第15話 シエナの生活風景

 アケラは、イスロやベガが起きだす気配を感じてから、少しだけ間をとり、居間に降りる。


 昨晩は湯につかりながら、サウリと遅くまで話し込んだ。シエナでは温泉が湧いているそうで入浴が習慣になっているという。

「他の地方では入浴を惰弱だとか贅沢に過ぎると湯あみを忌避するので匂いがな」


 サウリは酒精を片手に終始上機嫌で、時にアケラの背中を叩きながら豪快に笑う。明日はソウェが学校へ行っている間、粉引き所を案内してくれるそうで、楽しみにしてろと一方的に決められてしまったが、そのあとラニの家に見舞いに行く時間をくれと言うと見舞いをもっていけと言う。


「卵を持っていけないものかと思ったのですが、高価なものなので気を使わせてしまうのではと悩んでおります」

「数はないがイスロに言えば、あるものを分けてくれるだろう、持って行き方はベガに相談するといい」

「はい、相談してみます、シエナでも鶏を飼い卵を取る養鶏方法がないか試してみたいものです」

「おぉそんなことができるのか、初めて聞いた」

「以前、冬に雪が融けない地域で卵を作っているのを見たと、養い親が言っておりました。冬場さえ乗り越えられれば鶏にとってはシエナは快適な地となります、温泉が近くにある場所であることが条件ではありますが」

「ふむ、我が家が管理している共同農場の集落なら温泉があるので丁度よいだろう、鶏も手配しておこうか」


 アケラは好意を受けることにしようと考えた、奉仕や施しを受ける事で築ける信頼もあるのだと茂晴に教えられた。


「うまく行くか保証はできません、その際には御寛恕ごかんじょを」

 サウリは笑みを浮かべ酒精を煽った。

「うまくすれば街の為になろう、商業ギルドの連中も喜ぶはずだ、交易している商店には仕入れ値が安くなり、販売数が増えるので商いが広がると、飴をちらつかせる必要は有るがな」

 アケラは長崎通詞を師匠に持つ蘭医師からカステラという卵と砂糖をふんだんに使った菓子があると聞き、調べたことがあった、卵が取れるようになったら作ってみようと考えていたが、似たようなものがないか聞くのもありかと独りちた。


 イスロがうつらうつらし始めたところで風呂から上がったのだった。


 アケラが居間に顔を出すと、ベガがハーブティを出してくれた。喫してみると、爽やかな香り、心が安らぐような香り、体が温まるような味わいが舌先に広がる。昨夜、庭に出たとき、少しづつ植栽の葉を摘み、匂いを記憶していたのだが、その際に嗅いだ匂いが幾つか混じっている事に気づいた。


「この茶は庭にある植物で作られているのですね」


「ヒューゴ様はお詳しいのですね、日の出る前に摘み取って朝にお出しするようにしています」

「ベガさんに詳しいと言われてしまうと厚顔仕切りです、よろしければ時間があるときに教えていただけないでしょうか」

「ヒューゴ様は、年寄りを持ち上げるのがお上手ですこと」

 ベガは微笑みを浮かべ、炊事場に去っていった。アケラは無聊を持て余し、庭を散歩することにした。


 先に飲んだハーブティに含まれた草を改めて確かめつつ裏庭にゆくと、厩舎があり馬が3頭繋がれていた。下働きと思しき少年が、飼い葉桶に水を流し込んでいる。少年はこちらに気付き、駆けるように近づくと、元気、且つ、ぎこちない挨拶をされた。

「おはようございます、ヒューゴ様、レコです」

「おはよう、朝から精が出ますね」

「いつもの事です」

 レコは何かを待つようにアケラを見上げている。

「私に何か?」

「うちの親父おやじ……いや、父が昨夜、酔っ払っ……いや、集会所の寄り合いから帰ってきた時、山岳狼5匹を眼力だけで一瞬のうちに屠った冒険者が、お前の働いている屋敷にいるぞと、言っていたので、もしかしてと……」

 昨夜、サウリが噂になっていると言っていたが、その後とんでもない所まで膨らんでしまったようだ。情報を集めやすくなるのはいいのだが、あまり有名になり過ぎるのも困る、早めに解消しておいたほうが良さそうだと考えに落ちる。


