【第十話 無我夢中】
マーラが取り憑いた祥子さんの左頬に、寿老人である白い寿さんの右ストレートがモロに決まる。衝撃で顔が歪むが、それでも醜いと思えないのは彼女の造形美によるものなのか、単に俺の脳内構造が壊れているのかは謎だ。強いて言うならば、「恋は盲目」と呼ばれるやつだろうか。
「んもう! 痛いわね! 骨格まで崩れたら、元の顔に戻せないじゃない!」
「ふんっ! 減らず口がうるさいのぅ」
いや、祥子さんの美しい造形が戻らないのは困るよ寿さん。よく「人は見た目じゃない」って言うけれど、見た目だって大事なんだよ。あぁ、また左フックが……。
「ちょっと! 服もボロボロじゃないのよ! このエロじじい!」
「ふふんっ! お主の体ではないじゃろう。減るもんじゃないし……ゲフンゲフン」
福禄寿である黒い寿さんも加勢に入った。こっちは力任せと言うよりも、手刀を鋭く繰り出して切り刻んでいる感じだ。上手い具合に服が裂けて、祥子さんの白い肌をよーく拝む事ができる。アラフォーともなると、素っ裸よりもチラリズムに大いなる興奮を覚えるものだ。ん? これは俺だけの性癖かな? それよか、黒い寿さん……「ゲフンゲフン」って、わざとやってるのかよ。
「もう良いじゃろう。やるぞ、寿老人!」
「おうっ! オン・バザラ・ユセイ・ソワカ!」
白い寿さんが真言を唱えて力を蓄え始めた。実際に見えているわけではないが、そのポーズは背中から気合いのオーラが出ているようにも見える。同時に、白い寿さんの体全体が少しだけ大きく盛り上がってきたような気もしてきた。
「オン・マカシリ・ソワカ!」
黒い寿さんが再び黒い霧を噴いた。やっぱり口臭だよな……至近距離で霧を浴びたせいか、祥子さんも露骨に嫌な顔をして鼻をつまんでいる。しかし、これで動きが封じられた事に変わりは無い。
祥子さんが怯んだ隙に、黒い寿さんは白い寿さんへ振り向き猛ダッシュで走り寄って行った。速い! 真言を唱えるだけで、こんなにスピードが上がるのか。このままだと、黒い寿さんが白い寿さんへ突撃する形になるけど……何をするつもりだ?
「ウン・ヌン・シキ・ソワカ!」
「ウン・ヌン・シキ・ソワカ!」
白と黒の寿さんが、同じタイミングで同じ真言を唱えた。
黒い寿さんが跳び上がり、両足を鋭く伸ばして錐もみ回転をしながら落下する。まるで、白い寿さんに向かってドロップキックをお見舞いするかのようだ。大丈夫なのか? 白い寿さんは、それに応じるようにシュタっと仰向けになって両足を上げたけど……この態勢は、まさか――。
俺は小学校時代を思い出した。あれは掃除の時間……床を拭く作業の時に友達とコンビを組んで、今の寿さんたちが見せているような遊びをやった事がある。膝を曲げた状態から互いの両足をくっつけて、「せーの!」の合図で同時に曲げた膝を伸ばすんだ。個人差はあるが、床のコンディション次第ではイイ感じで滑ってくれる。当時もの凄い人気だったサッカー漫画で、主人公を苦しめた双子の大技を真似たものなのだが……技の名前は何だったけな? スカ……スカイラブ……なんちゃら。あぁ、歳は取りたくないものだよ。
「ふんっ!」
「ぐっ! ぬぅぅ!」
寿さんたちの両足がピタリとドッキングする。ぶつかった衝撃を吸収するかのように互いの両膝が曲がり、その反作用を最大限に発揮させるためギリギリまでパワーを溜めているようだった。しかし、それも束の間。「はああぁぁぁ!」という二人の気合いと共に、四本の足が伸びきった。
発射台となっていた白い寿さんが、反動で背中を擦りながら後退する。圧倒的なパワーで放たれた黒い寿さんの方は、矢のような勢いで真っ直ぐ祥子さんへと向かって行った。床を滑るとか、そういう類ではない。一人の爺さんが重力を無視して飛んでいる様は、ちょっぴり滑稽に見える。
――ドゥッ!
黒い寿さんの禿げ頭が、祥子さんの腹部へと埋まった。勢いで祥子さんの体も宙に浮いたが、思ったほど弾け飛ぶような事にはなっていない。その反面、衝撃がモロに体内へ吸収されてるんだろうな……祥子さんが耐え切れず「おぇっ!」っと嘔吐いている。何だろう? 祥子さんの口から紫色の煙がモクモクと出てきたぞ。キラキラのモザイクとかは……必要なさそうに見えるが――。
「今じゃっ! 宝塔を開けるのじゃ!」
「えっ? あれか! おうっ!」
あの紫色の煙がマーラの正体……ただの煙みたいだけど、あれでいいのかな? ああいった類の煙って、よく悪い顔つきをした形になったり、どこからともなく悪そうな声が聞こえてきたりするのがセオリーのようにも思えるけど……いいんだな?
俺は宝塔の蓋を開けて、掃除機のスイッチをオンにするイメージを抱いた。もの凄い吸引音が耳元で鳴り響く。うるせー! なんだコレ? テレビ通販で吸い込みの優秀さを見せる反面、音がうるさいのがデメリットでしたっていう品質の掃除機と同じじゃねーか!
――グオオオォォォォォォッ!
あまりにも吸引音がうるさくて集中力を欠いていたが、マーラと思しき悪者の断末魔のような声が微かに聞こえてきた。祥子さんの口から出てきた紫色の煙が、グイグイと宝塔の中へ吸い込まれていく。初めての体験という戸惑い、そして俺の方へと勢いよく迫る煙の恐怖心、どうすれば終わるのかも冷静に考える事ができないまま、俺は無我夢中で全ての煙が宝塔に吸い込まれるのを待った――。
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