第33話 アールヴの一分
日の出前のシエナの街をアファリ家のキャブリオレが走ってゆく。
手綱をイスロが取り、横に凄く眠たげなソウェが座りうつらうつらしている。アケラはいつもどおり従者席に腰掛け、赤紫に染まりゆく空を眺めながら、昨夜のことを思い出す。
ロウェはソウェの魔核が育ったのに対抗する為に、アケラと再び融合し存在確率を上げ、ソウェの魔核を抑えている。
いずれ近いうちにソウェは魔核の力を得るだろう……いや本来の力を取り戻す。その時、ロウェをソウェが認めてくれるのか今しばらく観察するしかないだろうとアケラは思う。
キャブリオレは朝焼けに包まれ始めた冒険者ギルドに横づけると、丁度ファンニが白い息を吐きながら、ギルドのドアを解錠したところだった。ソウェは完全に寝落ちしている。
「おはようございます、ヒューゴ様」
「おはようございます、ファンニさん。早いのですね」
「えぇ。今日は休日なので混みあいますから」
「マールトはまだ来ていませんか?」
「えぇ、裏口に一番で現れて、静かな場所は無いかと言うので案内しました」
ファンニはギルドの中ほどにあるパティオを指さす。
「ありがとうございます。行ってみます」
「あファンニさん、おあようごしゃいます」
ソウェもイスロに起こされたようでキャブリオレから降りてくる。
「ヒューゴ様、お嬢様をくれぐれもお願いいたします」
イスロは深々と頭を下げるとキャブリオレに颯爽と乗り込み、馬に鞭をくれる。
朝から目を合わせてくれないソウェを連れて、パティオへ向かう。
パティオの中ほどに泉を模した石造りの池があり、その淵に腰かけているマールトの後ろ姿が見えた。
なぜかマールトは目と耳を覆うように白い布を巻いている。
アケラ達が近づくと、さっと振り向き、一瞬動きが止まる。
素早くソウェの前まで歩を進めると膝をつく。
「聖女様、誠にいらっしゃるとは思いもよりませんでした」
深々と礼をしたが、布を巻いているのに気づき、慌てて外す。
ソウェは何が何だかわからない表情をし、わたわたしている。
「あ、あの私聖女とか大層な者ではありませんけど……」
布を脇に押し込み終わり、マールトが顔を上げる。
「あ、あれ? 聖女様はどちらに行かれた?」
「さっきから私とアケラ様しかおりませんが……」
「……スピーシー共に謀られたか、奴らは話が好きなのはいいのだが悪戯が過ぎて困る」
「はぁ……」
マールトは問わず語りに理由を述べて行く。
「先まで、ホールリビリーズのトレースを行うにはどこへ向かうのがいいのか、精霊たちに聞いていたのだ。するとスピーシー……あ、蚊蜻蛉みたいなヤツね。そいつらが光の聖女様が現れたと騒ぎ始めたのだ。調度そこへヒューゴが現れたというわけだ」
「ふむ。布を巻いていたのはそのためか?」
「アールヴは精霊の声を聴くことができるのだが、普段は閉ざしている。耳を傾ける場合は聖布で一定の属性を持つ精霊の声だけが聞こえるようにするのだ。そうでないと雑踏の中に放り出されたようになり、何も聴き取れぬ」
「見えているかの如く動いていたが」
「目を塞ぐと精霊界が朧げに垣間見える。真っ白な女が歩いてくるのがはっきり見えたので驚いた。スピーシーの悪戯にまんまと乗せられてしまった」
「シヴォネンのアールヴは特別なのだろうな」
アケラはリュフタの言葉を思い出し、それとなく探る。
「皆そういうが、何ら変わらん。時に血の濃いものが産まれるだけだ。それら以外は普通だ。で、こちらの方は?」
「ソウェ・アファリ様です。シエナの動植物に若くして精通しておられるのでご助力を願った。こちらにも事情があってな」
ソウェはマールトを見つめながら、アケラのやり取りを無言で聞いていたのだが、急に自分の名前が出てきて慌てた。
「ソウェ・アファリと申します。未熟者ですがよろしくお願いいたします」
「マールト・アールヴ・アファティラと申します。ヒューゴ殿の見習いをさせていただいております。マールトと呼んでください」
