第34話 予兆

 ソウェと轡を並べてクレナータの森を進む。木の枝や幹に霧藻きりもがついている。ここには霧がよく出るのだろう等と植物の観察に没頭していると、ソウェが意を決したような表情をしてアケラに向き直る。


「あのですね、アケラさん」

「うむ」

「マールトさんって凄い美人ですよね。アールヴって聞いてたから、そうじゃないかなぁって思ってたんです」

「そうだな」

「……言って欲しかったなぁ」

「言わなかったか」

「うん、一言も」

「そうか。ところで……」


「ところでじゃなくて、大事なお話しの最中ですっ!」

 ソウエがまなじりを釣り上げている、アケラは苦笑が出そうになるのを堪え、無表情のままソウェを見返す。

「ソウェはもっと可愛いと思うが気になるのか?」

「そ、そういうことじゃありません……」


 ソウェの寒さで白くなった頬に朱が差す。


「……か、隠し事がなければいいのです」

「これからは美人についても報告しよう」


 アケラが微笑んで見つめ返すとソウェが目をすっとそらした。


「えっとそういうことじゃないんですけど……ま、良いですそれで……」


「では、の続きなのだが、この森には人が良く入るのか?」


「冒険者が来ることはあるのでしょうけど詳しくは……、放牧者が豚をここまで連れて木の実を食べさせるには遠すぎます。何か?」


 ソウェの表情が引き締まる。


「わずかだが下生えに乱れた跡がある。人……男の足運びだ。それも古くない。2、3日経ったものと1時間程前の2つ。古い方は3人、新しい方は1人」

「今朝一番に私達が出ましたから、シエナの冒険者ギルドの人間ではなさそうですね。野営する必要もないですし」

「注意しておこうか」

 ソウェは不安げにあたりを見回したが、何も見つからない。

 アケラが馬を並べ、ソウェの頬に顔を寄せると小さく呟く。


「警戒をしているように見せぬ方が良い、普段通りで構わん」

 ソウェは一瞬驚きかけたが、堪えて頷く。

「先までのような会話が良いかもしれんな」

 アケラが口角を上げるのを見て、ソウェは苦笑した。


 マールトが現れるまであまり動き回らずにいたほうが良いと判断し、馬に草をませつつ、周辺を調べる。


 岳樺だけかんばに似た木に苦無で深く傷をつける。すぐに樹液が滴り落ち始めるのを手ですくい、味を見てみるとかすかに甘味を感じた。

 赤蝦夷ロシアではこれを煮詰めて蜜にすると言うが、どれほどの量がいるのかと思案する。

 ソウェが近づいてきて味を見るが、不味そうに舌を出す。


「これを煮詰めると糖蜜になるそうだ。あ、舐めすぎると腹を下すかもしれぬぞ」


 再び手で樹液を掬おうとしていたソウェの手が止まる。


「えぇっと、この辺にしておこうっと」

「ふふ、その程度であれば問題ない。半日もすれば1升は取れようか。匙4杯分くらいは取れれば御の字か。しかし、ここまで下ると森が豊かになる。この斜面でなければな……」

「この斜面は不便なだけではなく、街を作ろうと森を切り開けば雪崩が襲います」

「そうか、雪が降るのだったな」

「テラには降らないのですか?」

「育った土地では雪は年に数えるほどしか降らぬ」


 アケラは江戸の雪景色を思い出すと懐かしい光景がよみがえってくる。雪の日に外に遊びに行きたいと愚図る允景のご機嫌を取ろうとシマが長火鉢で大福を焼いている。忠助が大人気もなく雪玉を投げつけてくる。雪が深々と積もる夜、允次の腕の中で小さくなっていると、允景の冷えた足を允次が自分の太ももにあてて「温いか?」と聞いてくる優しい声と温もり。皆、お庭の者ではなく人として育てくれていたのだなと気づく。


「いつかアケラの国へ行ってみたいです。今度ステラータに会ったら聞いてみます」

「そうだな……マールトが来たようだ」


馬に乗りマールトに合流する。


「待たせた。精霊共が湧き立っていて苦労した」

「何かわかりましたか?」

「ホールリビリーズの母子と人に追われている雄を見たようだ」

「それって……アケラ……」

「うむ、人が踏み荒らしたような気配があった。2、3日前の物と今朝の物だ。何か心当たりはないか」


マールトがソウェを一瞬見た。


「無くはない。彼奴らの手の者だろうな。シエナに気配がなかったので、手回しがここまで早いとは思わなかった」


多分マールトはソウェの事を慮って退くことを考えているのだろう。だが、ここで不自然に引き返すのは相手に警戒をさせてしまう。ソウェならいざとなればロウェが守れるとアケラは踏んだ。


「今朝の足跡はシエナあたりで見張っていた伝役つてやくだろうな」

「この先に罠を張っている……だろうな……精霊たちを湧き立たせているのも手かもしれぬ」

「覗きに行くか? アールヴが居たとしても向こうも精霊達からこちらを気取れぬのではないか?」

「であろうな。罠をかけているなら、気取る必要もない」

「精霊からマールトの情報を聞き出すのに苦労しているであれば隙も生まれよう。拙が先行する。新しい気配を辿れば自ずと知れる」

「彼女は任せてくれ。いざとなれば逃がすことは出来るだろう」

「印を残すので辿ってくれ。速歩トロットでかまわぬ。近づいたら速度を落とすよう指示を印で出す。ソウェ、マールトの指示に従ってくれ」

ソウェが心配そうな面持ちで頷く。


アケラは手綱をソウェに預けると音もなく走り去っていった。


「ヒューゴは補助魔法なしであれか……」


しばらく気配を読んでいたマールトが呟いた。


「はい。強化魔法の立場がないです」

「実はなアールヴの結界にヒューゴは反応しないのだ。気付いた時には首が落とされていよう……あ、そう言えばソウェ、お主も反応しない……探らなかったので気付かなかった。いったいどういう事か」

