼を取って揃ったのを確認してから休憩。その間に、シャワーで汚れを落としたり着替えたりして、一時間後に再集合して式典の始まりだと告知した。


「その前に……これだけはやっておかなくちゃね!」

「杏奈?」

「レイレイ、用意できてる?」


 呼ばれて「はーい!」と応える涼やかな声。それに反応して、人だかりの一角が割れ道が開けた。奥から吉祥天の姿をしたままの祥子さんが静かに近づいてくる……両手で真っ白なホールケーキを持っていた。ロウソクなどは立っておらず、生クリームだけで覆われたシンプルなケーキ。それでも祥子さんが持てば、純真無垢なる特別なものに見えた。

 穏やかな笑顔を崩さず、真っ直ぐ俺を見ながら近づいてくる祥子さん。目前で立ち止まり、ニコっと首をかしげて「信治さん」と呼んだ。あまりの美しさと可愛さに動くことができないまま、俺は掠れた声で「は、はい」とようやくく応えた。


「どうして……?」

「はい?」

「どうして、私を選んでくれなかったのですかっ!?」


 それからの祥子さんは素早かった。両手で持っていたケーキを右手に持ち直し、振りかぶることもなく一歩踏み出してストレートに俺の顔へと突き上げてきた。避ける間など無い……俺はモロに顔面で受けてしまった。マジかよ?

 生クリームで視界が遮られた中、爆笑と歓声が俺の耳に入ってくる。すぐに顔を振ったり手で生クリームを落としたりするのは、ネタ的にタブーなことくらい分かっていた。だから俺は、とりあえず「す、すいません」と小さく呟いて、場を盛り上げることにした。


 杏奈は「これだけはやっておかなくちゃね」って言ってたけどさぁ、やる必要ってあるかい? ドイヒーだぜ――。

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