第35話 緒戦


 アケラは後詰の手勢の裏手に回り様子を窺う。

 前衛の一人が刀の手入れをしている。もう一人の前衛は少し離れた叢で装備を緩めて横になっている。

 後衛は横になっている前衛と談笑しているようだ。


 彼らを始末すると気配が消え気づかれるかもしれない。10分程度は生き続けるように、手足を切り付けた後、意識を刈り取って縛り、川に浸けておこうと判断する。


 算段をつけた時には、手入れをしている前衛の男の後ろに回り込み、布を巻いた拳で顎を打ち抜く。白目をむいて倒れる男の口に素早く腕を回し塞ぐ。


 残りの男たちに気付かれていないのを確認しながら、後ろ手に縛りあげる。


 木立を利用して後衛の魔法職の後ろ数タールまで近づくと、一気に殺到し、霞で腕を切り飛ばす。男の服にはチャント効果があったようで、手ごたえがかなりあった。

 腕が切られたのに気づかず、とっさに身を引こうとする魔法職の男の顎を左のつま先で蹴り上げる。

 蹴り上げた足をそのまま勢いのまま回し、叢に伏せ、起き上がろうとする前衛の男の脇を胴鎧ブリガンダインの隙間から突き、肺腑を抉らぬように腕の筋を切る。

 素早く刀を引き、膝立ちになり、声を上げようとする男の人中を抉りで殴りつける。

 身を捩って逃げ出そうとする男の足を膝あての隙間から刀を差し入れ横に薙ぐと靱帯が切断した手応えがあり、男が暴れた。男は人中を殴られた時に大量に出血したせいで声にならないうめきを上げる。踵で顎を蹴ると白目をむいた。


 3人を川まで運び傷口が水に被る程度の浅瀬に放り込む。目を覚ますと厄介そうな後衛の魔法職は、失血を多くして、魔法を使えなくなるように敢えて腕を切り飛ばした。


 杣道を越え、先ほど潜んだ野営地の裏手に回る。


 気配を探るが動きはない。魔獣の近くにいる男がテイマーなのかもしれないと見当をつける。マールトに気取られている間に始末するのが上策だと判断し、クレナータの梢に登り、手鏡で対岸のマールトに合図を送る。


