第36話 新しき道

 アイリッカラと偵察の男、刀の手入れをしていた男は最低限まで回復させて置いたが、口を噤んだまま何も喋らない。喋らせる事も出来るがリュフタの判断に委ねることにした。


 実検使達は到着すると、マールトを連れ、男達を検分し始めた。


 アケラとソウェは自由にして良いというので、近辺の探索に出かける。


「ソウェ、これを見てくれないか。索敵の最中に見つけたのだ」

「あ、これがディプロモルファです」

 日が差し込む川縁の斜面に生えていた。ワースでも暖地に生える植物なので、この標高では大きくは成長できないようだ。楮はより暖かい地方に行かねば見つからないだろうという見当もついた。

 親指ほどの木を苦無で刈り取り、枝を払い、皮をはぐ。独特な甘い香りがあたりに満ちる。

 樹皮を削ぐと艷やかな半透明の甘皮が現れた。

「変わった匂いですけど、嫌いではないです」


 二人で手分けして20本程刈り入れ、ランチを食べた焚き火の横に運んできた。

アケラが枝を落として皮を剥きソウェに渡すと、小柄で器用に樹皮を削ぎはじめた。

「うわ、簡単に削げます」

 ツボに入ったのか一心不乱になって小柄を使うソウェの手先をアケラは見守る。


「これを水に晒して、煮て、叩くと紙の元となる」

「父の水車小屋で叩くんですね」

「その心積もりのようであった」

 サウリの笑みを思い出す。

「出来れば農場に引いた温泉の排水で水を温め、晒すのも試してみたい。薪炭は節約しないと高く付く」

「温泉に浸けては駄目なのですか?」

「紙が脆くなってしまうだろうな」


 結局、ソウェが手のかかる作業を全部してくれたので、アケラは枝を払って渡すだけで済んだ。


「国元では、紙を使って障子という物を作り、窓の扉にするのだが、シエナでは庶民は羊の皮を使うようだ」

「ガラスを使う家は限られていますね。紙で出来たら、光がもっと入る窓が出来るかも」

「あと、油を塗って傘を作りもするが、雪の降るシエナでは使い勝手が悪いか」

「冬は外套でないと寒いですし、雪が吹き込んできてしまいますね。日傘は使っている人はあまりいません。暑い地方だとどうでしょう」

「交易に使えるのなら作りかたを教えられよう」

道場の同輩の家は傘張りで糊口をしのいでいたのを思い出す。何度か手伝いに行ったこともあるのでおおよその作り方は分かっている。ただ柿渋かその代用品を見つけねばなるまい……。

「……ソウェ、これくらいの柿色……あいや……夕日のような色をした渋い実がなる木はないか?」

アケラは指で柿の形を模した。


「うーん、多分シエナには無いと思います。あるとしたらダナエかな。学校の植物図鑑を見れたらいいんですけど」

「見せてもらうには誰の許可があればよいのだろうな」

「お父様に頼めば大丈夫だと思います」

「では頼むとしようか。あぁ、そういえば、紅茶を喫しているが、あれはどこで産するのであろうか」

「あれもダナエから来ています」

アケラはかつて葡萄牙ポルトガル国が日本の茶を講じ、茶の湯を国元で大尽の趣味として売っていると何かの文書で読んだのを思い出す。

茶の実があれば、標高を変えることで栽培できるかもしれない。


「拙の国元とダナエは似ているのかもしれぬな」

「偶然でしょうか」

「今のところ分からない。いつかワースを自由に旅してみたいものよ」

「私も……行けたらいいな……」

「……うむ。それは楽しかろう」


アケラとソウェは焚き火の爆ぜる音に暫し時間を任せた。

ソウェはふと顔を上げると、そこにはいつもと変わらぬアケラの柔らかな笑みがあり、吸い込まれそうな気がした。


「……父と母にどう伝えたら良いのでしょう」

「ロウェと魔核か……早めの方が良いであろうな。ダリウス砦には皆一緒に来て貰わねばなるまい……想像以上に魔法は手強い。一人ずつ対処するのであれば然程でもないが、連携を取られると途端に手が少なくなる」

