第12話 魔獣討伐

 唸り声がした方向にある崖から下を覗くと、6m程下で男の子が、3mを超える犬のような白い獣に追い詰められているのが見えた。

 走って逃げようとした所を背嚢に食いつかれたのか、取り戻そうとして綱引きのような状態になったのだろうと見当をつける、周りには小さめの若い獣が4匹見える、多分狩りの仕方を学んでいるのだろう、男の子の服に噛みついては引きちぎるように首を回し、素早く離れるという動作を繰り返している、本気になれば一噛みで男の子を殺せるだろう。


 アケラは気配を殺して背嚢に噛みついている獣の上に飛び降りる。

 脇差が背にかかる寸前に、上から落ちてくるアケラに気づいた獣が、背嚢を放して身をねじるように転がって逃げる。


 獣が低い姿勢に態勢を整えようとした瞬間に、獣の左目に苦無が突き立つ。眼窩を突き抜け、眼のすぐ上の頭蓋から刃が飛び出した。自身が予想していたより苦無の威力が大きい。


「ギャワン」

 獣は激しく飛び上がるように悶え、逃げだそうとした。


 アケラは背を向けた獣の腰に切りつける。光が溢れ石に切りつけたような感触があるが、無理やり切っ先を皮の下に滑り込ませると、その後はあっさりと刃が通った。刃が骨盤に達する直前でこじり跳ね上げる。獣の末梢神経の根元が切断され、後足は完全に麻痺した。

 獣は後足の力を失ったことを理解できず、前足だけで逃げようともがく。3mほど進んだところで、アケラが近づいてくる足音に気付き、振り向きながら牙をむいた。

 苦無が刺さった眼が光に包まれ、傷は塞がりつつあり、苦無が押し出されかかっているのが見えた。

 アケラはソウェから聞いていた回復魔法であろうと見当をつけ、獣に近づく。

 アケラの足に噛み付こうとする獣の牙を避け、続いて繰り出された前脚を踏みつける。瞬時に獣の前脚から光が溢れ、石を踏んだかのような感触があった。踏みつけた足に、獣が噛み付こうとする。アケラは獣の眼の周りに集まっていた光が無くなっているのに気づく。回復魔法を中断し、別の魔法を発動させようとしていると推測した。


 直後に周囲の空気が冷え、氷の矢が形成され、アケラを断続的に襲う。

 アケラは後ろに飛び、最初の数本を避ける。避けた眼前に追い打ちが迫る。獣が動けないのを見計らい、脇差で氷の矢を断つのに集中する。

 氷の矢が途切れた一瞬に苦無を獣に打ち込む。獣が前足の爪で苦無を素早く弾く。青白い光を発し、苦無は火花となって消えた。


 火花が散った瞬間にアケラは獣に瞬息で殺到し、足裏で獣の目の抜けかけていた苦無を押し込む。苦無は難なく押し込まれ、今度は眼底の奥の骨を突き抜けた感触があった。獣の無事な方の目が一瞬白目を見せた。


 素早く後ろに回り込み、獣の首に苦無を当てる。刃を当てた場所が即座に光を放ち、刃先に石のような感触があった。構わず押し込むと皮下に刃が通った。そのままざっと薙ぐと血がボタボタと勢い良く流れ落ちだす。


 気を取り戻した獣の爪が再び襲ってくる。爪の間に稲光が一瞬見えた。アケラは再び距離を取る。そこへ氷の矢が襲う。苦無を両手に持ち、次々と逸らしていく。氷の矢の数と威力は最初の攻撃時より明らかに弱まっており、難なく対処しきれている。


 しばらくして、氷の矢の間隔が空きだしたのを見計らい、苦無を再び投げつける。動けなくなったのか、爪で弾かれることもなく、わき腹に付き立つ…かと思われたが、無防備なわき腹が光り、苦無が弾かれた。