「……私、生まれる前から魔核反応が無いんです……そのせいかなって」

「……すまぬ辛いことを聞いてしまった」

「いえ、良いんです。馴れてますから」

ソウェは「アケラと同じですし」と心中でにんまりとする。


アケラは杣道を避けて気配を辿り、分かれ道に印を置いてゆく。

あの足取りで1時間半先行しているとすれば、3時間もすれば追いつくが、多分それよりも前にいずれかに行き当たるだろう。


30分ほど進むと、杣道から外れた所に男が潜んでいるのを見つけ、気付かれぬように回り込み絞め落とす。目を覚ます前にマールト達は通り抜けて居よう。


見張り役の男の足取りと伝役の足取りが重なる。この近くの杣道で襲いやすいところがあればそこに仕掛けがあるだろうと予測し、杣道を大きく離れて探索する。

クレナータの大樹に登るとせせらぎの音が微かに聞こえた。

川がありそうな場所を目算で見極め、下流側に大きく迂回し、川を渡り杣道に戻るように川縁を進むと複数の人の気配を感じる。


杣道が途切れ、小さな谷のようになった場所を渡った所で襲うつもりのようだ。

こちらで待ち伏せ居しているのは3人のようだった。

アケラは引き返し、杣道に常歩にするように印をつけると、上流側に回り込む。

とやはり気配があった、川を渡った所で挟撃するつもりなのであろう。


野営しているようで、下流は罠のために送り込んでいるだけのようだ。


野営地の人数を索敵しようと、裏手に大きく回り込む。

野営地の奥から獣の唸るような声と、鉄が打ち合わされるような音がする。

音からするとかなりの大物かもしれない。


「人はともかく、獣はまずいかもしれぬ」


もう少し近づきたいのだが、気取られる可能性が高い。

人の気配は5人まで確認できた所で引き返す、先の印のあたりに戻りマールト達と合流しないといけない。


川を再び渡りクレナータに登ると、暫くしてマールトとソウェが進んでくるのが見え、合流した。


「この先の川を渡った所で挟み撃ちにするつもりらしい。左手に前衛2人後衛1人、右手に前衛2人と多分後衛の3人と魔獣だ」


「自分如きに大層張ったもんだ」

「厳しいのか?」

「自分一人なら、死力を尽くして互角か負けだな。殺せと命じられていたら確実に負ける」

「左手の3人を予め始末してしまうか。手加減は要らぬのだろう」

「サレルマの兵だろう。出来ればそうしてくれると助かる。ソメルヴォリも事を構えたくなかろう」

「なれば、左手を始末した後、右手の手勢を挟撃する事にしようか」

「二人で挟撃とは相手が聞いたら片腹痛くなりそうだが、ヒューゴが言うとまさにそのような気分になるな」

「数合切り付けただけで良く言う」

「残念だな、一合でわかった」

「問題があるとすれば魔獣だが、開けてみないとわからぬ、かなり目方がありそうな音をさせていた」

「そうだな、危なそうなヤツだったら逃げよう。その時には後詰はおらん、ふっふっふ」


「あのぉ私はどうしたら良いんでしょう」

ソウェがおずおずとした表情を見せる。


「ソウェは川を渡らずに馬を頼む。逃げてくるのが見えてからでは遅いやもしれぬから、馬上で待っていてくれぬか。野営地の向かいの川縁に向かう杣道で待ってもらおう。マールトもそこで待機していてくれ。左手の手勢を処理したら梢に登り合図を出そう」


ソウェがハッとした表情を見せる。

「魔獣なんですけど、テイマーは居ませんでしたか?」

「なるほど、後衛らしき3人にテイマーが含まれているかもしれぬか」

「はい」

マールトが少し考えた顔を見せる。

「……その場合は一人減るが、魔獣は厄介になるかもしらん。本能のまま暴れるだけではなくなる」

「テイマーを刈るのがよいか?」

「魔獣が決め手であれば一番固めてくるだろう」

「ならば裏から攻めれば隙となる。4人を相手に出来るか?」

「いざとなったら逃げるというのであれば問題ない」

「ではそうしよう。そろそろ不審に思われる頃合いだ。仕掛ける」

「ああ、頼むぞ」

「アケラ、気を付けて」


アケラはソウェの目を真っすぐに見つめた。

「もし本当に危なくなったらソウェが決め手になる。その時は取り乱さず内なる声に従え」

「えぇ、任せてください。馬たちはしっかりと捕まえておきます」


アケラはふっと笑い、ソウェの頭を撫でた。

「子供じゃないのでこういうのやめてください」

ソウェが頬を膨らませた。


「二人とも大して変わらぬ」

マールトが笑った。


アケラはソウェに向かって口角を上げる。

『ロウェ、ソウェを頼んだ』

『えぇ任せて』


「では、行く」


一陣の風を残してアケラが再び走り去っていった。


「アケラ……くれぐれも無茶はしないで」

ソウェがアケラの乗っていた馬の手綱を強く握った。


横でマールトがソウェを見つめていた。


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