 マールトがしなやかな足取りで川を渡り灌木の隙間に潜むのを確認すると、クレナータから降りた。


 マールトが杣道の方へ向かうのを気配で感じながら、魔獣の唸り声のする方へ近づいてゆく。


 その時、テイマーと思しき男が声を上げ、走りだすのが見えた。

「ヤツだ! 気をつけろ、そっちに向かっている!」


 マールトと同じ紅毛の男がマールトの背を取る形になっている。

 更に男は魔獣も引き連れていた。


 アケラは力の限り走る。


 マールトが紅毛の男に気づき引き返すような位置を取る。

 杣道の方にいた男たちが戻ってくるのが見えた。


 アケラはマールトが逃げても攻めても問題ないように、戻ってくる男たちを始末することにした。


「アイリッカラがなぜ此処にいる? アールヴとあろうものが法を破ってよいのか?」

 マールトの喝破が聞こえた。


「法は強き者が書き換えればよいもの、何を尊ぶ」

「法が無ければ契約は成り立たぬ」

「笑止、法を破っても契約された詠唱は使えるではないか」

「集えザラマンデルの同胞はらからよ、その強きを以て炎となり敵を貫け」

 火の矢が現れマールトへと殺到する。

「猛き風となり飛べ、シルヴェストル」

 マールトも短唱で対応し、風の刃で炎を切り裂き、アイリッカラと呼ばれた男に殺到する。


 走り戻っていた魔法職が立ち止まり防御魔法を詠唱し、風の刃からアイリッカラを守った。


 その遅れた男の首筋をアケラが脇差で薙ぐと頸椎の隙間に刃が入ったのか、軽い手ごたえを残して首が飛んだ。

 小さな間欠泉のように血を噴き出して首を失った男が倒れこむと同時に、足の遅い大柄な前衛の戦闘職の男の背後にアケラが迫る。


 後ろの気配に気づいた男が盾を回して防御の姿勢をとる。

 盾の下から攻められない様に盾を地面に突き立ている。

 剣や斧で盾を叩けば、地面と男の肩に相殺されて弾かれるだろう。

 男はその隙を狙っている。

 ただ、アケラは重量で圧す獲物を持っていないので意味はあまりない。

 あるとすれば一方から攻めにくくなるという効果があるだけだ。


 盾の横に回り込み、男の鎖帷子チェーンメイルの隙間から覗く目に礫を打つ。

 防御魔法を既に展開していたようで礫は弾かれた……が一瞬瞬きをしたタイミングをアケラは逃さず、近接するとベガ特製の針を突き立て、素早く身を引く。


 男は何があったのか一瞬迷うような表情を見せた後、痙攣しだした。


 アイリッカラに駆け寄ろうとしていた二人が、アケラの存在を気取ると同時に仲間が始末されたことに気づく。


 前衛が盾を立て、右側の上部の切りかけから槍を見せ、その後ろに魔法職が詠唱しだした。

 アケラは距離を取りつつ回り込み、マールトの方向へ下がる。撤退をする場合を考えての行動だ。

 そこへ魔法職が放った氷の矢が襲う。山岳狼と似たような攻撃魔法なのだが、威力と量が山岳狼ほどではないのが救いだった。


 マールトは魔法の打ち合いの後、アイリッカラに魔獣を前面に出され、今は圧し込まれているようだった。

 魔獣は3タールおよそ4mは在ろうかという灰色の熊だった。


 マールトはこちらの意図が伝わったのか、合流するような足さばきでこちらに向かってくる。

 それに気づいた二人の男は、そうはさせまいと間に入り込もうとする。


 がしかし、その行為があだとなった。


 熊が殺到し魔法職の男を爪にかけると、詠唱途中だった男の体が弾け、粉になって散った。

 戦闘職の男は後ろから来た熊に頭を噛まれて食われた。

 男の腹に魔獣が前足をかけると鎖帷子は布のように引きちぎれ、紐のような腸が噴き出すのが見えた。


「あれはホールリビリーズなのか……聞いていたより大きいではないか……」

「いや、あれは異常だ。というより異常体を越えている」


「おいアファティラ、そろそろ諦めてもらおうじゃないか。アールヴの馬鹿な連中もこいつを連れて行けば皆いうことを聞くか、口が利けなくなるかだ。お前はどっちだ、はははは」


