第40話 鷹のアファリ

 灯台に火が灯され、暖かな灯りが僅かに揺らめいている。サウリは酒を自重して杯を撫でては戻すのを繰り返している。ソウェはこれから告げられるであろう話の重さを感じ、不安な気持ちを抱えた。


 がしかし、マールトが、ざっくりとした香草と香辛料を載せ、グリルされたリブの周りに、ビネガーと林檎のソースが回し掛けられ、大粒の紫の木苺を散らした料理に夢中になっているのを見て力が抜けた。


 マールトは主菜や副菜をフォークで口に運ぶたびに何か呟いている。

「おほっ…なんと…これはまた…なかなか…くぅっ…ここでそう来ますか…」

しかし、金髪の麗人は自分の呟きが漏れていることに気づいていないようで、一心不乱に料理に挑んでいた。

香ばしそうな焼き目の隙間に見える溶けそうな白い肌をした長葱の様な野菜が無造作に一本丸のまま載せられていたのを、マールトは手でつまみ上げ、かぶり付こうとした。その時漸く周りの視線が自分に集まっていることに気づいた。


「…誰にも譲らぬぞ…アンペロープはこのように食べると一層おいしいのだ」と言うやいなや、一気に頬張り、熱いのかすぐに涙目になった。


「「………」」


間が開いた後にソウェが声をかける。

「あ、あの、マールトさん。焦らなくても大丈夫です。次は2本用意してもらいましょう…」

マールトはコクコクと小さく頷き、口からはみ出している緑の葉の部分を押し込んだ。


アケラはアンペロープの外観と食味から、上野国で産する葱を思い出し、味噌や醤油が恋しくなった。

確か、葱焼きを胡桃味噌で食べたのは、松代で真田家を監視している草とつなぎを取る為に、商家の小荷駄の宰領を装って旅をした時だったか…と記憶を辿っている最中に引っかかりを覚えた。


「マールト、シエナへの旅路で何が一番旨かったか?」

「ほれは…色々ありすぎて…一時には思い出せぬ…」


アケラは、マールトの路銀が尽きた理由の一つを探り当てたような気がした。


「名物より地の物の方が大抵旨かった」

やはり、名物から地場の料理まで食べていたか…と呆れつつ…こちらでも、名物は聞くに名高し食うに味なしかと思わず笑みが溢れた。

「聞いていたアールヴとは少し印象が違うな」

「ん?、アールヴは人と大して変わらん、少し違う世界と話ができるだけだ、アファリ様に問うても同じ事を聞かされるだろう」

マールトがサウリに話を振った。

「そうだな…その通りだ。これより話すこともそれに纏わることになる。先ずは夕餉を済ませ、後に寛いで話をしようではないか」


イスロが傅きつつ、サウリの言葉尻を捉え、言葉を挟む。

「旦那様、本日は、蒸し風呂をご用意いたしております。先程リュフタ様から夜半を過ぎて伺うとのご連絡がありました」

「これは忙しい事になったな、まぁ3ターム(6時間)もあれば問題ない」


乾果がたっぷりと混ぜられた焼き菓子をメイドが運んできたのをイスロとベガが慣れた手付きでサーブする。

焼き菓子には温めた林檎酒にハーブを散らしたソースを振りかけ、お茶はミードに柑橘系の実をスライスしたものを入れ火を通した上に、香辛料を加えた香りの高いものだった。

またしてもむしゃぶりついたマールトがサーブ仕切れ無かった分も総取りしてしまった。


後でジーマがメイド達に某か贖うようにとお小遣いを渡していたとソウェが教えてくれた。取り分けて残った分は彼女らに振舞われるからだ。

江戸でも商家で出された羊羹を黒文字で薄く切り一口だけで終わらせておくと、帰り際の女中の機嫌が良いのと同じである。


食後、用意されていた浴衣に着替えて、居間に降りてくると、サウリが最初に現れた。

「女性陣は髪に精油をつけるのにしばし掛かろう。ヒューゴ殿に昼の事件を聞くにはちょうど良いかと思ってな」

サウリが笑みを浮かべる。アケラも目眼で笑みを浮かべ頷く。話の折に学院の出入りを願ってみようと考えた。

より大きな要求を呑んで貰えるのか占えよう。


「はい、アファリ様がお聞きになりたい点はどちらで御座いましょう」


「話が早くて助かる。一つは熊の半身を吹き飛ばした方法だ。あれはマールトの魔法攻撃ではないだろう。魔力が使われた衝撃を離れていても僅かではあるが感じる程の強さを持ち、かつ高等な魔術の残滓のような余韻があった。マールトや此度の犯人が使える様な代物ではなかった」