 苦無の後を追いかけるように獣に近づいたアケラは、獣の前足を踏みつける。


 獣は先の攻撃を覚えているのか、頭を引き気味にしていたが、前足を踏まれ、とっさに噛みつこうと反応する。それを見計らってアケラは再び目に刺さった苦無を蹴り、完全に見えなくなるまで押し込む。

 足先に柔らかいものの中の少し硬い部分を断つような感触があり、獣が一瞬無作為に上体を起こし暴れた。

 アケラは跳ね飛ばされたが四肢を使って着地し、獣を窺うと細かい痙攣を起こして蹲っている。

 獣が動き出す気配がないか注視しつつ後ずさり、男の子に声をかける。

「大丈夫か」


 幼い声が震えながら途切れ途切れに「噛まれた……痛い……」と呟いた。太腿に大きく深い牙の跡があり、赤黒い泉のようになっている。腕と指は血まみれでどこが傷なのかさえわからない。恐怖からか背嚢をぎゅっと握って離さないでいる。

「すぐに街へ連れて行ってやる。頑張れるな」

「……うん……」

「お前の名は、父親の名は」

「……ラニ……お父さんはスヴァン」

「お父さんとお母さんは好きか」

「……大好きだよ」

「ソウェという娘を知っているか」

「……綺麗なお姉ちゃんだよね。お兄ちゃんが好きだって言ってた」

 男の子が気力を持ち直したのを感じたアケラは、若い獣が逃げ込んだ藪をみやる、動かない獣を気遣うように窺っている眼の光が見えた。

 対になっている緑の光の中間に苦無が飛ぶ。4条の煌めきが獣達の眉間に次々吸い込まれ、声もなく昏倒する。岩の上から確認できた若い獣の排除が全て済んだ。防御魔法が掛けられる前に倒してしまえばなんということはないが、予備動作なしに威力のある攻撃を急所を外さず気づかれぬような速度で射抜くことは難しい。血の滲むような修練で勝ち取った技だが、やはりテラに居た頃より威力が強い感触がある、転移の際の体内の内部構造の改変に伴った物だろうか、苦無も刀も石を切れそうな勢いだ……そこで考えを止めた。


「ソウェという娘が、君を助けてくれと俺に頼んだのだ。会ったら感謝するんだな」

 アケラはソウェと考えておいた登場シーンのシナリオを大胆に書き換えた。


 ソウェが息を弾ませて崖の脇を降りてくる音が聞こえた。アケラは途切れがちに小さな呼吸を繰り返す獣に近づき、苦無を脛骨の隙間に差し込む。魔力が切れたのか血が足りなくなったのかは定かではないが、今回は何も光らなかった。苦無を横に引いて止めを刺す。


