第30話 紙漉きと黒色火薬

 リュフタのクーペで粉挽き所に乗り付ける。案の定、応接間で待っていたサウリの表情は硬かった。


「サウリ、昼時にすまぬな」

「リュフタ様、ご足労いただき有難うございます。此度は何用であられましょうか」

「そう守りを固めるな。粉挽き所は職掌が違う。今日はただの遊興としておこう」


 リュフタの言葉の最中にサウリの眉が、つっと上がった。アケラは何か閃いたのだろうなと思案した。


「ふっふっふ。職掌といえば、御料林差配様に相談したきことがございましてな」


 サウリがアケラに目線を送ってくる。アケラは小首を傾げた。


「ヒューゴ殿に、木から紙が作れると聞いたので、試してみようと思っております。事がなった暁には許可をいただけるようにしていただきたい」

 サウリは懐からアケラがミッコに渡した懐紙を取り出し、リュフタに見せる。

「また、こやつか……次から次へと、よく働かせる」


 リュフタは苦笑いを浮かべながら、懐紙の手触りを確かめた後、光に翳してみた。


「ほう。これはなんとも滑らやかで上質な紙だ。インクの滲みもあまりない」

「それだけではありませんぞ。横に引っ張ってみてください」


 リュフタが懐紙を真面目な顔をして引っ張ってみると、紙はピンと張って暫く持ちこたえたのち、指の力がかかっている端が僅かにちぎれ、とどまった。

「薄手の紙だと言うのに簡単には破れぬ……」

「このような紙は、シエナ……いやソルメヴォリでも流通していないのではないかと」

「うむ……」

 アケラは違和感を感じたが、その原因が何なのか思い浮かばなかった。


「ヒューゴ殿、これをシエナで作れるというのか」

「材料さえあれば、紙を漉くには最適の地でしょう」

「その材料とは」

「数種類の灌木です。その紙に使われている材はシエナで見かけたことがありませんが、探す場所を変えるか、代わりになるものがある可能性はあります」


 アケラはここ数日の森のなかで楮や三叉を見かけてはいなかった。もう少し標高が低い森か地質の違う場所を見てみたいと思った。


「探索となれば森番を出すべきか……」


「その件について、リュフタ様とアファリ様にお願いがございます。マールト殿の下調べの際に併せて調べさせていただきたいのです、またその際にはソウェ様のご同行もお願いいたしたいのです」


「うむ。わしは別に構わぬ。マールト殿には監視は付けぬと約した。付き添いであるヒューゴ殿が自由に行動してもらっても問題はないな」


「うちのソウェは何をするのだ?」

「お嬢様は動植物に博識です。私が望む生態を持つ植物を探すには欠かすことの出来ない人材でしょう」

「ふむ。確かに植物のスケッチを見たことがあるが、植物図鑑よりできが良くて驚いたものだ。でも務まるのかは親としては心配だ。本人にも聞いてから決めてもよいか」

「はい、是非に」


 軽い食事を取りながら、エールを水代わりに飲んでいる。

 ワースの人々はアルコールに強いようだ。


「エールも悪くはないが、やはり葡萄酒に比べると酒精が弱い」

「まぁよい。仕事中であるしな……わしは休みにしてあったか。それもまぁよい」

 リュフタは少し回ってきたのか、緩くなってきているようだ。


「薬種ギルドで行った方法をエールで行うと、より強い酒精が得られたりしますが、億劫ですよね」


 アケラの呟きに反応した酒飲み二人がこちらをひたと見据えている。


「また余計なことですか……聞かなかったことにしてください」


 二人が揃って横にかぶりを振る。


 ジーマにエールを頼んで蒸留してもらう。

 アケラはふと、水属性とは水を扱うものではないのだろうなと酒精が抽出されるのを見ながら思った。流体状態の物なら扱えるのかもしれない。しかし集水魔法は大気を冷やして集めると聞いた。集水魔法の本質は流体操作と冷却と言う事なのだろう。


