第38話 百人百様

 アケラ達を乗せた馬達の吐く息が白くなり始めると、夕闇の空にシエナの街の尖塔の屋根が夕日を反射し浮き上がっているのが見えた。あれはシエナ魔道学院の楼だろうなとアケラは見当をつけた。振り返ると霧が山裾を隠し、幻想的な光景を作っており、目を奪われる。

 アケラが振り向いたことに気づいたソウェと目線が合い、何とはなしにうなずくとソウェが微かな笑みを見せた。


 添木を中てられた人の背の5倍はありそうな木の柱が林立する高台を回り込むように進むと、街並み全体が見えてきた。

 アケラは高台の上の木の柱を見上げると、丁の字になった柱の先に輪を作られた太い縄が吊るされていたので、凡その使い方が想像された。ただ他の柱の上に車輪様の物体が水平につけられているものがあり、用途が分かりかねた。

「あれは壊れた車輪……といいいます」

 ソウェが馬を寄せ、眉をひそめながら囁いた。


 実検使はアイリッカラ達を魔道教会の地下牢に閉じ込めた、この為に目抜き通りにつながる道を避けたのだと知る。

 一般的な街には城壁に付随する見張り塔の地下に牢獄があるが、小村などでは魔道教会が収監することが多いが、これは魔法を封じるにはそれなりの施設と要員が必要なためである。