「ロウェについては時間をかければ追々解決できると思いますが、一緒に行くのを認めてもらうのが難しそうです。内緒で出かけるしか無いかも」

「父上殿にも世話になっている手前、気が乗らぬ、さてどうしたものか……」


アケラが払った枝を焚火にくべると、泡のように樹液が噴き出し、黒ずんだかと思うと一気に火を噴いた。


「け、結婚して新婚旅行とか……」

冗談で言ったつもりだが、口に出してみた途端に恥ずかしさ込み上げてきて、ソウェが赤らむ。

アケラは焚火からソウェへと目線を移す。

「ふっふっふ。それもいいやもしれんな」

「えっ! いえ……あ、あの……」

「サウリ様に胸襟を開いて、マイルストーンの件を話す時が来たのかもしれぬな。認めてはもらえぬ可能性が高いが、協力なくば今後が立ち行かぬであろう」

アケラが冗談を言っていたのだとわかり、ソウェは安堵と落ち着かない感じが半々の状態になり、宙づりになっているような気分に陥った。

「あの父が聞いてくれるかしら……」

「精々足掻いてみせよう。いざとなったら駆け落ちもよかろう」

揶揄からかうのやめてください」

ソウェは両の耳を抑え、赤面していた。アケラはジーマとの約束をソウェに打ち明けるタイミングを何時にすべきなのか考えていた。


杣道からエルメルを先頭に人足がやってくるのが見えたので、アケラ達は実検使の元へ案内する。

後はエルメルが受け持つので、アケラ達は実検使達と一緒に先に戻る事になった。

「ヒューゴ様、差配様がよく働かせるやつだと呆れておりましたよ」

「はい。お話に伺った時の表情は正にそのような感じでした」

「一体どうやって移動したのか聞いてもよろしいでしょうか」

「強化魔法ということで良いでしょうか」

「失礼いたしました。聞かなかったことにしていただきたい」

アケラとエルメルは笑みを交わした。

「今回は差配様にとどまらず、領主様も評価を上げることでしょう。恩に着ます」

「シエナがより良くなると良いですね」

「えぇ分捕ってみせます」

エルメルが拳を見せて戯ける。


「な、なんですか、これ? でか過ぎないですか? うっうわっ」


ホールリビリーズの死骸に案内した時、エルメルと人足が思わず後退あとずさった。

内臓から溢れた内容物が、そのままだったので、それを見た数人の人足が気分を悪くして森の中へ走り、木陰でえづいていた。


「この大きさだと、今日運ぶのは無理か……」

ホールリビリーズの死骸から高値になる肝や皮や爪などを採取し、残りの部分人足の中にいた若い皮剥ぎ人がこのまま解体ドレッシングをつづけ、この場で野営し明日運ぶことになった。


虜囚は実検使の供の馬に乗せて引き立てられ、死んだ者たちは遺品をまとめると荼毘に付された。

マールトはアイリッカラの監視のため、実検使に着き従っていたが、暫くするとアケラ達のところまで下がってきて轡を並べた。


「今回の事、感謝する」

「有り難く受け取っておく。ところですぐに帰るのか?」

「いや、帰らせてもらえぬようだ。飛竜便で長に連絡を取り、返答を待ってソメルヴォリの出方を決めるまで足止めされる。どれだけかかるのかまったくもって見当がつかん。宿代も馬鹿にならぬのでどうしたものか……」

