第18話 鶏小屋と林檎

 鶏の越冬には気温を水が凍らない程度に保たねばならない、堆肥の発酵熱で温める手もあるが、シエナでは寒すぎて発酵すら止まってしまうと予測していた。ミッコに聞いてみると果たしてその通りだった。

「温泉があると聞いたが、どこに引いてあるのだろう」

「山側の曲輪に引いてあります、行きましょうか、匂いがするので離れているのです、女房たちは近くに引けと言うのですが」

「湯の匂いは濃くなれば毒になるから近くには厳しいな、湯の温度は下がるが温泉の熱を水に移して使えないだろうか、それであれば匂いもせず湯の華で詰まることもない、例えばこのようにして……」


 アケラはを矢立を取り出し懐紙に温泉池の中に管を通す絵を描いて見せる。


「管は鋳鉄製だと腐る、できれば陶製にするとよい」

「陶製なら村で作れます、村の瓦は自家製ですよ」

 見上げると素焼きに自然釉が乗った明るい斑のある瓦があった。

「あれに藁灰を溶いたものを塗ってから焼くといいだろう」

「藁の灰ですか、塗るとどうなるんでしょう」

「瓦の艶が出て飴が薄く乗ったようになる、長石を少し混ぜると透明に、より混ぜると白っぽくなる、見た目はその方がよい、確か長石はシエナ山で見かけた、山岳狼を倒した場所なので聞けば分かるのでは無いかな、崖の下の砂のように崩れた部分の白い粒だけ集めて陶土と同じように粉にし水で溶いて使うと良い」

「おぉ助かります、後で試して見ます、少しなら魔法ですぐ作れますんで藁灰の方を試して、長石とやらを取りに行ったらまた試そうと思います、諸々アファリ様と相談してみます」


 ミッコが陶製水道管の試作の流れを説明してくれた。

 まず、アファリ家の粉挽き所から陶土を分けてもらい、土属性魔法で水と合わせて粘土を作る。大工が作った型枠に詰め均一になるように締める。水属性魔法で水分を抜く。火属性魔法で焼く。という工程だそうだ、ただ火属性魔法で焼くと日産2個が限界だそうで、本製作では手間がかかっても釜で焚くしかないそうだ。


「アケラ様、先程から気になっているのですが……」


 簡単な設計図が書かれた懐紙をミッコが手に取って目を近づけて見ている。


「その覚え書きなら渡しておく、何か分からないところでもあるか」

「頂いて宜しいんですか、この絹みたいな紙は高いんじゃないですか」

「手持ちは少なくなったがまだある、必要なのだから遠慮はいらない」

「アファリ様の水車小屋で紙の原料を作っていますが、ここまでの紙は出来ません、ボコボコしていて、ペンが引っ掛かるんですわ」

「そういえば古着から作ると聞いた、この紙は灌木の甘皮から作られているのだ、紙漉きが出来る者なら、原料さえ有れば作れるだろう」

 アケラはこうぞ、ミツマタ、トロロアオイに変わる植物の探索を行動リストに加えた。

「シエナで材料を見つけたら作ってみようか、その時は手伝ってくれると嬉しい」

「とんでもない、こちらから頭を下げさせて貰います」


 鶏小屋予定地の縄張りをした際に、ミッコから、地面から冷えが来るので1m位の丸太の杭で周りを囲い、内側に消し炭を入れる事を提案された。アケラは炭焼き釜を思い出し納得し、基礎工事をミッコに任せる事にした。