 シエナは大きな街ではあるが、城壁が無いため、小村と同じように魔道教会の地下牢を利用していた。


 実検使と別れたアケラ達がシエナの冒険者ギルドに戻ると、ロビーは人で溢れていた。

 休日のこの時間は副業としてギルドの仕事を請け負ったシエナの市民が報酬を精算するために賑わうのだ。

 このため簡易な業務の発注も休日に集まる。会員登録された冒険者ではないので安く発注できるためだ。

 アケラ達は出迎えてくれたリュフタの馬丁ばていに馬を引き渡す。


 今回の仕事はギルド絡みの発注ではないため、遠くから目眼でファンニに挨拶し、ギルドを出た。


 停められたキャブリオレの横でイスロが待っていた。

『お嬢様、ヒューゴ様、御無事で何よりです』

『ええ、色々ありましたけど、大丈夫よ。ところでイスロにお願いがあるの』

『はい、お嬢様。お伺いいたしましょう』

『こちらのマールトさんを我が家にご招待するので用意していただけますか』

『承りました。旦那様に私からお話をさせていただきましょう』

『ありがとう、イスロ』

 マールトがソウェの横に並ぶと、イスロが丁寧な辞儀をとる。

『イスロと申します』

『マールト・アールヴ・アファティラと申します。お手数をおかけします』

『お嬢様が御友人をお連れするのは非常に珍しいのです。誠に有り難いことです』

 真面目な表情のまま口にしたので冗談なのか皮肉なのか分かりにくいが、多分冗談混じりの本音だろう。

『イ、イスロ……余計なことを言わない……』

 ソウェはぎこちない作り笑いを浮かべる。

『はい、お嬢様。ところで馬車はどういたしましょうか?』

『えぇっと、イスロはマールトさんと一緒に宿に行って、荷を引き上げてきて貰える? 私達は歩いて戻ります』

『わかりました。そのように致しましょう。ヒューゴ様、お嬢様をお願い致します。マールト様、こちらへ』

 イスロが慇懃な振舞いでキャブリオレにマールトを誘うとマールトは素早く乗り込んだ。

『じゃぁ、マールトさん、また後で』

『ソウェ様、有難うございました』

 手を振るマールトを乗せ、キャブリオレは走り去った。


 見送ったアケラとソウェは連れ立ってシエナの街を歩く。

「ラニへの見舞いの品を買い求めようか……」

「そういえば色々あって行っていませんでしたね」

「うむ。何が良かろうか」

「破けてしまった服か背嚢とかいいかもしれません」

「寸法は測らずとも大丈夫なのか」

「仕立てをするわけではないので身長が分かれば大丈夫。仕立てだと時間がかかるので古着屋に行こうと思ってます。良い物を見繕いましょう」

「ふむ、自分の服も購ってみようか、シエナの市井を知るには丁度よい」


 古着屋はそこそこ繁盛しているようで、間口も広めで所狭しと衣服や靴が並べられていた。

 店に入ると店主が出迎えてくれた。

「お客様、こちらでは上級魔道士様にお誂えするような品はございませんが、いかがされましたか」

「あ、おじさん、私です」

 店主はじっとソウェを確認する。

「おぉアファリのお嬢様でしたか見違えました。外套をお預かり致しましょう」

「ありがとう」

 ソウェは外套を脱ぎかけて止まる。超絶スケスケ装備だったことに気づいたようだ。

「あっ、やっぱりいいわ。おほほほ」

 店主は引きつった笑いを浮かべるソウェと失笑するアケラを不審げな目で見ている。

「……そうですか。今日はどういったご用件でしょう」

「これぐらいの身長の男の子の服を見せて欲しいの」

「たんとございます。少々お待ちいただけますか急いで見繕ってまいります」

 店主が早足で店の奥に行き、店員とふたり掛かりで品物を集め始めるのを横目にアケラは古着の意匠を見て回った。

 この古着屋は売り物に成らなくなった古着をアファリ家の粉挽き所で紙の原材料にしてもらっているそうだ。古着から作られた紙の原材料は紙漉き業者が粉挽き所で受け取り代金を預ける。粉挽き所は手間賃と税金を徴収し、残りの金額を古着屋に払うそうだ。


