第4話 初遠国御用と誤解

 允景は明楽本家の屋敷の庭に面した一室で、恰幅の良い壮年の男、明楽茂晴の前で佇まいを正していた。

「新之助、面をあげよ」

 繁晴は元の仮名で声をかける、声音に少し戯けた音が交じる。

「京の支え役との目通りをせよ、会所の下役として二条の会所への用付を持たせる、しばし京を見て参れ」と允景を見据え、言を促す。

「承知つかまつりました、大事些事、抜かりなく努めさせていただきましょう」

 允景は再び平伏した。


 允景は江戸と関八州の探索には加わったことがあるが、遠国となると初めてである、遠国御用の初手は各地の支え役と誼を通じる事である。御庭番は探索する現地で助けとなる人と物を揃え、協力を得ながら探索を進める、徹底的に用意をした後に探索御用となるのだ。允景は歩み去ってゆく最後に見た父の背を思い出すと同時に、今まで茂晴が温情をもって扶育してくれたことに思い至った。


「急くな、ゆるりと道行きせい……允次が息災であればなぁ」

 茂晴は庭の先へ視線を動かし、懐かしむように庭の松の枝を見上げた。



 和薬種改会所のすぐ近く、日本橋の本町に店を構える薬種仲買の播州屋は、ここ二十年で急に商いを広げ、株仲間を多数取りまとめるまでになった。その商家の客間で、太田家用人岩崎主税と嘉右衛門が相対していた。


「伊勢町の会所役人が先例なく二条会所に遣わされたと……」

 播州屋嘉右衛門がと呟くように唸った。

「それも御家人ながら若くして下役に登用された本草学と算術に秀でた英傑……」


「用件は伝えた善きに計らえ」

 岩崎は言い捨て、席を立った。嘉右衛門は平伏した後、見送りの気配が店先から消えるのを待つ。


「岩崎様、こちらを……」

 番頭の声が聴こえてから、少し間を開け「手代の伊助を」と奥に声をかける。暫しの無聊ぶりょうに茶を取ろうとして、冷めているのに気づく。

「茶を入れかえておくれ」

 女中が来るまで茶の表面が揺れるのを見つめていた。

「潮時かねぇ」

 嘉右衛門はぽつりと漏らした。


 播州屋は堺で薬種を扱う店を持っていたが、太田家の藩領の薬種を江戸で販売する権を独占すると、日本橋本町に本店を移した。以前より、太田家を介して京の二条和薬種改会所の役人と懇意になっていたが、江戸に出る際に、二条和薬種改会所で集められた高価な薬種を、密かに横流しにし江戸で裁くことを持ちかけられた。見返りとして、播州屋が薬種を収める商家が作った薬を調べる際に、融通を聞かせる約定がなされた。後ろ盾となった太田家は猟官りょうかんの為のまいないを受け取った。


「帳簿を改められると厄介だねぇ、少し時間を稼がせてもらおうか、鈴鹿は太田様と競っている本多様のお膝元となると悪手、駿府より前の箱根と……あちらの住人に頼むとなれば足元を見られそうだが、背に腹は代えられないね」

 嘉右衛門は手箱から切り餅を取り出す。

「御家人上がりの役人なら、このくらいで口止めも兼ねてもらわないと……太田様には茶坊主の白扇代、右筆あたりへの献残屋けんざんやの払いも出しておこうかね」

 続けて切り餅をもう二つ取り出し、重みを確かめるように、ゆっくりと盆に並べる。先までの苦い表情はまったくなかった。

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