「そろそろ戻りましょうか、アファリの奥様をあまりお待たせする訳にもまいりません」

「そうだな、また近いうちに来よう」

「良い結果をお知らせできるよう頑張ります」


 ミッコの家に向かって歩き出すと先の果樹園の中を通った。アケラはふとラニの見舞いに林檎を持っていけないかと気づいた。


「病人に林檎を持っていってもいいだろうか」

「街なら喜ばれると思いますよ、良い所を見繕ってお分け致しましょう」

「催促したみたいで悪いな」

「いえいえいえ、ミッコ、アケラ様の仲ですからな、はっはっは」

「しかし、これ程実っても豚の餌とは勿体無い、ジャムだけで無く蜜にすればかさも減って売り易いのでは」

「蜜は良さそうですが、魔法持ちか薪がいるので高く付きそうです」

「ここの源泉の温度次第かもしれないが、果汁を絞って越したあと、釉をたっぷり掛けた陶製の容器に入れ水気を飛ばせば薪の量は少なくて済むのではないか」

「それならかなりの量を作れますな、林檎の蜜を作ったことがないので、試作してみましょう」


 ミッコとアケラが林檎を抱えるだけ抱えて家に戻った所を、ジーマに見つかった。


「あら、ヒューゴ様もミッコもイタズラ坊主みたいになっていますよ」

「いえ、これも重要な仕事ですよねアケラ様」

「ジーマ様、ミッコの言うとおりです、かなり重要な仕事です、ふふふ」

「二人共かなり打ち解けたようですね、で、その重要な仕事とは何でしょう」

「はい、奥様、アケラ様が林檎蜜を作れないかというので、今から水属性魔法持ちに頼んで作ってもらおうかと思っております」

「林檎の蜜とは乙女心に響きますわ、紅茶に垂らしたらさぞかし美味しいでしょうね」

「30分もあれば出来ましょう、上手くできましたら、旦那様にもご確認をお願いいたしたいと思います」


 大きなイタズラ坊主達が、いそいそと厨房へ去ってから、しばらくすると料理をしているとは思えないような打撃音が響いてきた。


「林檎の芳醇な香り、ほのかな酸味、そして口当たりの良い適度な甘さ。ジャムとは違い、簡単に使えるのもよいですわ」

 出来上がったばかりの林檎蜜を、ジーマは紅茶に流し入れ、試飲している。

「今回は思ったより酸味が飛んでしまいました。もし商品にするのであれば、複数の蜜を混ぜいつも同じ味になるようにしないといけません」

「アケラ様と裏で酸っぱい実と甘い実をより分けて作ろうと話しておりました」


 ジーマは話に頷きながら、硬いクッキーを紅茶につけて口に運ぶ手が止まらないのを、アケラは見ながら微笑む。


「……アファリ家の皆さんへのお土産と、ラニの御見舞分を分けて頂く予定ですので……」


 ミッコの家で、蕪とベーコンのスープ、山羊のチーズ、ライ麦パンを頂く、この農場ではパン職人が居るので、パンは柔らかめに焼いているそうだ。火で炙ったチーズをたっぷり乗せ、香草と岩塩を散らして食べる。

 蕪は家畜の冬の餌でも有るが、人間が食べる繊維の少ない種類の蕪も作っている。蕪、玉ねぎ、茸、ベーコンを石窯で焼き、ある程度火が通ったら香草を乗せ、仕上げにビネガーとチーズを振りかけると最高に美味しいそうだ。


 遅くなった昼食を終え、キャブリオレで粉挽き所に戻る。船着き場には荷船が着いており、荷降ろしをしているのが見えた。

 1km先の下流の川沿いの道に、大きなトカゲのようなものが遠ざかっていくのが見えた。上り船を引いてきたのだろう。


 大きなトカゲは地竜で性格はおとなしく、テイムした後、荷車や船を引かせるのに使うと、ソウェから聞いていたが、その大きさに心胆を寒からしめた。吉宗様の象の3倍はあるではないか。


「あら、もう荷船が着いたようね、検品のサインを代筆を頼まれていたのでちょうどよかったわ」

「本日は有難うございました」

「お気遣いなさらずに、ご迷惑をかけたのは私共です、サウリが一緒に行ければ話が早かったでしょうに、戻ってからソウェと街に出かけられるのですね、タズを呼んでもらいましょう」


 粉挽き所の屋舎にキャブリオレを着けると、朝と同じ所員が出てきてキャブリオレの踏み板を下ろす。ジーマがタズを呼ぶように告げると、タズは既に待っていたようですぐに現れた。


 タズがキャブリオレを出そうとすると、ジーマがすごい早足で戻ってきた。

「ヒューゴ様、重要なものを忘れておりました」とアケラの風呂敷包みに目配せをする。

「あぁ、失念しておりました。こちらをどうぞ」

 林檎蜜の入った蓋付きの木製容器を渡すと、ジーマは満面の笑顔を見せ、そそくさと去っていった。


「あんなに楽しげな奥様を久々に見ましたわ、あれは何ですの? ……あ、聞いてはいけないのであればご容赦を」

「いえ、そのような大仰なものではありません、林檎から作った蜜ですので」


 暫くキャブリオレを走らせると、対岸を歩く地竜が見えてきた。地竜の後頭部に人が立ち、片手に一本づつ持った竿で、耳の辺りをつついて騎乗していた。運搬用の地竜は領主から調教師ギルドに貸し与えられ、ギルドはテイマーの賦役ふえきとして運用する。運用のための人と手間と費用を考えると個人所有はほぼ不可能である。


 タズはテイマーと顔見知りらしく、暫く地竜に並走しているとテイマーが気づき、竿を持ち上げて振ってくれた。タズも手を振り返すと、キャブリオレの速度を上げた。

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