「はぁはぁはぁ、君、大丈夫? ……じゃぁないね。急いで治癒士へ連れて行かないと危険」

 ソウェは息絶えた獣に気づいてチラッと見たあと、目を見開いて凝視した。


「っって山岳狼! 良くこれだけで済んだわね、なんて大きい個体なの」


「狩りの練習をしていたようだ。おかげで間に合った」

 アケラは男の子の服を切り、傷口を改めると、ソウェが運んできた背嚢から封をされた陶器の小瓶をだし、傷口に中身をふりかけた、辺りに酒精の香りが広がる。


「血がもたぬかもしれん」

 アケラは、金創の塗薬と布帯を取り出し、傷口を素早く処理してゆく。傷口は縫えぬほど乱れていたので血止め程度に圧迫するだけにしておいた。

「ソウェ、俺が背負ったら、歩きながら時々水を飲ませてくれ、嫌がってもだ、あと出来るだけ話しかけるんだ」

「うん、わかった」

「この子はソウェの同級生の弟だそうだ。学校の話でもいいから、興味がわくことを頼む」

 アケラはラニを抱え上げると、ラニの背嚢が手から落ちそうになった。

 死にそうになってまで守っていた背嚢に思い入れがあるのだろう。一部破けている部分があるのを見つけ、手ぬぐいを巻いて縛った。漏れ出た空気に苦い匂いが混じった。

「おにいちゃんありがとう」

 ラニが薄く目を開き、再び安心したように目を閉じた。

「ラニ君、寝ちゃダメ。頑張ろう。あと少ししたら学校だよね。面白いんだから元気にならなきゃ!」

 ソウェが何か必死に話題をひねり出そうとしているのを聞きながら森を走り抜ける。


 アケラとソウェが先ほど見た松明の明かりに近い道に出て5分程経った頃、ラニィーっと呼ぶ声が聞こえた。

 ソウェはアケラに頷くと声の主に向かって駆けだした。


「ラニを見つけたわ、こっちこっち」


「おぉソウェじゃんか」

 声の主はソウェの同級生で、火に油を注いでいた一人でもあるラサだった。


「ラサ、多分君の弟くんが怪我をしているの。今、冒険者の人が助けてくれて負ぶってもらってるわ。治癒士を呼びに行って!」


 ソウェは山岳狼に襲われていたと告げたら、気が動転して話が出来ないかもしれないと思い伏せた。


「怪我をしているって何があった。あーそれより治癒士かっって……あっでも……あぁくそっ!」

 ソウェはラサが逡巡しているのに気づいた、小さな怪我や病気であれば回復魔法持ちや教会に頼むことでどうにかなるのだが、治癒士に治療を頼むにはかなりのお布施がいるので軽々とは呼べない。


「私が頼んでいるって言ってユハニ導師を連れてきて」


「……あ、あぁ、ありがとう、みっともなくてゴメン、他の人にあったら声をかけてくれるかな。俺街に走っていくから会えないと思う」


 ラサが走りだそうとする時、ソウェに追いついたアケラに背負われ、寝ているかのように目を瞑っているラニに、ラサが気づいた。


「ラニ!」

 ラニに走り寄ったラサが、ラニの涙と汗でぐちゃぐちゃになった頬に口づけるようにして、生きているのを確かめる、頬は冷たくなり、唇は色を失い、渇いて皮が所々剥がれかけていた。

 ラサはラニの容態が悪いことが分かったようで、顔色が変わった。


「……馬鹿野郎……なんでこんなになってんだよ……父ちゃんと母ちゃんがどんだけ必死になって探しているかわかってるのか。無理するなって言っても聞かずに母ちゃんも飛び出してきたんだぞ」


 ラサは反応のないラニの頬を軽くたたくと、ラニが目を開いた。


「お兄ちゃん……ゴメン……ゴメンね……僕悪い子だった……」

 ラニがうわ言のように謝るが目の焦点が合わない。


「悪くない。悪くない。お前は悪くない。まってろ兄ちゃんが助けてやっから。絶対待ってろ! ソウェ頼んだ!」


 ラサは言うや否や体力強化魔法を詠唱、一度振り向いてから、一目散に山を駆け下りていった。


「ではこちらも急ぐか」

 アケラが、体力強化魔法の存在を否定するかのような速度で走り出す。


「アケラ様、私は強化魔法も使えないので、追いつけませぇぇん」

 ソウェの叫びが遠ざかっていく。


「では少し早め位で行こう」


 走ってくるソウェを待って、アケラは再び走りだした。


 アケラ達が明かりが漏れる窓の形が見分けられるくらい街に近づいたころ、ちょっと痩せすぎの感がある男がラサに負ぶわれてきた。

 アケラ達は途中で他の捜索隊の大人に出会ったが、ラニが見つかったことを他の組にも知らせるよう頼んで、そのまま街を目指したのだ。


「アファリのお嬢様……本当だったのですね、ラサとやら疑ってしまって済まないことをした。すぐに取り掛かろう」


 痩せた男は治癒士だった。持ってきた模様の書かれた敷物の真ん中にラニを寝かせ、すぐに治癒を開始した。治癒魔法を初めて見るアケラは、治癒士の手元がよく見える位置に立ち、注視している。


