【第二話 堪忍袋】

 布袋尊は、七福神の中でも他の六柱とは違った特徴がある。中国に実在した禅僧がモチーフとなっているのだ。本来の名は「契此(かいし)」というが、いつも大きな布の袋を持ってウロウロとしていたので、巷からは「布袋」という俗称で呼ばれていたのが由来らしい。普段ならば、恰幅の良い太鼓腹で笑顔を絶やさないイメージが浮かぶはずなのだが、俺の目の前にいる布袋尊は恰幅の良さだけが似ている某艦長のコスプレ男にしか見えない。威厳のある役になりきっているせいで、笑顔もゼロだ。


「吾輩の船、バルコ・デル・テソーロ号の乗り心地はいかがかな?」

「揺れも少なくて快適です。見た目も素敵だし、宇宙船に乗ってるみたいですわ!」


 既に俺たちは、トミーの船に乗り込んで宝船島を後にしていた。大きさは百人くらいが乗れそうな遊覧船のサイズだが、目を見張るべきはそのデザインだろう。祥子さんが「宇宙船」と称するように、この船はだいぶ近未来的なフォルムをしている。薄っぺらいホバークラフトと言えば近いかな……トミー曰く「ゲンゴロウをイメージしたものなのだよ」と言っていたが、今どきゲンゴロウなんて知らない人の方が多いんじゃないだろうか。


 一面ガンメタリックで塗られた流線形のボディに、両サイドのラインを一枚ガラスではめ込んだ高級感あふれる仕上がりは、今までの遊覧船のイメージから大きく逸脱していた。さすがに手足や触角の類は見当たらないが、左右の半球型をした窓がゲンゴロウの「目」の位置に取り付けられていて前方の視界を広くしていた。


「数は少ないが、後ろの方はコンパートメント(個室)になっている。革張りのソファで寛ぎながら、ワンランク上の時間を過ごしてもらうのが特徴の一つだ」

「水上バスなのに、ずいぶんと贅沢な仕上げだな」

「流れはハイグレードビジネスに傾いているのだよ。鉄道などもそうだろう」

「なるほどなぁ。おいらの店もハイグレードな内装にしてみたくなったよ」

「是非やってみたまえ。口コミの効果も期待できるはずだ」


 そう言いながら、トミーはシャンパンのコルクをスポンと抜いて、四つのシャンパングラスに次々と注いでいく。今日は俺たち四人しか乗ってないから自由にやっているけれど、通常はコンパートメントを予約したお客さんに振る舞うものらしい。


「トミー……って、俺もそう呼んでいいのかな?」

「あぁ、構わないよ」

「シンジよ、おいらたちはトミ子って呼んだりもするんだぜ」

「そ、そうなのか……」

「まぁ、気にすることはない。吾輩は度量が大きいから、全て堪忍袋の中に詰め込んで笑っているさ」


 なんで「トミ子」と呼ばれていたのかは聞かない方が良いのかな? 俺は、改めてトミーの脇に置かれている大きな白い袋を指差して尋ねた。


「それが堪忍袋ってやつかな? 初めて見たけど、けっこう大きな袋なんだな」

「私も初めて見ました。その袋の中には何が入ってますの?」


 確か、布袋尊は寺に定住することがなく、方々へ泊まり歩いていたという説があった気がする。その際に色々と施しを受けて、持ちきれなくなったら袋に入れ込んでいたとかなんとか……しかも、中には生臭いものまで構わずに放り込んでいたという話さえある。さすがに、あれは言い伝えであって、俺たちの目の前にある袋の中は違うものが入っていると思いたい。


「着替えが入っておるよ」

「へっ? きがえ?」

「あ、いや……ウホン! 人生における大事や小事、福徳から愚痴や怒りまで。あらゆるものを詰め込んでおる。カオスにも感じるだろうが、実のところは見る者によって中身が変化しておるのだよ」


 今「着替え」って言ったよね? その艦長っぽいコートも昨日までは袋の中に入ってたんじゃないのか? 袋の中で変化しているのは、真理じゃなくて衣装のような気がする。もしかしたら、トミーのことを「トミ子」と呼んでたのにも関係があるんじゃ……いやいや祥子さん、そんなマジマジと説法を聞くような顔をしないでくれ。キリっとした口元は魅力的だけれど。


「と、ともかく、吾輩にとっては大事な袋なのだよ。まぁ、一杯飲みたまえ。なかなか味わえる代物ではないぞ」

「おぉ! これってドンペリかい?」

「さすがは酒好きの大黒天だね。コンパートメントの料金を少し高めに設定してあるから、これくらいのサービスはしなくちゃいけないと思ってさ。それと、もう一つの艦の売りとなっているルーフデッキにも上がってみるといい。風が気持ちいいよ」

「わぁ! 信治さん、ルーフデッキですって。後で上がってみましょうよ!」

「そうですね。なんだか、本当にクルージングの気分だな」


 堪忍袋の詮索はこれくらいにしておいて、俺はクイっとピンク色のドンペリを一気に飲み干した。チリチリとした刺激は少なく、幾重にも重なったレースのように繊細で複雑な口あたり。鼻に抜ける香りは深く、ほろ苦くも心地良い余韻が――。



 ――グワン!



 突然、俺の視界がボヤけ始めた。酒と同時におかしな薬でも飲んでしまったかのような感覚が脳内を駆け巡る。遠くから「また、やっちまったのかい?」という心の声も聞こえてきた。二度あることはナントヤラ……下戸だった事を忘れていたわけではないが、シャンパンだったら大丈夫だろうという油断はダメだね――。



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