第39話 古く忌まわしい事件
ユヴァスヤル領で起きたランコーリ動乱は、郷民による領主への反乱であった。
ランコーリは海に面した寒村ではあったが良港に恵まれていた。ただユヴァスヤル領は造船技術が遅れており、ランコーリの僅かな漁民は沿岸漁業を行うに留まっていた。住人の殆どは猫の額ほどの土地を耕し、自給自足していた。
そこへシヴォネンのサレルマから
移民は造船と近代漁法を持ち込み、沖合で大型の回遊魚を獲り、干物にしてユヴァスヤル領内にのみならず領外とも交易を行うようになった。ランコーリに元々住んでいた人々は、元移民から税金を徴取し、ユヴァスヤル領主への納税を行う形になり、支配構造が出来上がった。これは領内で耕作している者のみを課税の対象としていたため、土地を持たない漁民は郷民でありながら農奴扱いにされた。この不当な扱いに、漁民は直接代官に納税できるよう分郷を要求するようになった。
ランコーリには火を最上位とする保守の主流であるバルナバス派の教会が港が発展する前からあったが、サレルマからの移民は古くからの漁民で、船乗りでもあるため、風を最上位と考えるアンゼルム派の教会を新たに建てた。これをよく思わないバルナバス派は事あるごとにアンゼルム派の漁民の弾圧を行っていた。そのような経緯もあり、アンゼルム派の魔道教会は、教区の権利を主張し、分郷活動の後ろ盾となった。
これらの事情から、民衆の間に不信と鬱憤が高まりつつあったが、小競り合いのたびにどうにか折り合いをつけてきていた。それは経済が潤う事で細かな不平不満に微小反応を起こさずにいただけでしか無かった。しかし、ユヴァスヤル領主は問題が熾火のように燻っている事に気を置かず、ランコーリの興隆を他の領主に対して自慢話として吹聴して回った。
しかし、ある事件をきっかけに高まっていた緊張が堰を切った。その事件とは斯様な顛末だったと言われている。
ランコーリの古くからの民である何某が、祖母の墓が荒らされ、掘り起こされた遺体が散らばっているのを見つけた。
近づくと藪から人の腕を咥えた巨大な蜘蛛が現れたので咄嗟に持っていた鎌で切り付けると、右眼に当たり、複眼が裂けた。
蜘蛛は怯んで逃げた。
翌日、顔に怪我を負った男がいると聞きつけ、何某がその男の家を覗くと、包帯を頭に巻いたまま、自分の娘と姦淫している男を目撃したと言う。
連れ立った役人と魔道教会の魔道士と踏み込み、男を捕らえてみると、右眼の眼球が潰れていた。
最初は否定していたが、拷問にかけると、男は「禁呪を使用し、バアルの眷属である大蜘蛛となった。家族もみなそうだ」と供述した。漁民の仲間達は、先日、船が突風に襲われ、飛ばされた索具が運悪く右目に突き立ったと証言したが聞き入れて貰えなかった。
バルナバス派の魔道教会は、この男と家族全てを処刑すべきと主張し、代官は絞首刑を執行させた。
男は車輪に手足を縛りつけられ、回されながら鎚や棒で叩かれ、懺悔の言葉を叫ばされた。最後に首が切り落とされ、絞首台の最上部で晒し首となった。体はそのまま車輪の上に晒された。
男の妻や子供、愛人は、男の首が載せられた絞首台に全員吊るされた。
処刑された男は幾つかの漁船の船主でもあり、分限者であった。その全財産は最初に訴えた何某の物となった。
漁民たちは、禁呪や近親相姦といった虚言を拷問で導き、我々漁民やアンゼルム派を貶められるだけに留まらず、同じような方法で家族が殺され、資産が奪われるのではないかと怒りと不安にかられた。
漁民の長役達は人々を集め、出るはずの無い打開策を求めては、強硬派と忍耐派で話し合い、紛糾し散会するのを繰り返していた。刑執行の三日後の集会で、三々五々と集まり出した人々の中に、普段は見掛けぬ頭まで覆う外套を纏った若い男が混じっていた。
議論が熱を帯びた頃、若い男が進み出ると、長役が立っていた高座に登り、外套を脱ぎ捨てた。
人々は女と見紛うような金髪碧眼の若い男に釘付けとなった。
「我はアールヴの民である。この度の禁呪事件は、
呆気にとられていた男たちは気を取り直して「そんなことはわかってるんだよ!」と口々に反論する。
若い男は人々を見渡し、再び口を開いた。
「金のために、子供を、恋人を殺され、あのように晒されても良いというのだな」