「一つということは、他にも」

「うむ、これはヒューゴ殿に聞くべき事なのか分かりかねているのだが、何か知っていることがあればという願いのような話になる。よいかな」

「はい、承りましょう」

「先日より、精霊がざわつくのを何度か感じるのだ。そして先の魔法の余韻が訪れる前に一際大きなざわめきが合った。事件と符合しているとしか思えぬ。何か気づいた事でもよいので聞かせて欲しいのだ」

「なるほど、報告の中にはない存在を疑っているということで宜しいでしょうか」

「直截に言えばそうなる」


サウリの瞳をアケラは覗き込む、サウリも同じ様に見つめている。

アケラはアファリ家がアールヴの血を引いている可能性に気付くと同時に、マールトのいう鷹のアファリという言葉はそれに纏わる謂れから来ているのではなかろうかと推測をたてた。

仮定ながら前提条件を改めて考える必要があるなと思うと同時に、サウリからすれば自分は不可解な存在であろうとも思った。


数瞬ではあったが互いに長い時が流れたような錯覚を覚えた。

「アファリ様の御懸念の内の最悪の想定ではないと私は思っています。ただ懸念外の良くない情報があるかもしれません。詳らかに話した上でご相談させて頂きたいと思い悩んでおりました」

「聞いたら戻れぬということか…」

「そうなりましょう」

「うぅぅぅむ。やはりそうなるか、そうだろうな、あれは尋常では無かった。ゆえに知りたいと言う欲も抑えられぬ…」

「残念ながら、もう既に戻れぬやもしれません。話を聞くのは本人に聞くのがよろしいかと」

アケラが居間の入り口を見やったその視線をサウリが辿ると女性陣が近づく気配があった。

サウリは目を見開いて入ってくる3人を言葉もなく見つめていた。

その視線に気付いたソウェが戸惑ったような笑みを浮かべる。

「お父様、どうかされましたか」

「…あ、あぁ。いや、これから話すことを整理しようと没入してしまっていた」

サウリはアケラに目を合わせる、アケラは微笑みつつ瞼をゆるく一瞬下げた。

サウリは顎髭の存在を確かめるかの様に強く引き、きつく目を閉じたが一瞬で戸惑いを隠した。


「さて揃った所で風呂へ参ろうか」


アケラは今宵、学院への出入りの許可の話をする事を諦めた。


蒸し風呂は長く入っていられるようにとの配慮か、温度は低めになっていた。

とはいえ、蒸気で霞む程度には熱くなっており、皆汗を大量にかいていた。


薄暗い浴室の中で秘事を語るというのはなかなかに面白いものだと、アケラは思った。仄かに小麦の焼ける香りがするのは、食堂や宿に卸すパンを焼いているためで、パン窯の熱を利用して湯を焚いているのだそうだ。

昔は街区の持ち込まれたパン生地を焼いていたが、今は自宅の窯でも焼けて、街中のパン屋も自由に窯を持ち営業できるようになった。


ふとジーマだけ涼しい顔をしているのにアケラは気づいた、水魔法を使っているのだろうかと思案する。

そんなアケラの視線に気づいたのか、ジーマが話しかけて来た。

「ヒューゴ殿、今日、共同農場に行く用事があったのですが、ミッコが首を長くして待っていましたよ。鳥小屋もほぼ出来上がり、温泉水の溝と水の管を作ったら一度見て欲しいそうです」

「それはまた早い。ミッコはいつもこのように手際がよろしいのですか」

「いえ、今回は温かい水で炊事洗濯ができると聞いて農場の女性達が総出で手伝っているそうです。温泉の湯は煮炊きには使えませんし、洗濯にも使えません」

「それはよろしゅうございました。鶏卵業がうまく行かなかった時の保険ができました」

「うふふ、奥ゆかしい事。お忙しいかもしれませんが、忘れないでやってあげてくださいね」

「落ち着いたら直ぐにでも参りましょう」

「そうですね。精霊祭りがあるので数日は工事を止めると言ってましたので、その後あたりまでに落ち着きたいものですね」


「…そんなに早く片付いては御先祖様が泣くわ…さて、そろそろ例の話を始めようか、良いかな。」

皆をサウリが見回す。


「まず、マールトは知っておろうが、ソウェに言わなければならぬことがある。精霊祭の後に伝えるつもりであったが、多少前後しても構わぬだろう」


ソウェが名指しされて少し戸惑う表情を見せたが、自身を見つめているサウリの目を見つめると毅然とした表情に変わった。

「ソウェ、アファリの祖はアールヴである。ジーマもまたアールヴの血を受け継いでいる」


ソウェは驚きを見せず言葉の次を待っている。


「驚かぬな」

「私は人とは違うと幼い頃から劣等感を持っていました。でも、それは魔核反応がない哀れな女の子という憐憫に浸っていただけだった。自分の価値を決めるものはではないと…どう言ったらいいんでしょ…えーっと、なので私がアールヴだとしても、真核反応が無かった事のように枝の先の様なものでしか…うーん、言葉にするのって難しい…」


