第25話 混沌の力と王立ニエミサロ療導院

シエナの夜の街並みを黒い風が吹き抜けてゆく。忍びである自分が望んでもできなかったような道筋を取りながら走り抜けてゆく。落ちてきそうな星と月だけが彼らを捉えていた。


シエナには街灯がなく、星明かりだけが頼りになっている。時に裕福な屋敷の一部の部屋に薄っすらと明かりが灯るのを見かける程度である。


『ロウェ』


『なに』


『ソウェは大丈夫なのか』


『今は目覚めていない。大丈夫』


『ソウェにロウェの存在を話すべきか』


『今はまだ早い。少しづつ気づかせていく』


『ならば任せようか』


マスケフ家に着く、この街区は灯りが見える家はまったくない。

アケラは素早く扉に近づき、苦無を使ってかんぬきをずらし、部屋の中に侵入する。

寝静まっているのを気配で確認し、匂いを辿る。

ラニが寝ている寝床の脇の道具箱の中に背嚢があり、アドニシエナリニスはそのままだった。

素早く回収し、背嚢を戻す。ラニの寝顔を確かめる。頬に赤みがさしているのを見て安心する。


マスケフ家を抜け、リュフタの屋敷に向かう。リュフタの屋敷の門には不寝番が居たので、塀を飛び越え屋敷に入る。リュフタの寝室があるであろう辺りを捜索すると果たして一番目に見当をつけた部屋がそれだった。寝室のベッドの端に厳重に紙で包んだアドニシエナリニスを置いて抜け出す。


