第17話「軍法会議」

 二月十五日 午前十時 殲滅機関日本支部 法廷


「被告人、入廷」

 ロックウェル少佐の野太い声が法廷の中からした。敬介は法廷に足を踏み入れる。後ろ手に手錠をかけられたままだ。すぐ横に憲兵がついている。

 法廷内は、地下とは思えない広々とした部屋だ。天井の高さは身長の軽く倍はある。真ん中の奥には一段高い裁判長席があり、屈強な肉体を軍服でよろったロックウェル中佐が、すでに鎮座している。

 その背後には二本のポールが立ち、星条旗と、殲滅機関の旗が掲げられている。青い背景と、その真ん中を貫く銀の短剣。短剣の下には『B.A.O』の三文字。

 裁判長席から十メートル以上の間隔を置いて、右に検察側のテーブル、左に弁護側のテーブルがある。二つのテーブルのちょうど中央には、ノートパソコンを置ける程度の小さな背の高い机があった。発言台だ。

 検察側席にはシェフィールドが、弁護側席にはサキが待っていた。

 サキに視線を向けて頭を下げる。彼女は細い顎に手を当て、何かを堪える表情でうなずいた。

 さらに敬介は視線をさまよわせる。

 検察側のテーブルの隣には、木製のフェンスに囲われた一角があった。そこには椅子が並んで、グレイの勤務服に身を包んだ人々が十二人座っていた。陪審員だ。たった一人だけが女性で、あとは青年や中年の男だ。顔を知らない人たちだ。作戦局ではなく、情報局や技術局の人間を集めたのだろう。利害関係のないものを選ぶという陪審員の原則のためだ。

 彼らは落ち着かない素振りで、しきりに室内を見回している。敬介の視線に気付くと、そろって目をそむけた。

 そして弁護側テーブルの隣には、同じくフェンスで囲まれた小さな椅子。被告人席だ。

 敬介が被告人席に向かい、腰掛ける。憲兵がバーを閉めて立ち去った。

 椅子は、長い柱の先に小さな丸い腰掛がついているタイプで、尻が落ち着かない。何度も尻の位置を直した。

 ロックウェルが立ち上がり、一同を見渡して言う。

「検察側、弁護側、準備はいいか?」

 シェフィールドとサキが同時に立ち上がる。

「はい、裁判長」「はい、裁判長」

「よろしい。では殲滅機関対天野敬介、開廷する。本軍法会議は殲滅機関軍法の六十一条、六十二条に基づいて簡易式の陪審裁判の形態で行われる。

 通常の陪審裁判との相違点は以下の三つである。

 一つ、陪審員の全員一致ではなく多数決によって評決がなされる。

 二つ、原則として当日中に結審する。

 三つ、有罪無罪のみならず量刑の決定に陪審員が参加する。

 検察側、主張を述べよ」

「はい」

 シェフィールドが検察側の席を離れ、法廷のちょうど中央……発言台の前で立ち止まる。

「皆さん、ウィリアム・シェフィールド法務大尉です。このたびは、殲滅機関の存在を揺るがしかねない大きな罪を裁くため、当軍法会議の検察官を担当いたします」

 乾いて冷たい、酷薄そうな声だ。肉付きの薄い顔からは表情が消えている。四角いメタルフレームの奥の青い瞳も、冷たい光を発している。

「陪審員の中には、この事件について不正確な認識しか持たないものもいるでしょう。また、いくら陪審員選出に公平性を求めてもしょせんは組織の中、被告の知人であったり、あるいはもともと嫌っていたり、判断を歪ませかねない先入観があるかもしれません。

 よって事実を改めて説明します。陪審員は、今までに聞きかじった噂、知識ではなく、ここで明らかにされた正確な情報をもとに判断を行ってください」

 そこで、コホンとわざとらしく咳払いをする。

「十二月三十日、東京ビッグサイトの会場です。

 この会場内で暴動が発生しました。最初は小さな暴力事件だったものが、わずか数分で会場全体を巻き込む一万人規模の大規模な騒乱になりました。

 多くの者が血を流したとき、少女が現れたのです。

 その少女は人々にキスをして、すると人々のケガは治っていきました。奇跡な出来事に驚く人々は……」

 敬介はシェフィールドの顔をじっと見ていた。自分を死刑にしようとする男から、目を逸らしていることが嫌だったのだ。

 シェフィールドは敬介の視線に気付いたようだが、細い眉を軽く動かしただけで、まったく動揺なく喋り続ける。

「殲滅機関作戦部隊は、エルメセリオンとともに制圧行動を行いました。あと一歩のところまで敵蒼血を追い詰めたといえましょう。ところが、ここで一人の隊員がとんでもない失敗をしでかすのです。