「うむ。言いたいことは伝わってきた。それで良いと思うぞソウェ。ただ、アファリはアールヴであり、アールヴでもないとも言えるから面倒くさいのだな。強いて言えばアールヴで有りながら人の生を持ち、ある者は精霊界にも存在できたという、わしは精霊の声が聞こえる程度でしかない」


マールトが頷く。

「アールヴの定義が精霊と繋がりを持つ者であるなら、鷹のアファリはアールヴである。血筋もアールヴ。だがアールヴより短命で、人の膂力を持っている、そして精霊界との繋がりはアールヴより強い」


「アールヴより精霊に近く、アールヴより人間に近い。それがアファリなのだ。アファリ家のアールヴでの呼称は、ハウッカ・アブ・アファリという。ソウェは、ソウェ・ハウッカ・アブ・アファリになる。ハウッカは鷹という意味だ…伝承によれば、アールヴである飛竜乗りのハウッカと従者で養父である老アファリが渇海に浮かぶ島、ヴィオレットサーリにたどり着いたことからハウッカ・アブ・アファリは始まる」

「お父様、あの渇海に島があるのですか」


「島は無くなってしまったと聞いている。わしは渇海を見たことすら無い。マールト殿は何か知っていないか」

「渇海の辺りまでしか行ったことがない。かつて街があった島は大きな魔素の嵐に飲まれたとしか知らぬ。長であればなにか知っているやもしれんが、自分程度では聞いてはいけぬ類の話であろうな」


「ふむ、そうか…。こちらの話は聞いても問題なければ聞いていて構わん。特段隠す必要もない。さて、先祖のハウッカだが、帝政アールヴ以前のアールヴの諸侯が群雄割拠していた五国時代の末期の人物で、出自は神聖ユハ王国の貴族だったそうだ。ただし家門は伝わっていないので真実かはわからん。本人の意志であったのだろう。養われたアファリの家門以外を口にすることはなかったという。ハウッカの過去については、飛竜使いになる前は魔術と剣術を極めた魔法剣士であったそうだが、魔素枯れ病に倒れた為、継嗣から外され、従者だったアファリという男の養子となり、飛竜使いとなったと伝えられている」


ソウェの目が好奇心で輝いているであろうことが、湯気の向こうから伝わってくる。

「貴族の魔法剣士から飛竜使いって凄い…それも魔素枯れ病を患いながら…」

「面白いことにハウッカと飛竜に纏わる話は数多く伝わっているのだ。ハウッカがアールヴから新しいアールヴになったのと関わるのでは無いかと思っているが、断定できるだけの情報が記述した人物にはなかったのか、あえてぼかしたのかわからない。ただ重要なことなのは確かだと思える」

「ハウッカが飛竜を手に入れたのは、神聖ユハ王国がノブトゥルク諸国連合に侵攻された時だったようだ。崩壊寸前だった防衛線を立て直すために遣わされたハウッカと老アファリ…従者のアファリは老アファリと記述されている」

「彼らに率いられた魔法騎士団は戦線を押し戻し、国境の山塊で対峙し拮抗する形となった。ハウッカは終戦交渉の時間をとる為に相手領内へ攻め込まず留まり、相手が動けない状況をわざと作り出していたと思われる」

「典型的な軍人気質ではない、思慮深さに感銘しますわ」

ジーマが汗をかいたのか浴衣の胸元を広げながら呟く。

「であろう。わしもこの先祖を持てて誇りと感じる逸話だ。がしかし、これがハウッカの転機となってしまったのだがな」


「しかして交渉の甲斐あり和睦となった。ノブトゥルク諸国連合が質を出し賠償を行うことになったのだ」

「ほう。攻め込んだ国が質を出すとは中々あることではないのでは」

「そうなのだ、ヒューゴ殿。あくまで憶測でしか無いが、このまま戦い続けた場合、自国領が危ういと気づいたのであろうな。これを契機にノブトゥルク諸国は徐々に神聖ユハ王国の庇護に入り、帝政アールヴ勃興時にはユハ王国と行動を共にしたという」

