【第七話 ついに本格的な任務かしらん?】

 昼飯を終えた俺たちは、萌奈美の通う音楽教室へと移動した。萌奈美が幼稚園の頃から通っている教室で、年明け最初の稽古を一時間ばかり予約してあったようだ。練習しているところを「パパにも見てもらいたい」とお願いされたら、父親としては行くしかないだろう。


 もはや言うまでもないが、ここの音楽教室も財前ホールディングスの息がかかっている。教室のオーナーである杏奈も社長業のかたわら、特に有望な生徒や実力が伸びている生徒に目をつけては、ピアノやエレクトーンなどを含めた鍵盤系の指導者として未来の音楽家を育てていた。


 静かなレッスンルームの中、準備の整った萌奈美がスゥッと息を吸い、両肩を少し上げて十本の指を一斉に踊らせた。左手の低音に合わせて、右端から真ん中あたりへと滑り落ちるように右手の指が鍵盤を伝っていく。その動きに合わせて、チェンバロ独特の金属音が追いかけた。ピアノよりも古くから愛されてきた音色が、奏者だけでなく周りで聴いている者たちをも道連れにして、重厚で優雅なバロックの世界へと引きずり込んでいく。


 ――『サイクロプス(一つ目巨人)』


 詳しい事はわからない。誰の曲なのか、いつ頃の曲なのかもわからない。唯一わかっているのは、この曲のタイトルが『サイクロプス(一つ目巨人)』だという事。杏奈が若い頃に好んで弾いていた曲だった。付き合っていた頃に、彼女から曲の詳細を聞いたことがあったかもしれないが、もう今となってはすっかり忘れている。あれからウン十年……今は娘の萌奈美が杏奈の才能を受け継いで、チェンバロ奏者としての腕を極めようとしていた。


「萌奈美の演奏を聴くのも久しぶりだな」

「だいぶ上達したでしょう?」

「今だから言えるが、さすがは音楽を司る弁財天の娘といったところか? 杏奈の演奏も昔っから凄かったが、萌奈美にも弁財天の素質があるって感じだな」

「私の素質だけじゃないわよ。萌奈美には、素質だって入ってるのを忘れないでね。ノブくんが思っている以上に、萌奈美は特別よ」


 俺に音楽の才能があるとは思えない。しかし、今の杏奈の口ぶりに、少しだけ昔の甘酸っぱい夫婦生活が甦った。俺の素質も……うん、俺様の素質もたっぷりと入っていると断言しよう!


 萌奈美の十本の指が、縦横無尽に鍵盤の上を駆け巡る。滑らかで心地良い序盤から禍々しいメロディへと変化するパートは、古来より伝えられてきた粗暴な一つ目の怪物を召喚する呪文にも聴こえた。


「さっき、電話があって外に出たでしょ? あれね、七福神の仲間からだったんだけど、ちょっと困ったことになったのよ」

「困ったこと?」

「恵比寿天のエベっさんがいる海宮神社に、シャークロプスが目を付けているっていう情報が入ったの。大きな被害が出る前に、ノブくんと大国さんで退治して欲しいんだけど」

「なんだよそれ」


 萌奈美の左手と右手が上下に重なり、それぞれが意思を持った触手のように高音部分の鍵盤を荒々しく叩いている。演奏も中盤にさしかかったところだ。一体だけでは飽き足らず、もっと多くのサイクロプスを召喚するために、一つ、二つ、三つと小さな魔方陣が続々と描かれていくような調べだ。


「シャークロプスってのは、何なんだ? 聞いたこともないぞ」

「サメを神格化した邪神で、上顎の先端に大きな目を一つ持っているのが特徴よ。サメだから泳ぎは達者だけど、陸に上がっても足を生やして自由に行動できるの」

「足ぃ?」

「潜水艦に足が生えたようなものかしらね」


 なんか、そんなような形態でインパクトを残したアニメがあったなぁ……あれは飛行機に足が生えていたけれど。サメの上顎の先端に大きな目っていうのも、そこから波動砲みたいなのが出てくるような別の既視感を覚える。ずいぶんとチートな能力を持った邪神にも思えてくるではないか。


「数は多いのか?」

「私が得た情報だと、下界に降りたシャークロプスは五体ほど確認されてるらしいのよ。大きな目で隠れた財宝や貴重品を見つけては、獲物へ襲いかかり奪っていくような奴らでねぇ。海宮神社を狙ってるってことは、エベっさんが造っている『金の麦』が今回のターゲットだわ。毎年お正月に造る限定のお神酒に入ってるものよ」

「酒の材料が財宝なのか?」

「シャークロプスにとってはね。その原料を飲めば、一つ目の透視能力が上がると言われているの。私たちが飲んでも、効果は無いけど……ノブくん、今ヘンなこと考えてたでしょう? 右の眉毛が上がったわよ」

「勘違いするな。萌奈美の演奏に痺れているだけだ……」


 俺も飲んだら……と即座に思ったのは伏せておこう。

 萌奈美の演奏も終盤に近づいていた。序盤で聴いたメロディが、第二波となって繰り返される。左手の重低音が力強く鳴り響き、右手の動きがさっきよりも速く動いているかのようだ。召喚された複数のシャークロプスが、我が物顔で大地を次々と蹂躙し、金銀財宝を奪っているシーンが浮かぶ。おや? なんだか脳内のイメージが混同してきたぞ?


「海宮神社って、たしか無人の小さな島の上にあったよな。目を付けている状態って事は、まだ奴らは島に上陸してないんだな?」

「えぇ。今は七福神めぐりのシーズンでしょう。だから、たくさんの参拝客が島に入ってきてるところを狙われる前に、海の上でなんとかして欲しいのよ」

「毘沙門天としての役儀の一つだな。いいだろう」


 寿満寺での訓練とも違うし、マーラが登場したイレギュラーとも違う。まだ修行中の身だが、毘沙門天の役儀を果たす本格的な依頼が初めて入ったとも言える。ここでシャークロプスとやらを倒さなければ、俺が毘沙門天を続けていく価値も無い。ここが試金石だ!


 やる気が漲った俺の背中を押すかのように、萌奈美は体全体を使って両手を鍵盤に叩きつけた。ピタリと決まるラスト。「ジャ、ジャーン!」と力強く終えた娘の表情は薄く笑っていた。それはそれはもう昔の杏奈にそっくりで、興奮が高ぶり上気した頬と、熱っぽい切れ長の目からは、年齢に似つかわしくない色気と狂気がにじみ出ている。そんな萌奈美と目が合った……どことなく「さぁ、私の召喚したシャークロプスたちを倒してごらんなさい」と、俺を挑発しているようにも見えた――。



【第四章 元奥様は弁財天☆――了】



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