 映像をご覧に入れます。検察側証拠物件1を提出します」

 シェフィールドは言葉を切り、発言台の上に置かれた小さなリモコンを取って操作する。

 天井から自動車ほどもあるスクリーンが下りてきた。法廷が薄暗くなり、スクリーンに映像が生まれる。どこにスピーカーがあるのか、音声までついてきた。ひっきりなしに響く銃声。くぐもった悲鳴。

白い煙の中に浮かび上がる、紫の針で覆われた巨獣の姿が映っていた。巨獣の手足にシルバーメイルを装着した隊員たちが組み付こうとしている。だが巨獣は暴れて隊員を吹き飛ばし、体の針を触手に変えて隊員の身体を縛り、一人また一人と行動不能にしてゆく。

 もちろん敬介はこの光景に見覚えがあった。これは自分が見ていた光景そのもの。自分のシルバーメイルに装着されたコンバットレコーダーの記録だろう。

『インパクトォ!』

 甲高い男の声が会場に溢れた。敬介は一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに自分の声だと気づいた。本当は俺はこんなに高い声なのか。

 スクリーンの中では、装甲に覆われた腕が突き出され、拳が巨獣の前脚に激突していた。巨獣が苦悶の声をあげ、その全身を痙攣させる。

『いまだよ! みんな、ひっくり返して!』

 これは凛々子の声だ。声に応じて、複数の手が巨獣の足を抱え、持ち上げて、ひっくり返そうとする。

巨獣の足が持ち上がった。

 と、その瞬間、女の声が流れた。

『やめて!』

 スクリーンの中の映像が大きく上下に揺れて、カメラが下を向く。シルバーメイルの足に、黒い三つ編みの髪を銀粉で真っ白にした女が、しがみついていた。

『かみさまを……いじめないでっ!』

『なんで! なんでねえさんがこんな!』

 あの瞬間に感じた恐怖と混乱が、また敬介の心の中で蘇る。膝の上で拳を硬く握りしめて耐えた。

 映像を見続けるのは苦痛だった。自分の頬の筋肉が痙攣するのがわかった。それでも自分に鞭打って、むりやりに目を見開いてスクリーンを凝視した。

 混乱して行動不能に陥った自分。その隙を逃さず、疾駆する巨獣。凛々子を押し倒し、首を噛み千切った。

『エルメセリオン喪失! 全部隊退却!』

 荒々しい男性隊員の叫び。そしてスクリーンは暗転した。

 また一同をゆっくりと見渡し、シェフィールド法務大尉は言う。

「おわかりになりましたか? フェイズ5を殲滅できる千載一遇の機会を、この男が潰したのです。その場に姉が居合わせたというだけの理由で、戦闘中に錯乱してしまったのです。

 これは重大な罪です。具体的には、殲滅機関軍法第六条『命令の遵守』、および第十二条、『戦闘拒否の禁止』に明確に違反します。

 このような不適格な隊員に甘い処置をするなら、もう二度と、隊員は命がけで戦わないでしょう。死刑にするべきです。私は天野敬介の有罪を主張します」

 シェフィールドは無表情のまま発言台を離れ、検察側の席に戻った。

「よろしい、弁護側、反対尋問は?」

「は……はい」

 サキが立ち上がって歩き出す。肩や足の動きがぎこちない。緊張してるのがありありとわかった。

 発言台に着いたサキは、敬介のほうに目をやって小さくうなずき、言葉を発した。

「影山サキ准尉です。本軍法会議の弁護人を務めます。私は、まず、みなさんに見て欲しいものがあります。裁判長、弁護側証拠物件1を提出します」

 シェフィールドと同じように、台上のリモコンを操作する。またスクリーンが下りてくる。

「これは、二月一日にネット上で公開されたニュース番組です。喋っているのは、『繭の会』広報部長の樋山理香子です」

 始まった映像は、面会室で見た「教団のPR映像」を加工したものだった。

 栗色の髪に大きな乳房をもつ女が、ねっとりとした声で教団の教義を語る。

『神の力は本来、すべての人に宿っているのです』

『そのための方法は一つではありません』

 喋りながら、女が瞬きをする。瞬きのたびに画面の下に「右1」「左2」と文字列が出現した。

 シェフィールドが立ち上がって、冷たい声を叩きつけてきた。

「異議あり、本件と関係のない映像です。本軍法会議は十二月三十日に起こった出来事について天野敬介の罪を追及しています。『その後』に起こったことは全く本件に影響を及ぼさない。ただちに中断してください」