「土と水に祝福を授けられし傀儡くぐつ、アールヴの息子達に名を連ねる我が名をもって命ずる、滅びを取り繕え」


 ラニの傷口が光り始め、少しづつ肉が盛り上がって来ているのが薄っすらと確認できた。

 治癒式は15分ほど続き、傷はまるでなかったかのように塞がった。


「傷は治りました。どなたが施してくれたのかわかりませんが、最初の治療のおかげで大掛かりにならず済みました」


「ふむ。大掛かりとはどのような」

 アケラが問うと、治癒士は不審げな表情でアケラを見た後、ソウェを見る。


「彼がやってくれたのです、ユハニ導師、ご教示願えますでしょうか」


「では……傷は時が経つと熱をもって腫れ始めます、その場合、治癒と同時に浄化の魔法を全身にかけつつ、浄化に弱い一部の器官を保護するために防御魔法を並行で詠唱するのです。がしかし、血が減ってしまっていたら一人ではどうにもなりません。もう一人の詠唱者を呼び、こちらの治癒魔法とかぶさらない様に血を再生する治癒の詠唱を唱えます、ただこうなると上級の魔導士でなければ出来ません、もう一人私がいても無理でしょう。ゆえに傷が酷く血が減ってしまった場合は、ほぼ助からないのです、今回は治癒魔法以外の浄化と防御を僅かに使っただけで済みました」

「傷を治した後、治癒魔法で造血できないのか?」

「傷を塞いだ段階で状態異常では無くなり、固定化が起こります、そうなると治癒魔法を受け付けなくなります」

「なるほど、血止めを行ったのが功を奏したか、腐りと腫れを抑える薬も塗ったのだが、それが余計ではなかったかと気になっていたのだ」


「そういえば、何か塗られていましたが、あれがそうですか。治癒レベルの傷は、ポーションを飲ませて回復させても体力が回復するだけで、治癒も早まりますが体任せになり、回復できない所が悪化しているのに気付くのが逆に遅れ、治癒すら不能になることがあります。大人であれば持ちこたえられることもありますが、子供は耐えられません……そうかポーションを使わずに来たのか……」

 治癒士は沈思した後にハッと顔を上げる。

「……もしその薬があるのなら、教えていただけると幸いです」


「薬は残っていない。異国の地で買い求めて忘れていたものだったが使い切ってしまった。買った場所も方々歩いて回っているので定かではない」

 アケラはこちらでテラと同じ薬効を持つ草があるとは限らないので嘘をついた。


「買い求められないかと思いましたが残念です。でもその若さで国を越えて旅して回るとは凄いものです。私は領都のラスコーリニコフとシエナしか知りません」

 シエナ領は領主であるラスコーリニコフ卿が拝領すると、自身の名を冠した街を新たに作り領都とした為、シエナの街は領都の地位を失い、代官が派遣されるだけの街になったのだ。


「ユハニ様、そろそろ行かないと……」

 ソウェがラニを負ぶったラサと話し込む二人を見ている。


「あぁすみません。貴方のおかげで、この子の命は救われました。汝に精霊の思し召しを……」

 治癒士はアケラに祝福を授けると、満足げに街に向かって歩き出した。


「あっ、ユハニ導師、明日、家の者がお伺いします」

 ソウェが慌てつつ、その背に声をかけると、治癒士は振り向き、少し頷く仕草をして再び歩き出した。


「ソウェすまねぇ、恩返しは絶対する、このとおりだ」

 ラサが頭を下げると、負ぶっていたラニがずれた。ラサは慌ててバランスをとり、肩越しに寝息を立てている弟を眺める。


 アケラが山の上を見上げているのにソウェが気付き、視線を追うと山道を下ってくる一団が目に入った。


「みなさーん、ここです!」

 ソウェが叫ぶと、一団から抜け出して駆け寄ってくる人がいた、多分ラニの親だろう。


 両親にもみくちゃにされるラニとラサを見ながら、アケラは允次や忠助、祖父祖母を思い出し、微笑していた。

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