七福神。XR
愛宕平九郎
第一章 毘沙門天様お願い☆
【序幕】
――七福神巡り。
江戸時代に始まった風習で、七福神を祀った寺社仏閣を巡る事である。
巡る期間は、家に歳神様が滞在している『松の内』と呼ばれる間が望ましいとされている。地域によって異なるが、だいたいは元旦から……関東では七日まで、関西では十五日まで。この期間に、七福神が祀られている寺社仏閣にお参りすれば、七福神からの加護を受け、福を授かると言われている。
もともとは江戸(東京)が発祥のイベントだったが、町おこしやトラベル企画、御朱印ブームなどで少しずつ脚光を浴びはじめ、現在では日本全国の各地域で、巡りやすい区域間の寺社仏閣と自治体が手を取り合い、多くの人たちに七福神巡りを楽しんでもらうよう色々な工夫を凝らしながら進化し続けている。
では、七福神とは何か? 神様の名前くらいは耳にした事があるかもしれない。
七福神は、古くから幸福と財産の神様として信仰されている七柱(神様は「人」ではなく「柱」で数える)の神様のこと、すなわち――。
・大黒天――打出の小槌を持つ神様。農業では五穀豊穣。商業では商売繁盛。
・毘沙門天――鎧を着て宝棒と宝塔を持つ戦いの神様。病や災難を祓う厄除け。
・恵比寿天――釣り竿と鯛を持つ神様。漁業では大漁追福。商業では商売繁盛。
・弁財天――琵琶を弾く女神様。芸事や音楽の成就。財や富をもたらす。
・布袋尊――大きなお腹の大きな袋を持つ神様。良縁や子宝の成就。
・寿老人――長寿の象徴である桃を持ち鹿を伴った、健康と長寿の神様。
・福禄寿――幸福【福】、財産禄【禄】、寿命【寿】の三つの徳を持つ神様。
この七柱が基本となっているが、地域によっては異なる神様がエントリーされていたりもする。何故、七柱なのか? これは、仏教経典の「七難即滅、七福即生――七難を消滅すれば、七福が生じる」という教えから生まれたものだ。
さらに詳しく紐解けば、七福神の――。
「ふーん。神様の名前は全部聞いた事があるけど、なんとなくご利益も被ってたりするから、少しややこしいわね」
「まぁ、そんなに深く考えなくてもいいよ。興味深い神様はいたかい?」
「そうね、やっぱり毘沙門天かしら。強そうだし、この中だったらイケメンの類に入るんじゃない? 頼り甲斐のある方が、男も神様もありがたいわね」
「ははは、そうくると思ったよ。弁財天は女神だからともかく、他のメンズたちだって頼り甲斐はあるんだぜ。なんたって神様なんだからな」
「当たり前のこと言わないでよ。中でも毘沙門天がイケてるって事よ。ぽっちゃり系やお爺さんの魅力は、今のわたしにはわからないわ」
「へいへいっ……と、んじゃ毘沙門天でいいかい?」
「いいわ。そうしてちょうだい」
わたしは、コートを脱いで別室に移った。そこは白い壁に覆われた小部屋で、真ん中に大きな一人掛けのソファがわたしを待っている。行きつけのアトリエなので、部屋の暖房や加湿の状態は、ちゃんとわたし好みに調整されていた。これなら、ノースリーブのワンピースだけでも過ごせるわね。
柔らかいソファに座り、脇に用意されていたヘッドホンをつける。ポーチからスマホを取り出し、ブルートゥース機能を使ってヘッドホンと連動させ、予め用意してきたプレイリストをタップした。
選んだ楽曲は
優雅でのびやかなメロディが、わたしの脳内を癒してくれる。同時に、これから没入する七福神の世界を……特に毘沙門天のイメージを強く映し出してくれた。
――毘沙門天……毘沙門天様……わたくしは、あなたをお慕い申しております。怒れるような表情。でも、その奥には優しさに溢れた慈悲の心が見えますわ。また、輝かしい甲冑の中にある肉体には、どのような傷跡があるのでしょうか? それは勇気の証でしょうか? それとも悲しみの遺恨でしょうか? わたくしの毘沙門天様に対する興味は尽きませぬ――。
イメージしている毘沙門天の輪郭が、脳の中で鮮明に描き出されていく。それはやがて、わたし好みの彩りに染め上げられ、静止していた姿が動き出すほどの妄想へと変わっていった。
メインの篳篥とバックコーラスのように奏でられたストリングスの音が、徐々に大きく盛り上がりを増してきた。歌で言えばサビと呼ばれるパートだろうか。わたしは曲の盛り上がりに合わせて深呼吸し、さらに毘沙門天への想いを増幅させていく。だいぶイメージが固まり、気持ちも昂ってきた。もう一息だ――。
「はい、ちょっといいかな。準備できたんだけど」
パッとヘッドホンが強制的に外され、優雅な曲と同時に、毘沙門天の世界へと入り込んでいた妄想が消えてしまった。
「ちょっと! いいところだったのに! もう少しイメトレさせてよ」
「わりぃわりぃ……まぁ、時間はたっぷりあるんだ。それは俺の説明の後でゆっくりとやってくれ」
そうだった。ここは、わたしの部屋ではない。
わたしは軽く溜息を吐いて姿勢を正した。外されたヘッドホンの中で流れ続けている曲も、スマホで一時停止させる。
「どれくらいかかりそうなの?」
「腕だからね。それほど時間はかからないよ。ただ、アトリエは君のために他の予約を入れてないから、終わった後も好きなだけいてもらって構わない。納得のいくまで瞑想してくれ」
「あら、嬉しいこと言うじゃない。じゃあ、よろしく頼むわね」
わたしは左腕を差し出すようにして、ソファの背にゆっくりと体を沈めた。どうせまた、いつもの軽い説明なので、目を閉じて聞いてるフリでもしておけば大丈夫。後は勝手にしてちょうだい。
ヒヤっとした感触が、わたしの左腕を湿らせていく。エタノールの匂いは嫌いじゃない。わたしはそれを体中に染み込ませるように、大きく息を吸いこんだ。意識が飛んでしまったわけではないけれど、近くで説明しているはずの男の声が何となく遠くから聞こえてくる――。
――じゃあ……はじめようか――。
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