 リュフタとサウリは出来上がった酒精を舐めては歓喜している。アケラが持っている酒精は蒸留の過程を3回繰り返したものだが、飲用であれば一回で十分であろう。


 二人はエールに酒精を足して飲む技を開発したようで一段と盛り上がっていた。サウリが今日の農場行きをキャンセルするのには、然程時間を用しなかった。

 アケラは酔っ払いを残してタズとソウェを迎えに行くことになった。


 明日の打ち合わせと黒色火薬の作成を試してみたかったので丁度よかった。温泉源に行って硫黄を取ってきて来てくれたミッコには悪いことをしたなと心中で侘びた。


 ソウェを迎えに行くと、アケラが来るとは予期していなかったのだろう、ソウェの表情が明るくなった。

「あら、アケラ様、一体どういった風の吹き回しですこと」

 アケラは従者席で上機嫌なソウェの声に笑みを浮かべる。


「お父上が酒々ささをお召しになられてしまいましたので、こうしてまいりました。またソウェ様に内々に相談したいことも御座います」

「……タズ、いつもの所に降ろして頂けますか」

「わかりました。でも今日はお早めにお願いいたしますよ。アケラ様、お嬢様をお願い致します」

「はい。おまかせください。タズさんに迷惑をかけないように心がけましょう」


 シエナの街を出て山麓へ向かう道でキャブリオレを降りる。

 ソウェはいつもここから30分ほど掛けて山に登っていたそうで、足取りも慣れたものだった。


「ところで相談したいことってなんでしょうか」

「うむ。明日の休日を潰してしまうかもしれないのだが良いか」

「……内容によりますけど、一番優先しないといけないのは例の件ですから問題ありません」

「今回はお父上の頼みでもある」

「父が何か?」

「ソウェに聞いてから決めるようだが、明日の朝から山に入り、岩熊と植物の探索をすることになる」


 アケラは冒険者ギルドでのことから、薬種ギルド。粉挽き所までの出来事をソウェに話す。

 マールトとの争いと和解の行にかなり食いついて聞いてくるのには辟易とした。


「で、私は植物を探すってことね。いいわよ」

 ソウェは一部を強調するように言う。


「助かる。こちらの植物はまだ何も知らぬ」

「任せてください。負けませんよ」

 アケラは誰には負けぬのかとは敢えて問わなかった。


「しかし、二人で話をする機会が少なくて困ったものだ。いい方法があればよいのだがな」

「そうですね。ちょっとマークが厳しいかな」

「マークが厳しいとは?」

「いえ、なんでもないです。で、探す植物ってどんなものなんでしょうか」

「1.5タール程の高さまでしか育たぬ皮が簡単に剥ける木と、ぬめりを持つ植物」

「皮が剥けると言うと、ディプロモルファとかかなぁ。甘い変わった匂いがする木なんですよ」

「甘い匂い……」

 アケラは失念していたことに気づく。

「もしかして葉が水滴のような形をして、互い違いに枝についてはいまいか」

「えぇそうです……何処かで見たのですか?」

「テラに似たような木があったのを思い出した。雁皮がんぴという名前なのだが、高級な紙を作る時に使われるので失念していた。ソウェ様々だ」


「多分陽の当たる斜面の方に行けば生えていると思います」

 ソウェは満更でもない表情を仕掛けたが、それを隠すように言葉をつなげた。


 アケラはディプロモルファが雁皮であった場合、先に予測した転移者によるワースへの介入と言う考えを改める必要があると思った。転移者が木の苗を持って転移してくるとは思えない、紙漉き職人が持ってきたとしたら技術の伝承があるはずで、その気配のないシエナに植林されたとは考え難い。そもそも雁皮は植林に適さない。20年近く育てる必要があるからだ。