「アイリッカラ、何をした」

「サレルマで研究していた技を試したまでよ。母熊の魔核をこいつにぶち込んで子熊を食らわせてやった」

「そのようなことをしては魔核が暴発して生きながらえるわけがない」

「だろ? でもな治癒魔法で魔隔壁を常に更新し続ければ……おい、食ってばかりいるな」

 魔獣が苦悶の表情を浮かべたと同時にこちらに向かってくる。

 目にもとまらぬ速度で殺到すると本気で避けたアケラの背中のすぐ後ろを爪の斬撃が通り過ぎて行く。

 少しでもかすれば胴を二つに折られてしまうような一撃だった。


「させるかっっ、ここで貴様を挫くまで」

 マールトの眦が吊り上がり、全身に剣気が満ちる。


「今一度ひとたびの盟約をもって力を授けたまえ、猛きシルヴェストルよ、我が名はアールヴ」

 マールトは体全身に風を纏い、魔獣に向かう。

 アケラはその隙にアイリッカラを狙うが、魔獣のすぐ後ろに隠れていて近寄れない。


 マールトは魔獣の攻撃を避けては切りかかるが剣が弾かれてしまう。

 短唱の攻撃魔法では傷つけることすらできない。


『ロウェ来れるか』


『わかった』


 アケラの視界が緑色の波の風に奪われる。ロウェの感触をすべて感じる。


 マールトとアイリッカラが慄くような表情を浮かべて一瞬固まる。

 魔獣がその隙を見逃さず、マールトがはじけ飛ばさた。

 防御魔法をかけていたのか、先の補助魔法の効果なのか、衝撃には耐えたようだが、纏っていた風は失われ地に伏して動かない。


 アケラは黒い霧になり、マールトの傍に現れると、抱えて退避する。

 マールトは苦悶の表情を浮かべ息も絶え絶えとしている。


 魔獣はすさまじい速さで追いかけてくる。

 このままでは助からないと判断したアケラはマールトを川縁のクレナータの枝に隠すようにもたれ掛けさせ、魔獣の前に降り立った。


 殺到する魔獣に無拍子で太刀を抜き切りつける。


『孤影斬』


 魔獣の振り下ろしてきた右手が切れて飛び、当たった岩が吹き飛んだ。


 魔獣が一瞬ひるむ。


 再び刀を振るうと魔獣の首が飛んだ。


 倒したかと思ったが、光に一瞬包まれると、もう一つの首が生えてきた。

 腕も同様に生えそろっている。

 アイリッカラが魔核を二つ与えたと言っていたがこれがその効果なのか……


『魔核が暴発するのを待つしかないのか』

『暴発させるにはあの男が邪魔』

『分かるのか』

『思考から記憶を予測した。追いついてきたあの男が治癒魔法をかけている』


 魔獣が再びアケラに襲い掛かる。


『孤影斬』


 先とは違ってごりっとした手ごたえがあり、太刀が押し戻される。

 アケラはその勢いを使って後ろに飛ぶと同時に霧となる。


『防御魔法がかかった。相手は闇の火、互いに相性が悪い』

『闇の火が治癒魔法を扱えるのか』

『あの男の固有魔法が治癒であれば説明がつく、かなり珍しい』

『魔素切れを待つか、あの男から離す算段を考えようか』

『離れた場合、アールヴの女が殺される可能性を無視できない、戦えばあの男の魔素切れも近づく』

『戦うしかないか。ソウェの居所はつかめるか』

『まだあの試練と戦っているだろう』


 ソウェの新しく覚醒するはずの力はまだ頼れない、アケラは再び考える。

 魔獣の攻撃を揶揄からかうかのようにかわしては消えを繰り返す。

 魔獣は闘争本能に操られるままに延々と追い続ける。


『ロウェ、風とはなんだ』

『気体を操る力』

『ここよりずっと高い場所の空気を運ぶことは出来るか』

『出来る』

『逆もまた可能か』

『出来る』

『ならば同時には』

『普通は出来ない』

『普通じゃなければ可能なのか』

『私達ならできる』

『拙とロウェでか。どうしたら良いのだ』

『夏の雲を思い浮かべて』


 アケラは犬吠から見た春の入道雲を思い浮かべる。

 夏でもないのに雲があれよあれよという間に育ち、辺りが薄暗くなるやいなや冷たい突風が吹きすさび、同時に稲光と雹が叩きつけてきた。雨宿りしていた軒を雹が突き抜けてきたのに当たってしまった忠助が転げまわっていた。あれは自分をかばったのだろうな。