アケラは黒い霞となってシエナの街を走り抜け、空堀を超える。アファリの共同管理農場の北にある洞窟に向かっている。


黒い霞への隠形は、ロウェ曰く「確率の変動」で存在自体を時間軸上から希薄にして密度を下げているのだという。そのため密度の低い物質とは衝突せずにすりぬける。


『ロウェ、伝えたいことが有れば、考えてくれ』


アケラが行動を起こすたびに、ロウェが細かな補助魔法を駆使しているのが伝わってきた。


『これでいい』


『攻撃系の魔法は何がある』


『礫を』


アケラは小石を拾い、木の幹に親指で弾く。


『投槍』


小石は幾つもの漆黒の槍を生みだした。

最初の漆黒の槍が幹を貫き、後を追う槍がその先の木や岩を貫く。

槍は物理的に破壊するのではなく、その空間を虫が食べたように穴を穿っている。


『刀を』


背中の脇差しを抜刀し霞を放つ。


『影斬』


刃先から漆黒の風が生み出され飛び、触れたものを両断してゆく。


アケラは開けた木々の間から樹冠に登り、再び梢の上を走り出す。


『闇とは何なのだろうか』


『闇と呼ばれているこの力。本来は混沌』


『魔道教会は光と闇としていたようだが』


『光は法であり時、闇は混沌であり空間』


『理に辿り着いたというのか』


『あくまで推測、かつて王立ニエミサロ療導院にいた男が出した推測』


『王立ニエミサロ療導院とは』


『今向かっているオールドフォート古代砦は、砦ではなく療導院。その記憶が民から失われた。』


アケラは木々の梢を吹き抜ける。ロウェの指し示す先に向かい空を飛ぶかのごとく走ってゆく。


『まるで満天の星空と闇の間を漂う魚だな』


『詩的な表現は悪くない。飛竜も似たような感覚で空を飛ぶ。着いた』



森が切れ、岩の断崖にたどりつく。見上げると岩肌にくり抜いた小さな窓が何層にも付けられているのが見えた。


『なるほど砦のように見えるな』


『機能としては砦に近い』


『砦の機能を持つ療導院ということだな』


『そう。魔道教会と為政者に疎まれた人々が隔離された』


『魔道教会の禁忌に触れたか』


『様々。更迭された王家の縁者もいた』


『ゆえに砦としたのか』


『王家の縁者以外は小部屋に閉じ込められ狂気にとらわれ壊れてゆく』


『縁者を囲うのは質ということか』


『政治的な囚人は質、禁忌に触れたものは魔道教会の研究の対象』


『ロウェと、さきの男は此処に居たのか』


『そう、私は質として。男は隔離されていた』


『ロウェはアファリ家の者なのだろう』


『その推測は正しい、ゆえに死んだ後、アファリの屋敷に戻れた』


『ロウェは此処で死んだのか』


『正しくは死んではいない。記録上は15歳で死んだ事になっている』


『療導院を脱したのか』


『死を装った。正しくは物理的な死を得た』


『肉体は失ったが魂は残ったということか』


『詳しくはあの男しかわからない。多分そのようだ』


『その男は一体何者なのだ』


『わからない。何も自身のことを語ることはなかった。分かっているのは不死者ということ』


『不死などということが可能なのか』


『それもわからない。私に施したのは不死に関わる術なのだと思う』


『何をしたのだろう』


『私の存在確立を下げ、母が持たせてくれた人形に移動させたのだと思う』


『その人形が屋根裏にあった長柄の中にあると』


『そう。徐々に存在確率を上げていった』


『そしてソウェに移動したのか』


『違う。私自身はあの子の中にいたもう一つの魂を共有した存在』


『もう一つの魂とは』


『あの子の双子の姉。あの子に肉体を吸収され、消されかけていた魂がもう一つの私自身の履歴』


『その姉を救うためにソウェに入ったのか』


『いや。姉を救うことは出来ないのは分かっていた。妹であるあの子を救わなければならないと判断した』


『それは膨大な光の力が関係しているのか』


『かつての私と同じように魔道教会によって質として隔離される可能性があった。ただあの子は光。疎まれた私とは違い、魔道教会が一番欲している存在』


『意趣返しということか』


『その考えはなくもない。あの子は聖女として祭り上げられ利用されただろう』


『聖女ではまずいのか』


『成すべきことを成せずに死ぬ。あの子のような存在はと捉えるべき。貴方も同じ』


『我等が出会ったことにもやはり意味があるということか』


『そう私は考えている』


アケラはねぐらに戻るコウモリを見つけ、後を付けると、洞窟にたどり着いた。2m程の入口に次々とコウモリが飛び込んでゆく。

洞窟を20メートルほど進んだところで、コウモリの死骸や糞が積り、猛烈な悪臭を放っていた。壁には真っ白な硝石が層をなして結晶化しているのが見えた。


「半貫程あれば最初は足りるか。しかしこの匂いには閉口する」


『盾』


ロウェが短く詠唱すると球状の黒い被膜のような物が生まれ、大気以外を遮断した。


『便利なものだな』


アケラは懐紙に50匁程の硝石を包み、10服作った。


『さて、拙の此処での用事は済んだ』


『かつて囚われていた場所に行ってもよいか』


『一緒で構わぬのなら行こうか』


『望むと望まぬにかかわらず、一緒でなければ行けない』


アケラは再び黒い風になり洞窟を抜けだすと、そのまま断崖を登ってゆく。

20層程ある最上段のかつての窓に辿り着くと、水が入り込む場所は陶器以外の人工物が土に還っていた。


ロウェは共感領域の奥に引きこもったのか、思考が何も伝わってこない。

アケラは暫くそのまま待つ事に決めた。窓から外を眺める。シエナの街や共同管理農場は見えない。この窓からロウェがどのような思いで外を見ていたのかと不憫に思った。残酷なほど美しい景色の中で死を待つだけに生きているのは辛い、辛いのを通り越すと生きている実感が薄れて行く。


『そこの壁に石が嵌め込まれた隙間がある。何か挟まっていないか調べて欲しい』


アケラは指し示された窓から遠い壁に近づき、動かせそうな石を苦無で叩いて確かめる。一つの石が動かせそうだったので、苦無で抉ると外れた。

爪2枚ほどの僅かな隙間があり、その最奥に何かが挟まっているのが見えた。

錠前破り用の金具を取り出し、手繰り寄せると、薄く削った羊皮紙が折りたたまれたものだった。


『開いて』


『良いのか』


『ええ、望むと望まぬにかかわらず』


『分かった』


アケラは一瞬開き、絵として記憶し、文章を認識しないようにした。

ロウェは再び沈黙し、先より長い間、共感領域に出てこなかった。


『ありがとう。貴方でよかった、いきましょう』


ロウェの思考に微かに雨の香りが混じったように感じた。


その思考が伝わったのか、ロウェから少し恥じらうようなもどかしい感情が伝わってきた。

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