【第三話 ロマンス・デッキ】
「おや? ドンペリは口に合わなかったかい?」
「信治さん、大丈夫ですか?」
「あ、あはは……どうも高級な酒に慣れてなくて……」
高級だろうが甘酒だろうが……なんて言い訳してる状況じゃないぞ。俺は近くの椅子に腰かけてフラつきを抑えた。酔いの間隔が今までと全く違う。きっと船に乗っているからだろう。
「なんだ、シンジは酒が弱いのかい?」
「なんと、毘沙門天は酒が弱いのかね?」
「……船……酔い……だ、たぶん」
「信治さん、少し落ち着いたらルーフデッキまで上がってみませんか? 海風が気分を良くしてくれるかもしれませんよ」
「あ、あぁ……それはいいですね。ちょっと行ってみましょうか」
大丈夫ではなかったが、エイジとトミーに足元を見られるのが嫌だったので、俺は強がりでスッと立ち上がりルーフデッキに通じる階段へと歩を進めた。ムッとした感情が全身を駆け巡ったおかげだろうか、朦朧とした意識も階段を上る頃にはハッキリとしていた。
「わぁ! 気持ちがいいー!」
「ぬぉっ! これは凄い風だなぁ。一気に酔いも醒めそうだ」
ルーフデッキから一望できる景色は海、海、海。遠くで小さな島らしき影も見えるけれど、船が向かう目的地ではなさそうだ。頬に当たる風が心地良い。長居してたら風邪でもひいてしまいそうだが、火照った体を冷やすのにはピッタリだった。
祥子さんが「信治さん、あちらの前の方へ行ってみませんか?」と言いながら、小走りで俺から離れていく。船の先端部分に着くと、クルリと振り向いて「信治さん、早く早くー!」と手を降った。はしゃぎっぷりが凄くイイ!
「祥子さん、そこまで入ったら危ないですよ」
「信治さん! ほら、早く!」
祥子さんが手招いている。デッキの先端部分の更に先……五段ほどの鉄の階段を上がって、三人くらいしか立っていられなさそうな広さのところで、祥子さんは俺を待っていた。船員が前方を見張るお立ち台のような場所だが、ここは立ち入り禁止というわけではないのかな? 真っ白に塗られた階段や手摺りが眩しい。祥子さんの笑顔も眩しい。
「わぁ、気持ちイイ! 信治さん、しっかり支えて下さいね!」
「え? ちょっと……おいおい」
祥子さんが無邪気に両手を広げて、デッキの柵から体を乗り出そうとしていた。俺は慌てて祥子さんの後ろからお腹のあたりへ手を回し、彼女が海へ落ちないように支えた。おぉ! この体勢は……!
「飛んでる! 信治さん、本当に飛んでるみたい!」
「…………」
名画のワンシーンを彷彿とさせるじゃないか。あのシーンでは、オレンジ色に光る夕日を浴びながら男の方がエスコートしてヒロインを驚かせていたが、眩しい直射日光を浴びる中で祥子さんの決めポーズと俺が彼女を支える姿は、間違いなく豪華客船が沈没するまでの短い間に両想いとなる名作の有名なシーンだった。
俺と祥子さんは、しばらく無言で心地良い海風を浴びながら前方を眺めていた。支えている両腕に、もう少しだけ力を入れてみる。「離さないよ。永遠に離さない」みたいな気持ちを込めて、さらにギュッと祥子さんのお腹を締め付けた。風に靡く祥子さんの髪からチラつくうなじが艶めかしい。鼻を近づけてクンクンと祥子さんの匂いを嗅いだ。ドンペリの勢いも手伝ってか、男がオスに変わってしまいそうなモヤモヤが湧いてきた。
名画では、この後に熱いキスシーンがある。期待していいのか? 祥子さんから振ってきたネタだぞ。いいのか? いいんだな? このまま祥子さんを振り向かせて、アゴクイからの……からの? ん? 何だ?
前方でキラリと何かが光った。点のように小さな光だったが、俺の直感が「危険」と察知していた。あの光は俺たちに向けて放たれたものに違いない。ゾワっと背中が痺れた。
「祥子さん!」
「えっ? きゃあ!」
俺は祥子さんに巻きついている自分の両腕をロックして体を反らせた。俺も祥子さんも五段下の鉄製の甲板に向かって落ちてゆく。ったく、せっかくの雰囲気が台無しじゃないかよ。これじゃあ、トップロープからの雪崩式ジャーマンスープレックスじゃないか。このままだと、二人とも脳天をカチ割りかねない。俺は反った体を捻らせて背中の右側から落ちるように体勢を変えた。もちろん祥子さんの体は甲板に当たらないよう、捻りにも加減を加えてある。
――シュピイイィィィン!
二人の体の真上を、黄色い光が通り過ぎていった。アレに当たっていたら二人はどうなっていただろうか? ひょっとしたら何ともなかったかもしれないが、下手したら二人とも消し飛んでいたかもしれない。ここは「危険」と判断した俺の直感を信じたい。
「祥子さん、怪我はありませんか?」
「いたたた……信治さん、いったいどうしたのですか?」
「すいません。なんかレーザーみたいなものが俺たちを襲ってきたみたいで」
「レーザー……ですか? いったい、どういうことですの?」
祥子さんは、せっかくのムードを壊されたせいなのか、それともジャーマンスープレックスを決められたせいなのか、ちょっとムッとした表情で俺を睨んでいる。そんな顔も可愛いけれど、今はそんな感情に浸っている場合ではなさそうだ。
「祥子さん、まだそのまま横になってて下さい。立ったら危険だ」
「どういうことですか?」
「まずは俺が先に立ちますから、説明はその後で」
良い意味でドンペリがまだ効いている。体よりも脳が活性化しているおかげで、痛みやアラフォー独特の鈍さを感じる事なくヒラリと体勢を整えて立ちあがった。さっき感じた背中の痺れが再び走り、ゾワリと新たな「危険」を察知する。目だけでその方角をチラリと見やると、今度は光だけでなく光線を放つ物体もしっかりと把握することができた。
「くっ……!」
「信治さん!」
俺は光の軌道から避けるようにサッと右へ飛んだ。ゴロゴロと甲板の上を転がる姿は決して恰好良くないが、避けれただけでも上出来だと思いたい。いつまでもドンペリの勢いを借りていることはできない。早いとこ毘沙門天へと変身しなければ。
それにしても……なんだか俺の恋路って邪魔されてばっかりな気がする――。
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