 アケラは矢立を取り出し、懐紙に花の絵を描き出す。

「このような花をつけ、花が終わったあとも枯れて残る植物に覚えはないか」

「こういう花をつける植物は幾つかあるけど、花が残るというとハイドランジアかな、この近くにもあると思う」


 15分ほど探した所でそれは見つかった。

 大樹が落雷で倒れた後に出来た低木が茂った中に生えていた。

「やはり糊空木のりうつぎであったか……」

 アケラは表皮を削ぎ、樹液を確かめると独特な滑りを感じた。

「おぅ、この滑りが必要なのだ。これが無ければ紙に斑ができて、書き心地が悪くなる」

 アケラが皮を捏ね繰り回し、滑りを指で伸ばして確認している手元から、ソウェは恥じらう様に目を背けた。

「アケラ様、確認はそれぐらいで良いのでは……」

「ふむ。急ぎ片付けぬと行けぬことがあったな。此処は調度いいやも知れぬ」

 アケラは背嚢から、硝石と硫黄と炭を取り出す。

 倒れた大樹に跨り机代わりにする。

 ソウェは横座りで何が始まるのか覗き込む。


 小刀で削った窪みに、炭を入れ、枝で作った棒ですり潰す。

 途中で硫黄を加え再び擦る。

 硝石を硫黄と炭の混合物の4倍くらい入れ、丁寧にゆっくりと擦った後に矢立から水入れを取り出し水を垂らし練る。


「ソウェ、ここからは少し離れていた方が良い」


 ソウェは倒木の上を歩いて遠ざかり、立ったままこちらを伺っている。

 アケラはふっと笑みを浮かべ、そこで良いと手振りをする。


 アケラは練り上げた物を丸めて、懐紙に挟むと、太めの枝を乗せその上に乗って圧をかける。

 暫くした後、懐紙を取り出すと水分が滲んでいた。

 新しい懐紙に乗せて風に晒す。


「ソウェ、少しばかりの火を炊いて大丈夫か」

「えぇ、大きな火で無ければ大丈夫です。バレなければですけど」


 アケラは頷くと少し離れた位置に火打ち石で火をおこす。

「これでよし、乾燥が足りぬが湿気た火薬程度には燃えよう。ソウェ火のそばにきて見ても良いがどうする?」

 ソウェは倒木の上を歩いて近づいてくる。

 アケラは小さく丸薬状にした火薬を一つ手に取り、近づいてきたソウェに見せる。

「これは玉薬という。火属性魔法と似たような事ができる」

 ソウェの顔がパッと明るくなった。

「この黒い塊がですか」

「うむ。テラではこれを使って戦を行う。鉄の大玉を打ち出し、城を攻めるのに使う」


 焚き火に近づき、丸薬を放り込む。

 直ぐには反応しなかったが、火に当たった所から焔が吹き出すと一気に火が周り、辺りを照らし、変な匂いがする白い煙を出して消えた。

「これって、お父様と戦ったときの炎ですね」

「うむ、ワースの材だけで作った。こちらに転移した後でも持ってきた火薬が使えた。ならば作れるのでは無いかと予想していたが果たして成った」

「マイルストーンに近付いたと言う事ですか」

「そうなるな、ソウェやご両親の力添えがなければ、今暫くかかったであろう。感謝する」

 アケラがソウェに頭を下げる。

「私も同じ使命を受けているんですから当たり前です」

「そうであったな、すまぬ」

「分かればよろしい」

 ソウェが柄にもなく戯けている。多分ソウェの本質はこのような明るい性格なのだろうなとアケラは思った。


 火の始末を念入りに行い、帰り支度を始める。

 背嚢に矢立を戻そうとした時、違和感に気づく。

 ステラータから貰った箱が、重みを増している。

「ソウェ、ちょっと来てくれ」

「なに?」

「この箱の何かが変わった。ソウェの物となるモノのはずだ。開けてくれぬか」

 ソウェは恐る恐る箱を手に取り、箱のロックを外す。

 中には単筒が収まっていた。


 アケラは火薬を作った事で何らかのワースの定義が変わり、単筒が現れたのでは無いかと推測した。

 新たな技術をワースに齎せば、この箱の中身は進化していくのかもしれない。

 となると、ステラータは物そのものではなく概念を具現化する物として箱を渡したということか。


「ソウェ、これは片手で扱える火属性を元に金属攻撃を行う魔法の道具と言っていいものだ。確かステラータが使い方を教えろと言っていたな」

 ソウェは箱を差し出す。

 単筒を手に取ったアケラは別の箱から玉薬と鉛玉を取り出し詰めると、火縄に火を付けた。

「ソウェ、耳を抑えておくといい。あの木を狙う」

 アケラは構えると、引き金を引く。


 タンッと小気味の良い音を立てて単筒の先から火が吹く……と同時に0.2タール程ある木の幹に穴が空き爆発した。

 アケラは予想外の威力に戸惑った。木がゆっくりとこちらに向かって倒れて来る。アケラは咄嗟にソウェを片腕に抱き奔った。大樹の倒木の向こう側に飛び、ソウェを隙間に入れ覆いかぶさる。時を待たず木の枝がアケラの背を打つ。

「うぐっ、うううぅぅぅ……」

 アケラは息が止まって動けず、唸るような声だけが漏れる。

「アケラ……アケラ……」

 ソウェは気が動転してアケラの名前を繰り返しながら、動かせる右手でアケラの脇をさする。

 アケラは目だけで大丈夫だと合図を送る。


「……がはっ、はっはっはっ……」

 暫くして息が戻り、激しく呼吸を繰り返す。

「す、すまぬ……はっはっ……思ったより……はっはっ……強かった……ワースでは何か別の……はっはっ……理があるやもしれぬ……」


 アケラは枝を避け、立ち上がると、小枝を苦無で払う。

 隙間ができた所でソウェを抱き上げる。

「これを使いこなす事ができようか……」

「恐ろしいですけど、私が戦うには絶対に必要になります」

 アケラは頷き、ソウェを抱き上げたままだったのに気づき降ろそうとする。

 ソウェはアケラの首に掛けた腕に力を込め、耳元に口を寄せ小さく呟いた。


「誰にも負けませんよ」


 アケラは再び誰にとは問わなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る