「……山岳狼を狩りはしたけど、眼力だけと言うのは誤りです、普通に切って捨てただけです」

「えっ普通にですか、ま、魔法を使わずに?」


 逆に余計な何かを上乗せしてしまったとアケラは頭を抱えた。少年は学校があるのでと告げ、母屋の裏手から、まかない部屋に駆け込んでいった。学校で噂がまた膨らむのだろうがもう止められない、諦めることにした。そういえば明楽本家の小者こものも朝飯を楽しみにしていたものだと、厄介事を打ち消すべく別の事を考えた。


 母屋に戻ると食事の準備ができており、女性陣が降りてくるのをサウリが待っていた。アケラが入ってくるのを見て、見舞いの件についてイスロとベガに頼んでくれた。粉挽き所は少し離れており、牧場はその近くなので、ソウェのキャブリオレの従者席に乗り、ソウェと学校に一緒に向かった後、粉挽き所に送ってもらう手筈てはずを整えてくれた。


 ソウェとジーマが食卓に付く、ソウェがもどかしそうに目配せをしてくるので、気付かぬふりをし続けた。「ソウェは要教育」と心に書き置きをした。ソウェはしびれを切らし口を開く。

「お父様、学校が終わったあと、アケラ様を冒険者ギルドに案内しようかと思っているのですが、よろしいですか」

「そうだな、うむ、頃合いもちょうどよいか、夕方まですることもなかろうし、ヒューゴ殿を粉引き所から馬車で送らせる、案内を頼もう。ヒューゴ殿、それで良いかな」

「お心遣い有難う御座います」

「ギルドは面白いことになっているだろうから、見られないのが残念だ」

 サウリがアケラの予想と同じ考えでいる事を好ましく思いつつ、事態の転がる方向を思案していた。


「イスロ、ヒューゴ殿を冒険者ギルドの会員として登録させるようにしておいてくれ、その方がギルドに入りやすいだろう」

「承知いたしました、」


 石畳の街路を軽やかにキャブリオレが疾走する。アケラは従者の外套を羽織ってキャビンの後の従者席に座り、街を眺めていた。ソウェはキャビンの中で女性の御者タズの横に座っている。


 学校の門前にキャブリオレが止まると、アケラは従者席から飛び降り、キャブリオレの折りたたみ式の踏み板を引き出すと、手を差し出す。ソウェは満更でもない表情であたりを見渡しアケラの手を取りキャブリオレから降りた。


 登校してきた生徒たちがソウェに従者がいることに気づき、興味ありげに見守る。ふと見るとラサが門前で待っていたらしく、近づいてくるのが見えた。

「おはよう、ソウェ、昨日はありがと……ん? ア、アケラさんがなぜ従者を?」

「「色々あってな(ありまして)」」

「昨日はアケラさんにお礼もろくにできず、ソウェに頼もうかと思っていたんだ、一瞬で解決」

「ラサ、近いうちにラニの見舞いに行くつもりだと、伝えてもらえると助かる」

「え、助けてもらった上に見舞いにきてもらえるとか、なんと言って良いのか言葉が出てこないです……」

「助けた手前、気になってな」

「でも、ラニが助かったのに安堵してか、母ちゃんが倒れてしまって……元々体調が悪くて、薬も買えなかったから無理してたんだ、なのでまだ見舞いに来てもらっても取っ散らかっていて……」

「では母上の容体がよくなったら伺おう、ラサも家族を支えるようにな、まずは掃除だな」

「えぇがんばるけどさ……」


 傍観者が増えていくのにソウェは落ち着きをなくし始めた。


「ラサちょっといい? アケラ様、お迎えお待ちしています! ラサ! 行くわよ!」

 ソウェがラサを連れて早足で校舎に向かう。


 アケラは、踏み板をしまい、タズの横に優雅に落ち着く。軽くムチが入ると馬が走り出す。

「ヒューゴ様の身のこなしは完璧ですね、従者と言われてもバレませんよ」

「イスロさんの教え方が上手だったのでしょう、最後までバレなければ良かったのですがラサがいるとは思いませんでした」


 粉挽き所までタズと話をしながら移動する。街の繁華街や市街を抜け、川の辺りを走る。御者は粉挽き所で働いており、足が不自由なため馬車を使って移動させてもらえるので助かっているとアファリ家に感謝していた。理由は様々だが、イスロもベガもレコもアファリ家に雇ってもらえて満足しているらしい。


 20分ほどで、堰堤とその近くに立つ水車小屋が見えてきた。

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