「よくねぇよ!だから何度もこうして話してんじゃねぇか」
「争っても勝ち目はねぇ向こうには代官がついてんだぞ」
「ほう。代官に怯え、お前らの子も、あの幼子ように吊らせるのだな」
「お前らは船の民で風の民だ。ここに留まる理由がどこにある。代官の不正を暴いて失敗したとしても、ここから去ればいい。困るのは奴らだけではないか。違うか」
先程から食い入るように見つめている男に若い男は意見を求めた。
「俺はやりてぇ。俺には家族はねぇ。殺された親方と奥様の恨みをはらしてやりてぇんだ」
「兄貴、俺だってやってやる。嵐で親兄弟を失ったガキの俺を、親方が拾ってくれなきゃ今まで生きて来れなかったんだ。親方ぁ…俺ゃぁ…俺ゃぁ…」
「みっともねぇ、男が、な…泣くんじゃねぇ……泣くんじゃ…」
その後堰を切ったように皆の口々から不平不満や鬱屈に満ちた怨嗟が吐き出された。
すると数人の男がサレルマ漁民特有の脅し文句をサレルマ訛りで連呼しはじめた。
「奴らの首をくれてやれッ」
切った首を、不浄であると言われる蛸に食わせ、残った頭蓋骨を隠れ場所にさせて、死んでも玩具にするぞと言う意味であった。
群衆が興奮しだしたのに合わせて若い男が再び叫んだ。
「サレルマの男はオダを上げるだけの腑抜けばかりなのか」
男たちが口々に怒鳴りかえす。
「てめぇぶっ殺すぞ、舐めんなよ、おらぁ」
その熱気が伝播し、静かに見守っていた人も声を上げ始める。集会に参加していなかった民衆も騒ぎに気付き駆けつけると「アールヴが濡れ衣だと証言したぞ」と口伝された。
人が集まる頃合いを見計らったように若い男が叫んだ。
「見よ、我が身は滅びておらぬ。精霊は皆と共にあらん」
集まっていた男たちは雄叫びを上げる。
「やっちまえッ」
「サレルマの男の心意気を見せてやらァっ」
殺気の籠もった台詞を吐いて走り出した数人男達の後を脅し文句を唱和していた男達が熱に
何某の邸宅へ殺到した暴徒は何某一族と役人を捕らえ、懺悔の言葉を涙ながらに叫ぶ男等を牛引きにし、代官の屋敷に火を放った。
その蜂起の知らせがユヴァスヤル領主に届いたのは王都での宴席の最中であった。顔色を失くすユヴァスヤル領主に偶然挨拶に来たシエナの領主が「ランコーリの成功は兼ねがね聞いております。我が領も
この動乱の解決を図るために、ユヴァスヤルは500人の兵団を送り込んだが、暴徒は船を使い、攻めれば退き、夜陰に潜み攻撃を仕掛け、兵の気力と体力を奪っていった。外套を被った術士が暴徒を味方し、帯同した魔術兵が早い段階で殲滅されてしまった事が一番の誤算であった。
また、怪我を負った漁民の男が翌日何もなかったように現れたという報告がいくつもあった。
魔術兵が殲滅され、兵団が退却を考えた時には、外へ繋がる街道の切り通しを塞がれ、逃げる術を失っていた。援軍が駆け付け、切り通しを解放した時には兵団の7割が損耗していた。
暴徒は援軍が現れても同様に海に逃げてしまい、援軍にも手の打ちようが無かった。
ユヴァスヤル領主はソメルヴォリ王より預かっている重魔装飛竜を使いたかったが、国家間戦争以外では使用を禁止されており、もし無許可で使用した場合は王都にて厳しい沙汰が下されるのみならず、国としても苦しい立場に追い込まれることになるので躊躇われた。
苦肉の策として売り込んできた海賊を傭兵として雇うしか無かった。海賊はサレルマを根城にし、サレルマ出身者で構成されていた。
傭兵は制海権を取り戻す報酬としてランコーリの自治権を要求した。背に腹は変えられぬ領主は港の半分の租借権を与え、その範囲での自治権も認めた。
傭兵船団は暴徒を鎮圧するように見せかけ、その実は漁民の男達を傭兵として雇用し、大きな戦闘もなく動乱を収束させた。
ユヴァスヤルはこれを自作自演では無いかと、約束を違えようとしたが、バルナバス派の魔道教会の介入があったのと同時に、海賊が再び敵対した場合、対抗する術がないという現実的な判断から、契約を履行せざるを得なかった。
バルナバス派は今回の事件に教区長が関わっていることを手打ちにするべく、傭兵側に与することを決め、ランコーリ教区を完全に失う事を避けたのだった。
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