「マールト、師匠は便宜的になっただけだ。お主のほうが経験が豊富なのだから気遣う必要はない」
「そう言われると手も足も出せなかった私の立場がなくなるというもの……ヒューゴは強い、謙遜するな」
マールトがアケラと親しく話すのに割り込むようにソウェが入ってくる。
「マールトさん、ソウェと呼んでください。薬種にお詳しいそうですね。お時間があるときで構いませんのでお話をお聞かせください」
マールトはソウェを見つめ微笑む。
「ソウェ様、喜んで」
「はい」
ソウェは笑みを浮かべながらアケラの背中をつねっていた。
ギルドに入るとアルドが開店の準備をしていた。
「お嬢様、こちらにおかけになってください。お茶をお持ちいたします」
「おはようアルド。忙しいのにありがとう」
それを見ていたマールトがアケラの横に立ち
「ヒューゴ、彼女は良いところのお嬢さんなのか」
「うむ。シエナの街の庶民では多分一番の家だと思う」
「やはり”鷹のアファリ”か、そうそうお目にかかる
「詳しいな」
「ヒューゴは知らなかったのか?」
マールトが笑みを浮かべつつ剣気を見せる。アケラは剣気をそのまま受け流す。
「こちらに来たのは行き当たりでな」
「……まぁそういうことにしておこうか、試してすまなかった」
「再び剣を交えることがなければいいのだがな」
「私もそう思う。多分ないだろう」
マールトの表情が曇った。
ソウェが居酒屋の中から手招いたのを見て、アケラとマールトはアルドの店に入る。
席に向かうと、ソウェが自分の隣の席を叩いてアケラを呼んでいる。苦笑しながら隣に座る。
ソウェが自分の鞄から資料を出して机に並べだす。
「自分が取りおいておいた各種ギルドの広報と、アファリで保存している冒険者ギルドの資料を調べ、ホールリビリーズが現れた地域、狩猟された場所、大きさ、性別などをまとめてみました」
簡略化された地図に印と日付、目撃や駆除等が細かく書き込まれている。
「この時期だと、巣ごもり前で様々な場所に雄雌関係なく現れているのが分かります。ただ目撃や捕獲されるのは雌が9割で、雄が見つかる場合はほぼ若い雄です。多分、強い個体は人里まで出てこないで済むのでしょう」
マールトは地図をしげしげと見つめる。
「ソウェ、凄いな。精霊共よりずっと頼りに……おっと奴らに拗ねられると困るか」
ソウェはドヤ顔でアケラを見つめながら、机の下でアケラの太ももをつねって来る。アケラはソウェの手を包みそっと戻す。
「マールト、ホールリビリーズならなんでも良いのか?」
「いや。今回は残念ながら雄の成獣の魔核だ」
「えー、となると、クレナータの原生林かジャムライクスの群れがいるこの辺りが有力ですかね」
「精霊共も腹を空かせて歩きまわっている大きな奴がいると言っておったので、食いものがあるところに行くのがまず定石だろうな」
「……」
ソウェが何か考えているそぶりを見せた。
「どうしたソウェ」
「……え、えぇ。少し気になったの。でも気にする必要はないかもしれないし……」
「気になることがあれば言ってくれていい。私が判断する」
マールトがソウェを正面から見据え、真剣なまなざしで言う。
「はい。さっきマールトさんが、腹を空かせている大きな奴がいると精霊たちが言っていたと……でも、この時期に腹を空かせるのは不自然です。山には食べ物が溢れているのですから。そろそろ巣篭りの穴を確保しておとなしくなる頃です」
ソウェは立ち上がり、地図の一部を指し示す。
「12年前のこの場所で捕獲された岩熊は手負いの状態で十分に食べられず牧場を襲ったようです。このケースは特異なので除去します。ここにある23年前のケースは夏が寒くクレナータが実をあまりつけなかったのが原因と言われています。この年はこの個体だけでなく大量の魔獣が里に出てきてかなりの被害が出たようです」
「今年もそうである可能性を否定してはいけないか」
「はい。手負いか否かは精霊には聞けないのでしょうか?」