「ハウッカは和睦がなった時、対峙していたノブトゥルク諸国連合軍を招いて宴を開くことにした。中には数百年に渡って国境で対峙してきた貴族が居た、彼らは和睦を機会に諍いが起きぬよう婚姻関係を結ぶ運びとなった」

「和睦とその婚姻を祝して夜を通して宴が三日続き、最終日に婚姻の儀式が行われた。儀式も滞りなく終わり宿敵同士が正体をなくすほど酔いつぶれていた夜半にそれは起きた」

サウリはヒューゴとマールトになぜか不安げな顔を見せた。

「婚姻の前日より宴が開かれている山麓の山頂で稲光が時折走り、何かが破裂するような音が響いていたのだが、それに気を払う者はいなかった。普段から雷の多い場所だったのと、講和で浮かれていたのだろうな。夜が後少ししたら明けるかというときに大音声とともに山が割れ巨大な岩が雪崩を打って落ちてきた」

「逸早く目を覚ましたハウッカが陣幕から走り出すと正に多数の天幕が為す術もなく岩雪崩に飲み込まれている所が目に入った。ハウッカはあらん限りの魔術を使い人々を救おうとしたが、自然に勝てるはずもなく、魔素が一瞬で尽きた。ハウッカは魔素が回復するのを待たずに僅かに生き残った人々の治癒にあたったが、最後には魔素枯れ病の症状が現れ意識を失った」


アケラは帰雲城の話に似ていると、なんとは無しに思った。

確か、城主が援軍に出ていた隙をつかれ豊臣勢に城が落とされ、戦から戻った城主が豊臣の家臣として臣従することを飲み、城の家臣の元に帰還した。それを祝う宴席の夜に地震があり、背を守ってくれるはずの山が崩落、土砂が城も含む谷間の集落を全て飲み込み、川を堰き止め湖のようになり、生存者は村を離れていた者のみ、後に柘植櫛が一つ見つかっただけだという話だったと伝えられている。

ハウッカの遭遇した山体崩壊はそれ以上の物だった可能性がある。


「意識を失って倒れ落ちた所に偶然飛竜の卵があったのだそうだ。両掌に乗る程度の丸い石が飛竜の卵だと気づいたのは老アファリだった。輿に載せられて引き上げるハウッカの脇に脈打ち始めた卵を抱かせるようにしたそうだ」

「ハウッカは王都に戻り、魔素枯れ病であると診断され継嗣から外されたが、飛竜の卵は、戦後にハウッカが療養としてアファリ家に担ぎ込まれた時に匿われ、ハウッカが跡取りとしてアファリ家に招かれた後、卵を発見し孵化したとして、国へ届け出た」


「飛竜の卵とはな。渇海条約がある現在では所有は認められない。アールヴの伝承では古代生物の生きた卵が化石にならずに生き残ったものと言われている。孵化した時に最初に見たものにしか懐かぬので、懐かれた人物は領主に召し抱えられ、男爵の爵位が与えられると聞いた」

マールトが自分の知っている知識で補足する。

「アールヴの伝承でもやはりそうか。ハウッカは正にそのとおりの処遇で爵位を与えられたが、元の爵位よりは低くなったため嫌がらせを受けていたようだな。本人は全く気にした風もなく職務に励んでいたという。元の家門の差し金で渇海の探索を請け負わされ、消息を絶つまでは」

「消息を絶ってからの詳しい話は聞いてはならぬのだろうな」

「悪いがそうなる。説明できるだけの情報もないのだがな。多分アワシュの長と互いの情報の符牒を合わせればより分かることもあると思うのだが、我らは渇海条約によってアワシュに近づけぬ」


「何れソウェ殿ともう一方は、長と会うことになろう…」

眼差しの険を消してマールトがつぶやいた。


「そのもう一方とはヒューゴ殿なのか」

「いや。そろそろではないかな」

マールトがソウェに眼差しを向ける。


ソウェは突然の指名に驚くような仕草を見せたが、直ぐに心を決めた表情に変わった。

「お父様。お母様。ご紹介したい人がおります」


サウリとジーマは目をあわせたあと、真剣な表情のソウェに合わせるように、しっかりとソウェをみつめた。


「…私の姉のロウェです…」


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御庭番ワース見聞覚書 ナツキリョウタロウ @natsuki_ryotaro

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