「あの、もし長く居ることになりそうなら、我が家に来てはいかがでしょう。師匠の屋根裏が見習いの住まいというのが定番ですから問題無いかと」

「ソウェ、マールトにも都合があるだろう。でも良い提案だと思う。どうだ?」

アケラが振り向くとマールトの目が活き活きと輝いていた。

「よ、よいのか? 色々あって手元不如意だったのだ……いくらでも稼げると思っていたが旅を急ぐあまり費えが付きかけていた所に、またこれと。もう、どうしようかと、宿代きっついし野宿かなぁとか、毎日毎食ガッチガチのパンなのかとか、雪が降ったら雪洞つくって落ち葉を敷こうかとか、帰りの旅費どうしようかとか、いっそ一家伝来のこの品を……とか、色々考えて気が滅入っていたのだ。もうありがたくて涙が出そう。で、親御さんは大丈夫かな?」

マールトが手綱を放ってソウェの手を両手で拝むように挟み、ソウェの瞳を見つめている。

「あ、あぁそうでしたか……マールトさんなら父も母も喜んでくれると思いますよ」

「今回は男同士の会話は必要なさそうだ」

マールトがソウェの手を握ったまま、怪訝な表情を見せアケラを振り向く。

「どんな会話なのか気になるのだが、娘の前で聞いてはいけない感じか?」

マールトは独特な趣味を持っているのかもしれないとアケラは半眼になって勘ぐる。

「も、もう、なにを言ってるんですか。ただ単なる決闘です。 ケッ ツ トォ ウッ」

ソウェがマールトに握られた手を振って抗議する。

「それはなかなかいい酒肴ではないか。父上殿とは息が合いそうだ」

「あ、あのぉ。マールトさんって何歳? とかって聞いてはいけない感じですか?」

「構わぬ、弱冠63歳。成人してから3年と言ったところだ。ガイドライン的にも飲酒がいける」

「ガイドラインて……」

マールトは抱えていた鬱屈が消えたせいか躁状態になっているようだった。

アケラは重くなりそうな話は明日にしておこうと思っていたが、ソウェが突っ込んでゆく。


「マールトさんの故郷ってどんな感じですか」

「生まれはシヴォネンのアラスタ大樹林と渇海の境にあるアワシュ。外界から何重にも閉ざされた辺境も辺境」

「アラスタ大樹林というと禁足地……」


ロウェの存在を感じた。

『アケラ』

『何かあったか』

『気になることがある。マールトに話を聞きたい』

『自分が代わりに聞けばよいのか』

『精霊界側で話をしたほうが良い。マールトに言えば意味がわかると思う』

『我等はどうする』

『アケラとは感覚を共有したままでいる。ソウェには感覚を転移して共有させる』

『器用だな』

『不死の呪いの賜物。多分不死の根源的な詠唱の一部か、そのものなのかもしれない』

『ではマールトに伝えよう』


アケラはマールトに馬を寄せると、小声でつぶやく。

「ロウェが精霊界で話をしたいそうだ」

マールトは頷くと、黒い布を取り出して目と耳を覆う。

ソウェはアケラから戻ってきたロウェに感覚共有で伝えられたようで、アケラを見つめて小さく頷く。


アケラの視界が光で象られた世界へと変化する。

そこには朧げな形をしたマールトが居るのが見えた。


『ロウェ様、お招きありがとうございます。お目にかかれて光栄です』

『宜しく頼む』

『この度は御用がお有りとお伺いいたしました』

『渇海について知りたい。共感野に出せる範疇で構わない』

『……アワシュの海辺で宜しいでしょうか』

『それでいい』

『では……』

朧げなマールトの中から玉のような景色が写り込んだような球体が現れる。

ロウェが手に取ると、光の世界の光景が球体の中に光景に変わり、森の香りに満ちた風を感じた。


見渡す限り10数人でも抱えきれぬような巨木がそこかしこに屹立し、地衣類が大地を覆い、けたたましい聞いたことのない生物の鳴き声が響いている。

空は紫がかり、巨大な雲が幾条もの筋を作り流れてゆく、ときに雷光が光るが音はしない。

樹間の隙間に青紫色の平面が広がり、遠くで大きな波がふわりとうねるのが見えた。


『これが渇海……』

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