第2話 ワースの住人 ソウェ・アファリ

 新歴477年11月 ソメルヴオリ王国シエナ領


 青く澄んだ空に浮かんだ白い月が、いつもより近い。

 

 遠く微かに竜の歌が聞こえる。


 シエナ山の急な斜面からまばらに顔を出す凝灰岩の根元に若い草が茂っている。その柔らなかな草むらに寝転んだソウェ・アファリは空に何かを探していた。すぐに一つの星を見つけ、月を確認する。


「もうすぐ冬」と呟く息は、白く染まり消えてゆく。冬になれば、山塊から吹き下ろしてくる冷たい季節風によってエーテルの濃度が上がり、人間種も含め、魔核を持った生きとし生けるものの勢いが増す。特に魔獣は巨体を余すことなく動かせるようになり、生来の凶暴性を露わにする。


 ソウェは冬が苦手だ。


 ソウェは粉挽き所を管理する家に生まれた、母の胎内にあったとき、魔核の反応がなかなか現れず、死産を疑われれた。周りの心配をよそに順調に臨月を迎え、元気な産声を上げて生まれた。しかし、そのときも魔核の反応はなかった。



 4歳くらいまでは魔核反応がない事は知らされていなかった、がしかし周りの子供は気づいていたようで親しく接してもらえることはなかった。その頃にもう一人の自分に似た友達ができて家でで遊ぶようになった。彼女は私を励まし、いつでも優しく抱きしめ、一緒に泣いてくれた。新しい友達の事を親に言うと悲しい顔をされたので、それ以来彼女のことは誰にも話さないことにしていたが、6歳になる頃には彼女は出てこなくなってしまった。


 学校に上がるのを切っ掛けに、魔核の反応がない事を知らされてからは、家の外では居心地の悪い思いをするようになった。特に冬は、エーテルの濃度が上がり、街中が嬉々とした雰囲気に満ちるのを横目に、一人やりきれない気持ちを抱える。


 ただ、冬を迎える日から3日間続く精霊祭は別だ、特に祭りのフィナーレで街の各所で人々が広場に集まり、手を輪に繋ぎ、斉唱する拝精霊火の歌は、ソウェでも体の中で爆ぜるような感覚と、空に落ちていくような畏怖、それらを上回る高揚感を感じる。


 幼い頃、父と母が繋いだ腕の下で、二人の上着の裾を握って一緒に歌おうとしていた時、二人が微笑んでくれた笑顔を今でも思い出す。


 歌が盛り上がると、街の各所から淡い緑の光の粒が湯気のように立ち上がり、街の上空で竜巻のようにまとまる。

 竜巻が空の彼方まで登っていくと、雷に似た光が空を覆い、少し魔をおいて重々しい爆発音と共に、光の花が大きく開くかの如く光の粒が振り降りてくる。


 街の学校は10歳で中等課程に進む。それを機に、近くの山稜へ登り、詠唱が書き連らねられた魔法書を読むようになった。図書館にいると「使えないのに意味ないよね」と指摘するような同性の同級生の視線が怖かったからだ。何かとソウェを手伝おうとする男子生徒が何人かいたのが、余計に火に油を注いでいた。ソウェは黒に青みがかった艶のある髪と、濃紺の瞳、透き通るような白い肌、そして整ったバランスをした目鼻立ちと、両親の良いところすべてをかき集めて出来たかのような美しさを持った少女に育っていた。


 5年が過ぎ、中等課程が終わる頃には、種類を問わず本を濫読するようになり、18歳になった今年は図書館で借りる本がなくなった。それからは動植物を観察し記録を残す作業に没頭している。


 今日は、仄かに光りながら流れるように点滅する発光器を持った、ヒイロヨウセイバチを見つけた。正確には、ベスパメディオクリスという名称があるのだが、シエナ領では使われていない。


 赤の内側に青みがかった深みのある色をした胴に、虹色に発光する一筋のビーズが、後肢から胸元の綿毛まで続いているように見える美しい昆虫だ。偶々、羊歯しだの葉裏で休んでいたのを見つけたので、横臥しながらスケッチを取った。ヒイロヨウセイバチは、日中は光を発することはないが、ソウェを警戒してか、今は細かく明滅している。スケッチが終わるのを見計らったかのようにヒイロヨウセイバチは去っていった。


 ソウェはそのまま仰向けに寝転び、空をみあげて、物思いに耽る。

「さっきの竜の鳴き声は野生の飛竜、あれを捕まえて飛竜便や飛竜兵として使うにはどのようなテイムをしたらいいんだろうか」


 しばし沈思していると、右目の端に見えるニセグロブラの小さな丸い葉の先についた橙の花に、金属のような緑色の上翅じょうしに白い斑点を持ったセトニアが取り付き、いそいそと潜り込んでいくのが見えた。


 ニセグロブラは、薬草として使われるグロブラに似ているが、その根には薬効はなく、新人の冒険者が大量に根を掘ってきては、ギルドで頭を抱えることになる、初見殺しとして有名である。ニセグロブラはグロブラの亜種ではないのだから当たり前だ。「セトニアには同じ食べ物なのにね」とソウェは呟き、ニセグロブラとセトニアの関係を思い起こす。


 セトニアは夏から秋にかけて花粉を旺盛に食べてまわり、虫媒植物ちゅうばいしょくぶつにとって優秀なレセプターとなるが、ニセグロブラは風媒ふうばいなので花粉を食害されるだけと自然学の本には書かれていた。


 2年前、ソウェはニセグロブラから出てくるセトニアの前胸背板ぜんきょうはいばんの隙間に、小さな異物が差し込まれているのを見た。その時は気にもかけなかったが、その年の晩秋、セトニアの死骸の前胸背板についた異物から白カビのような細い毛根が伸びて居るのを見つけた。


 目印も兼ねて薄い大き目の石を組み合わせ、セトニアの死骸を覆った。セトニアを食べる生物はあまりなく、死骸は放っておいても朽ちるだけだと分かっていたが、雪や落石で潰されないとも限らないので養生ようじょうしたのだ。春になり、石を除けると、セトニアを養分にし、ニセグロブラの小さな芽が出ていた。


 ソウェは仮説を立てた。

 ・ニセグロブラは風媒で受精し、種子を作り、花粉で誘き寄せたセトニアに種子を託す。

 ・ニセグロブラは風媒と誘き寄せの2つのタームに花粉をつけるので、セトニア以外の虫達も花粉が長く食べることができ、彼ら全般にとって有用な植物である

 ・セトニアの死骸まで食害されないという利点を活かして、ニセグロブラは種子が少なくとも、発芽まで優位に成長できる。


「今年も頑張れセトニア」と微笑みを浮かべつつ、揺れる花を見ていたが、突然、セトニアが後翅うしろばねを広げ飛び立った。


『我は賢き者の息子のエゥバレェナ……』


 不意に竜の歌が明瞭に聴こえ、揺らぎのような痺れを感じた。よく同じ旋律を飽きずに歌い続けられるなぁと感嘆しつつ、岩の裏に隠れようと立ち上がった。足元に広がるシエナの森が目に入ったと同時に、激しい波動が全身を襲い、棒のように右肩から地面に突っ伏す。白い光が視界を閉ざすように広がっていく。閉じない眼が、昼の星の瞬きを見つけた瞬間に、ソウェは泡立つような感覚に満たされ意識を失った。

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