【第六話 筋道の立たない屁理屈】
映画『ザ・セブンゴッデス ―破壊寸前の宝船―』は、下馬評通りの面白さと感動で幕を閉じた。新たに導入された『4D』と呼ばれる体験型の観賞スタイルも好評を得た理由の一つだと言える。色々な特殊機能を備えた座席(ムービングチェア)が上映のアクションに合わせて動くという仕組みで、背凭れの部分に取りつけられた重低音スピーカーやエアノズルなどが、衝撃を模した低い音の振動を体内へ送ったり、風や香りを出して臨場感を盛り上げたりしてくれる。
そして、この映画から新たに使用された『改良型スマートメガネ』が、映画の迫力を更にパワーアップさせていた。従来の『3Dメガネ』は、一部のファンから画質が粗いとか、ボヤけて見えるとか色々と不評を買っていたのだが、我がキャリアストロー社が名乗りを上げ、より鮮明に、より立体的に見えるクォリティのアイテムへと改良する事に成功したのだ。
ついでに言えば、我々の住む宮国県一帯の映画館を管理しているのは戝前ホールディングスの子会社である。既に大都市の映画館で話題となっていた「座席を動かして観客を楽しませる」というアイデアを提案し、導入まで漕ぎつけたのは杏奈の手腕によるものだった。上映中に揺れや風の動きを体験しながら「さすがは、ウチのシステムね」と小声で満足気に何度も頷いていたけれど、相槌を打つのが面倒だったので気付かないフリをしていた。まぁ、俺も「さすがは、ウチで作ったデバイスだ」と、しきりに改良されたスマートメガネに至極ご満悦だったけれども。
「今日は牛丼じゃなくて、生姜焼き定食にしようかなぁ。パパはいつものやつ?」
「そうだな。大盛り一丁にしよう」
「ママは初めてよね? ここは、牛丼以外のメニューも充実してるのよ」
「そのようねぇ。私は、このキムチチゲ豆腐のセットにしようかしら」
映画の後は飯だ。萌奈美のリクエストで、行きつけの牛丼屋へ来ている。ずっとムービングチェアに座っていたせいか、腹の減り具合が半端ない。振動でカロリーを消費していたのだとしたら、それは凄いダイエット器具でもあると言えるが……そんなわけないか。
「ねぇ、ママ! 今、お店の人が『大盛り一丁、つぼふたちょう』って言ってたの聞こえた? あれって『つぼ』って聞こえるけど、実際には『都合』って言ってるんだって。パパにこの前教えてもらったんだ」
「ふぅーん」
杏奈の「ふぅーん」に何となくトゲがあるような気がする……もう一度主張させてくれ。萌奈美のリクエストだぞ! 確かに牛丼屋ばっかりだと昨日も杏奈から指摘を受けたが、常に俺から「行こう」と誘っているわけじゃない事は理解してくれ。
「あら、今日はオフって言ってあるのに誰かしら? ちょっと席外すわね」
杏奈がスマホを手にして店の外へと出ていった。ホールディングスのトップともなると、オフだろうが何だろうが仕事絡みの電話を受けなければならないのだろう。俺たちが注文したものが順に運ばれてくる。杏奈がいない隙に、萌奈美がキムチチゲ豆腐をつまみ食いし「うひー、辛いー!」と大袈裟に顔を歪めていた。
「そんなに辛いのか?」
「すっごいよ! パパも食べみてよ」
「いや、俺は止めておこう」
「んもぅ、ビビリなんだから。じゃあ、代わりに私がもう一口食べちゃおうっと!」
「そんな食うなって。杏奈が怒るぞ」
「大丈夫よ。私の生姜焼きをママに少しあげるから。ねぇ、ちょっと聞いていい?」
「なんだい?」
「どうしてママと再婚しないの? そんなに悪い雰囲気でもないのに。ママはウェルカムだって言ってたよ。私はパパとママが一緒の方がいいと思うな。うー、辛い!」
「…………」
もうすぐ高校生ともなると、質問も胸元を抉るようなストレートが飛んでくるようになるものだ。萌奈美には前にも何回か離婚の理由を騙し騙しで答えたことがあるけれど、オブラートに包み過ぎて話すせいで上手く伝わってないのかもしれない。母娘同士でいる時間の方が長いし、母の口から出た言葉が正しくて、俺の言ったことなんか数日後には記憶に留まってないんだろうなとも思ったりする。
離婚に至るまで、特に杏奈との結婚生活が悪かったわけではない。お互いの仕事も順調で、萌奈美が産れた後も大きなストレスや混乱を抱えたことは無かった。全く無いと言うには語弊があるけれど、ノイローゼとかになるほどではなく、仕事、家庭、育児、それなりにバランス良く二人で担当を設けて暮らしていた。
無駄に器用な俺は、卒なく良い亭主を演じていた。身近な家族だけでなく、生前の杏奈の父親とも酒さえあれば肩を組んで飲みあかせる時間を共有していたし、海外出身である杏奈の母親や、多くの財前家の親族たちとも上手くやっていた。しかし、俺の心の奥底では、時々もう一人の俺が現れて男の美学のようなものをチラつかせていたのである。
――こんな順風満帆な生活でいいのかい?
順風に乗る事を潔しとせず、逆風に向かって斜めに切り上がりながら回り道をしてでもゴールを目指す帆船のような人生。何故だかわからないが、アラフォー世代にはこういった奇特な考えを好む者が多い。俺もその一人だった。
大企業の社長令嬢を妻に持ち、娘にも恵まれ、金や物に困らず好きな事ばかりを仕事と称してやり続ける日々。離婚して転職する前の俺は、杏奈の父親が経営する会社で形ばかりの役員をしていた。それなりに役員としての決定権は与えられていたが、自らのアイデアや抜け駆けのような行動は許されず、俺の言葉は役員会議まで届く事は無かった。もう一人の俺はそれが気に入らなかった。
結婚生活においても一家の長としての権限は無いに等しかった。所有する家や車、家財道具から俺の私服やスーツに至るまで、全て財前家(特に杏奈)の好みが入っている。俺の好みや意見は取り上げられる事が無かった……いや、訂正しよう。時々は俺の意見も採用される事があった。杏奈は極端な独裁者気質ではないけれど、自分の意見を押し通したい時は手段を選ばない。そんなタイプだった。「大丈夫よ。私に任せておけば間違いないから」という杏奈の口癖が、俺の反抗心を燃やすのだ。
――男には自分の世界がある。例えるなら空をかける一筋の流れ星。
世界を股にかけて活躍した大泥棒の言葉だ。いや、厳密に言えば、大泥棒が発したものではないかもしれないが……ともかく俺は、もう少しだけ自分の世界に浸っていたかったんだよ。それが離婚の理由だった。結局、俺は一花も咲かせることができずに、今もフラフラとした人生を送っているけれども――。
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