第39話「獣は旅立つ」
数時間後
教団本部ビル屋上
敬介は人間の姿に戻り、裸の体にカーテンを巻いて服代わりにして、ビルの屋上の一番外側に立っていた。
朝日の昇りつつある東の空を見つめていた。
まだ大気には硝煙と血、そして銀の臭いが混じっている。ひと呼吸ごとに口や鼻の中を棘のように刺してくる。
そして広大な市街地の向こうに顔を見せる赤い太陽も、もはや、昨日の太陽とは違う。
……太陽が怖い。陽光を浴びると鳥肌が立つ。太陽を見ているのが怖い、目を背けたくなる。
理由は分かっている。蒼血細胞が、銀に並ぶ弱点である紫外線を恐れている。むろん皮膚の下に紫外線が届くはずもないが、実害のなさを頭で理解しても、遺伝子に刻み付けられた恐怖は消えず、宿主にまで伝染する。
凛々子は陽光の下で楽しげに笑っていたが、あれは努力の結果なのだ。
自分は本当に、「人間ではなくなってしまった」のだと、太陽が教えてくれる。
「天野。本当に。殲滅機関に戻らないのか?」
背後で女の声。
振り向くとサキがいた。他の隊員はいない。屋上に着陸しているチヌークに、みな乗り込んでしまっていた。
あれから数時間、目の回るような忙しさだった。
親玉二体を倒したのち、敬介と殲滅機関は、残る蒼血を掃討して安全を確保すると、「証拠隠滅」にとりかかった。
「教団が武装蜂起をたくらんでいて、仲間割れを起こした」という「設定」で情報操作するのだから、銃弾や弾痕はあってもいい。だが化け物の屍は存在してはならない。徹底的に運び出された。「銃弾ではなく牙や爪で殺されたような人間」もいてはならない。原型が残らないほどバラバラにされた。
もちろん、戦いで負傷した人々の治療も平行して行った。敬介の能力は数十人を死の淵から救った。リー軍曹は血中に銀があるため苦労したが、例の透析装置で銀を抜きながらなんとか治療を試み、命を取り留めた。だが脳に損傷があったため、細胞配列変換をもってしても完全には治せず、軍務に復帰できるかどうかは怪しいところだ。
「もちろんです、隊長」
自分は、殲滅機関とは別れる。
「お前がいてくれると、どれだけ助かることか。死刑判決がまだ撤回されていないことを問題にしているのだろう? 私からも嘆願書を出しておく。大丈夫だ、軍法は曲げられると思い知っただろう?」
「死刑だけが問題なんじゃありませんよ」
敬介はそこで言葉を切り、サキ隊長をじっと見つめる。
「恨みの問題というか……ここの人たちと、うまくやっていくことは、もう無理だと思います。
俺がかつて、作戦で大失敗したことは変わらないし。
今回も暴れて、何人も大怪我させたし。
納得しないでしょう、被害を受けた隊員たちが。
それに……」
また言葉を切った。一番重要な理由を、口には出さず、胸の中に閉じ込める。
――姉さんを殺した人たちと一緒には戦えない。
復讐しないと決めた。憎しみを向けないと決めた。
だが、それでも心の奥底で、煮えくり返った感情が釜の蓋を持ち上げている。
毎日、同じ場所で働いて顔をあわせて、作戦のときは背中を預けることができるか?
未来永劫、とまではいかないが、いまはできない。何かのきっかけで気持ちを抑えきれなくなって殺してしまうかも、という不安もある。そんなことになったら姉のみならず凛々子をも裏切ることになるのだ。
だから、いまは殲滅機関を去り、一人で戦う。そう決めた。
「そうか……」
サキは肩をすくめる。
「ならば、引き止める言葉はない。ただ健闘を祈る、としか」
「俺も、健闘を祈ります。隊長たちの……すべての人たちの」
サキは軽く微笑むと、無言でチヌークに乗った。
チヌークがターボシャフトエンジンの金属的な轟音を発し、天高く舞い上がっていく。
明るくなり始めた空に消えていくチヌークを、敬介は背筋を伸ばして見送った。
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