『ふふ、忠助は良い』

『ロウェは気に入ったか、いい男だぞ』

『良い男はアケラだけで良い』

『こんな会話を知ったらソウェが焼餅を焼くどころか家まで焼くぞ』

『ソウェは優しい子。大丈夫』

『ソウェと初めて呼んだな』

『そう』

『うむ。認めてもらえるといいな』

『そうね』


 魔獣の攻撃を避けた瞬間に苦無を中てると防御魔法を潜り抜けて、魔獣の皮を裂いた。


『魔法に頼らねば火の防御に刃を通せるようだ。だが膂力りょりょくで太刀打ちできぬ』

『刃を通してから攻撃魔法を発動させてみる』


 魔獣は傷ついたことで距離を少し取った。

 多分、アイリッカラが不審に思ったのだろう。


 雷が聞こえた。

『来たか』

『そうね。時間がかかるのが難点』


 再び雷の音が聞こえた。先の雷より近づいてきている。

 瞬間眼前が光に包まれると同時に吹き飛ばされる。

 ロウェが霧となって避けた。


 落雷で発生した火花が消えると、クレナータの大木が焼け焦げ内部が光々と燃えている。その脇で魔獣が煙を噴き出して倒れていた。

 がしかし、体中の裂傷が治癒し始めているのも見えた。


 アケラは殺到し、魔獣の腹を裂くと薄く貫くにとどまったが、同時にロウェが詠唱を唱え、腹膜と内臓を断ち切った。濃密な血の匂いをまき散らして腸が噴き出す。熊だった一部や人だった物が恨みがましいような粘性をもって流れ出てくる。


『魔核』

『一つは見つけた、まだあるはずだ』

『あった』


 アケラが巨大な魔核を取り出そうとした瞬間、魔獣は最後の抵抗とばかりに両腕を振り上げてアケラを襲う。

 ロウェが霧となって逃げようとしたが、破裂音と共に魔獣の頭から胸が砕け散った。

 魔核が剥き出しになったのを太刀ではじき出すと魔獣は動かなくなった、それをみてアケラは叢に倒れこむ。


「アケラ、誰にも負けませんよ」

 単筒を片手に立つソウェをアケラは眩しげに見上げた。

「ところで美人についての報告をさせてもらう」

 ソウェが全てわかっていると言いたげな顔で笑っていた。


 アケラはアイリッカラに追いつき両膝を砕いた。

 魔素切れを起こしかけて動けなくなる寸前だったようで簡単に始末が済んだ。


 ソウェと一緒にマールトを救助しに行く。

 マールトの持っていたポーションとソウェの馬のサイドサドルの後ろ側につけられた嚢からイスロが持たせてくれていたポーションを取り出し与える。


 ソウェが介助している間にアイリッカラと偵察の男を回収する。

 ソメルヴォリにも外交で得点になるかもしれぬとアケラは思い至った。サレルマ公を追い落とすにしても、サレルマ公が簒奪に成功しても駒になる。


アケラがシエナのリュフタに伝えて、魔獣の回収と罪人の捕縛を頼むことにした。


梢に駆け上がると霧となり、空を駆け抜けて行くアケラをソウェとマールトが見送った。


「ヒューゴ殿はいったい何者なのだ」

「なんなんでしょうね。勇者様という感じではないかな、どちらかというと英雄に近いかなぁなんて思ってます」

「ソウェ、あなたもだ。光の聖女の記述にそっくりだ。精霊界でも同じ姿に映っている。今回はあなたそのものだ」

「前回は真っ白だったのでしょう? あれは姉です。恥ずかしながら今まで彼女を……ロウェを、私の心の支えになってくれるたった一人の親友だと思っていたのです」

「重ね重ね失礼仕った」

マールトが片膝をついて詫びる。

「今まで通りで良いです。そういう実感もありませんし。また元に戻らないと行けません」

「そう言っていただけると心が軽くなる、もう一人の聖女はロウェというお名前か。彼女も聖女であったか」

「姉妹だとそうなる物なのですか?」

「聖女自体が滅多に存在するものではない。それが双子などもっとあり得ない確率になろう」

「双子であって双子ではないのです。彼女の魔核と体は私の中におります。思念はアケラと一緒になっています」

「うーん、もうごめん、わけわかんなくなってきたよ」

マールトの素が出た珍しい瞬間だった。


火を焚いてお茶を入れている所にアケラが戻ってきた。


「リュフタ様が人を送ってくれるそうだ。それまではここで待つことになる。実検使は早駆けで1時間半程度で着くそうだ」


「こんな状態でなんだが、飯でも食うか」

マールトがガチガチのパンを差し出す。


「ちょっと待ってくださいね」

ソウェはイスロが用意してくれたランチを広げ、マールトのパンを温めなおしたスープの横に置いた。


「なんか、色々、すまん」

マールトがスープを啜りながらポツリとこぼす。


ソウェがマールトの肩に優しく手をかけるのをアケラは微笑みながら見つめていた。

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