「多分、精霊達もそこまでは見えておらぬだろう」
「うーん……」
ソウェが資料をめくりながら、地図に印をつけて行く。
アケラとマールトはソウェが話し出すのを待つ。
「これでいいかな。お待たせしました。印のところにクレナータが群生しています。ここで不作になっていないかを調べながら、トレースすると効率がいいかもしれません」
「ふむ。うまくいかなかったとしても闇雲に回るよりはずっと確率が高そうだ。ソウェ感謝する」
マールトがソウェの手を取る。
おおよそのルートを確認し、席を立つ。
ファンニが馬を用意してくれていた。ギルドで借りるつもりだったが、リュフタが回してくれたそうだ。
朝霧の中をマールトを先頭に山道を下ってゆく。マールトの後ろにソウェが続き、進む方向を指示している。アケラは馬に任せてついて行く。
1時間ほど下ると広葉樹の高木が増えてきた。ダケカンバやカエデのような木を見かけるようになった。
シエナ山の正面の上空に微かに黒い点が見えたかと思うと、急激に大きくなり、アケラたちの頭上を何かが飛び去ってゆく。
「飛竜便が届いたようですね」
「あれは定期便か?」
「飛竜はいつも来る個体でしたので、そうなりますね」
「そうか……」
マールトが緊張を解いたのを見たアケラが声をかける。
「マールト、何か懸念を抱えているようだが」
「……話しても構わぬが、聞きたくもなかろう」
「あと1時間は馬の背に揺られるだけだ。何が聞こえても風の音と変わらぬ」
マールトは若さに似合わぬ遠くを見るような目線になり、しばらく無言で馬を進めた。
「……つまらぬ話だ……王位争いに巻き込まれた民草の悲哀……まぁよくあるヤツさ……」
「シヴォネンではアールヴは特別扱いと聞いたことがありますが、違うのですか?」
「権を持たぬのに名があるだけ。王位継承権の無き者が正当を主張するにはアールヴの託宣を利用するのが常だ。我らがそうだと言えば後憂は断てる。今も一方の勢力になびくものたちがアールヴの民心を刈り取っていることだろう。だがアールヴは精霊の声を聴く者。その言葉を曲げることは出来ぬ。言葉を曲げればアールヴの存在価値はない」
「それがアールヴの
「イチブン?」
「全てを失おうとも無くせない矜持を指す」
「そういう喩えもあるのだな」
マールトが小さく微笑む。
「話しても良かったのか?」
「もう知れ渡っている。隠す意味などない。シヴォネンはサレルマが簒奪するだろう」
「その急報が届くかが気になったのだな」
「そうだ。こうしている間に戻る場所を失っているかもしれぬ……さぁ気の滅入る話は終わりにしようか」
アケラはダリウス砦の情報が聞き出せないかと一瞬考えたが、今はまだ早いと判断した。
「シヴォネンにはいずれ立ち寄る予定だったが、内乱になるようなら考えねばならぬ。その際にはマールトに改めて聞こうか」
「シエナにいる間に何かあれば伝えよう。恩義への些少の報いとさせてもらいたい」
「ところでホールリビリーズを狩る必要はあるのか?」
「彼奴らの時間稼ぎであろうとは思うが、それに乗ったアールヴの長に何らかの思惑があるのだろう。課された賦役を熟すことを最善とすることにした」
アケラはマールトがアールヴの懐刀であろうと推測をたてた。
地の利がないサレルマで行動する際には頼りになるが、サレルマ公への悪感情だけで国を売るような事はすまい。
「マールトさん、あの森が一番目の群生地です」
ソウェの言葉で、マールトの目に輝きが戻った。
「さぁ、仕事仕事。ここの精霊に話を聞く。暫く時間を潰しておいてくれ」
マールトは馬から素早く飛び降り、白い布を取り出した。
「では、印を残しながら進んでおこう。こちらもやらねばならぬ事もある」
「20分ほどで追いつく。さっさとかたしてしまおうか」
陽が反射したマールトの紅髪が揺れ、白布が巻かれる。
その姿がアケラには儚げに見えた。
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