 店員が抱えてきた山のような服の中から、ソウェが無難そうな上下を選んでくれた。その間にアケラは店の中を周り丈夫そうな革製の背嚢を選んだ。

 後で届けてくれるという店主の申し出を遠慮し、買った背嚢に服を詰めてアケラが背負った。


「気に入ってくれるといいがな」

「大丈夫。気に入ってくれますよ。私に弟がいたらこんなの着せたいなってのをちゃんと選びました。アケラが選んでくれた背嚢にぴったりと合いましたし」

「ならばよいか」


 影も薄れた夜の迫った街路をアケラとソウェが並んで歩く。

 このように未婚の女人とふたり連れで歩く事になるとはとアケラは思い、儘よと流す事にした。

 ソウェがアケラの肩口を見ながら呟くように話しかけてくる。

「あのぉ……あのですね、例の件なんですが、どう切り出したらよいのでしょう」と困り顔で聞いてくる。

 アケラは暫し考えるために間を置いた。

「ご両親に大事な話があると伝えて、3人になった時にロウェに出てきてもらうと良いのではないか、彼女なれば全て説明ができよう」

「マイルストーンの話はどうしましょう」

「うむ、急ぎたいのは山々であるが、今日はそのような話しを出来る雰囲気にはならぬかもしれぬ。ご両親とも心労があろうしな……」

「わかりました……あのぉ……あと……」

「ん?」

「あっ、いえ、なんでもありません」

 ソウェがぎこちない笑みを浮かべて後退るのをアケラは微笑みながら見つめていた。


 アファリの屋敷に着くと、女性用の室内着姿のマールトが居間リビングで茶を喫していた。

「おまたせいたしました」

「少し前に降りてきたばかりなので気になさらずに。このような大層な装いまで頂いてしまった。似合うとは到底思えぬが……」

「冒険者風よりお似合いだと思います。一瞬お姫様でも現れたのかと思ってしまいました」

「そ、そうかな……」


「これはまた眼福」

 サウリが居間に現れ、ジーマに向けて笑みを浮かべる。

「私のドレスがよく似合っておりますわ。女の子は着せて楽しめて本当に良いですわ」


「アファリ様、奥様、手厚いおもてなしに感謝いたします」

「あぁ、良い良い。我が家がこんなに賑やかになるのは初めてではないかな。喜ばしいかぎり」

 サウリの言葉にマールトが表情を引き締めたのに、サウリが気づき、小さく呟く。

「アールヴであれば我が家のことも知っているか……」

 マールトが小さく頷く。


「そろそろ、ソウェにも我が家の成り立ちを伝えようと思っていたところだ。アールヴが居てくれるのは都合が良かろう。助力願えるか」

「私で良ければご随意に」


「えっと、うちに何か秘め事があるということ? 私達も話したいことがあるんだけど、どうしよう」


 ソウェがいきなりの展開に戸惑っているのを見て、マールトがアケラに目で訴えてくる。

 サウリの話はこちらの話とつながってくるとマールトは考えているのであろうと推測できた。


「マールト、相分かった。ソウェ、ここは流れに任せよう」


 サウリは気にかかるような目をソウェに向けつつ、

「ソウェ、後で

 話を聞かせてもらおう。今宵は風呂に入りながら語り明かす事になりそうだ。今日も熊を相手に大活躍だったようではないか、ヒューゴ殿」

「流石にお早い。お聞かれになったのは、リュフタ様でしょうか、ギルドでしょうか」

「はは、その両方だな。ギルドからツナギがあったので、御料林差配を見に行かせた。別口も慌ただしくなっているようだが、そちらはリュフタに任せるとしよう」

「別口……」

 サウリが表情を消してアケラの目をじっと見つめる。

「うむ。中々に厄介な話になるので、後でまとめて話そう」


 イスロが壁から離れてかしこまった。

「お話のところ申し訳ございません。皆様、お食事のご用意が整いました」

 ベガが食堂への扉を開くと、夕餉のよい香りが漂ってきた。



 リュフタは宵闇で黒く塗りつぶされた明り取りのガラス窓を見上げ、考えに落ちていた。

 アケラが去った後、リュフタは方々へ連絡を取る手配を行い、ようやく人心地つけるかと思った所へ訪いの知らせがあった。


 今はその客人が現れるのを待っているのだ。


「差配様、代官様がお見えです」

「手違いは無かったな」

「叱責等を受けたとは聞いておりません。報告を聞くや大慌てで馬車を用意させたそうです。直接話を伺いたいと仰っていたようです」

「ふむ。であれば、大凡の見当はつきそうだ。その場で囚人の身柄を求めなかったか。こちらに任せたいのであろうな」

「はい」

「嫌がらせをされぬ程度に飴を含ませておけば静かになろう」

「その手筈は整っております」

「共謀罪となれば手間も時間もかかる。なにしろ外聞がよくない。此度の件には関わりはほぼ無いだろう。後は王都の方で処理してくれよう。ただ確認だけはしておかねばならんな」


 ソメルヴォリでは、各領を領主が統治しているが、王の所有物である森林などは、御料林長官が直接管理しており、領主は森林を利用した場合、その代金として税を収める必要がある。

 御料林長官の代行として各領で窓口となるのが御料林差配であり、王の陪臣である。しかし、領主を飛び越える形で国王に報告ができるため、領地経営を監視する役目があると公にはされてはいないが、態を見れば明らかであった。


 領主を代行する代官もまた陪臣である。領内の領地経営について全権に近い権力を持つも、御料林差配には一目を置かざるをえない。


 代官と御料林差配は互いに牽制しつつ協力せざるを得ないように仕組まれていた。


 執務室の外から訪いを告げる声がかかった。

 リュフタは表情を改めると椅子に深く腰掛け声を上げる。

「どうぞ」


 太い腹をゆすりながら現れた中背の初老の男が、シエナの代官を務めているターヴェッティ・ハーカナである。

「此度の仕儀は誠によう収めなさりましたな。この地を治める同士として誇りに思いますぞ」

 挨拶も無しに主題をいきなり切り出してきた。


「いえいえ、代官殿の普段からのご指導ご鞭撻合っての結果でござりましょう。僭越ながら、王都への報告に領主様と代官殿の功労について、筆を入れさせていただきました」


「ほう。左様か。能吏と誉れ高い差配殿は気が利かれますな」

 ハーカナは暗に自身への何らかの利益配分は無いのかと匂わせてきた。


「後ほど領主様に王都から褒賞がありましょう。それだけの大事でありました」

 リュフタは笑顔を見せつつ、要求を拒絶する。

 これが演技でなければ共謀の目は更に薄くなろう、ただもう少し確かめる必要がある。

「此度の事件はどのような背景があってのものなのか、考えあぐねております」

「ほほう。英才と誉れの高い差配殿であれば筋立ての目鼻はついていらっしゃるのでは」

 ハーカナがリュフタの顔色を窺う。

「買いかぶられては困ります。代官殿はどう読まれますか」

「非才の話などお求めになさるな。強いて言うなら、どこぞの鞘当てなのではと考えもしたが、特に目立った動きは無いと聞いている」


「そういえばユヴァスヤルとは今も?」

 ハーカナがは鼻筋に皺を寄せながら不快そうな顔を見せる。


「彼奴ら…いや、まぁ特に無い。相変わらずこちらを見下すような態度を取ってくる。こちらの領地経営がうまく行っているのが気に食わないのであろうな。だが以前よりは落ち着いてきていると聞いておる」

「ユヴァスヤルはサレルマと接しているのでシエナのようには行くはずはない…しかし40年前の屈託を未だに抱えているとは如何なものでしょうな」

「いかにも。此度の事件でまた歯ぎしりするであろうな。今のうちに対策を立てるよう具申するつもりでおる。ゆえに幾ばくかの情報を頂けるとありがたいと思ってな」

「嫉妬は一番厄介ですからな…差し障りのない詳細をまとめた書付を用意いたしましょう。詳しくは追って王都から知らせが参りましょう」

「差配殿、恩に着る。忙しいところ邪魔をした。退散させていただこう」

「では、明日の朝には書簡を届けさせましょう」

 ハーカナが召使に外套を掛けさせながら振り向き、僅かに安堵したような笑みを投げて去っていった。


「ユヴァスヤルのランコーリ動乱まで遡らないとならぬか…」

 リュフタは燭台の揺らめく炎を見つめながらつぶやいた。

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