 サキは一瞬だけ固まったが、すぐに大きくかぶりを振った。

「いいえ、関係のある映像です。見ていただければ分かります。裁判長、続行の許可を」

 ロックウェルは肩をすくめた。

「続行を許可する、だが、どう関係があるのか充分に説明せよ」

「はい。……左右の瞬きの回数が……暗号になっています」

 サキがリモコンを操作すると、画面が切り替わる。

 真っ暗な画面の中に五十音表が浮かぶ。

『に』の文字が赤く明滅した。次は『か』、『つ』。

「このように、五十音表に当てはめると『にかついつか ほんふいてん』。このニュースが公開された後、教団の本部は移転しました。ピッタリ2月5日ですよ。樋山理香子が我々に、教団の内部情報を教えてくれたわけです。

 そして、この樋山理香子とは……」

 リモコンを操作する。映像がまた理香子になって、猛スピードで巻き戻った。

『……ああ、ごめんなさい。女性の方だからってクラゲが好きとは限りませんよね。男性のほうがクラゲ好きで……』

 リモコンを操作して、画像を一時停止させる。

「この理香子とは、氷上凛々子、エルメセリオンと同一人物なのです」

 シェフィールドは無表情を崩さなかったが、陪審員たちは驚きの声を上げた。

「その根拠は、ただ今の『女性だからってクラゲが好きで……』という発言です。天野敬介と氷上凛々子は、作戦のわずか二、三時間前に二人で水族館を訪れ、クラゲやエイに関する会話をしています。まさに『女だからクラゲが好きとは限らない』という、まさにこの通りの会話です。

 つまり……」

 ここで言葉を切った。

「この女は氷上凛々子であり、繭の会の味方になったふりをしているのです。しかし実際にはまだ教団と戦う意志を持っている。だから我々に、さり気なく情報を伝えてくれたのです。天野敬介にしか理解できない形で、です!

 それを利用するのです。ご覧になったとおり、彼女は被告と精神的に絆で結ばれている。だから被告を潜入させるのです。

 被告を潜入させて、外からの攻撃とタイミングを合わせて氷上凛々子に反乱を起こさせる。そうすれば今までの攻撃より大きな成果が出せます。

 だから私は。被告人の無罪を主張します。

 天野敬介は作戦を失敗させたが、現にこうして、新しい勝利の可能性をもたらしてくれているのですから。以上です」

 検察側の席から、乾いた笑い声が聞こえてきた。

 敬介が視線をやると、シェフィールドだ。

「検察側、主張はありますか?」

「あります。ありますとも、ははは、全くお話になりません」

 サキが自分の席に戻り、入れ替わりにシェフィールドが発言台の前に立つ。

「ただいまの弁護人の主張は、まったくナンセンスなものです。まず根拠が薄弱です。人間の仕草から一定のメッセージを引き出すなど、強引な解釈を行えば容易なことです。聖書から大統領暗殺の予言を読み取った、という類に過ぎません。

 この広報部長とやらが氷上凛々子である、という主張からして怪しい。会話内容が一致した? 水族館での会話は、あくまで天野敬介の記憶にあるだけ。なんの裏づけもないのです。いくらでも、あとからつじつまを合わせることができます。

 それに、仮にこのメッセージが事実としても、我々を誘うための罠だという可能性もあります。二重三重の憶測に基づいています。とても承認できません。

 もう一つ、弁護側の主張には根本的な無理があります」

 そこでシェフィールドは、壁際の裁判官席に座るロックウェルに身体を向けた。

「裁判長。検察はリー・シンチュアン軍曹を喚問します」

 ドアが開き、リー軍曹が入ってきた。細面に陰鬱な表情を浮かべている。室内を軽く見渡し、敬介を見た瞬間だけ怒りに顔を歪めた。すぐに目を逸らして、発言台の前に立つ。

「リー軍曹、自分の姓名、階級、天野敬介との関係を述べてください」

「はい。リー・シンチュアン。階級は軍曹。殲滅機関日本支部作戦局、第44小隊に所属します。小隊を構成する十六名のうち、八名を指揮していました。また先任軍曹として影山小隊長の補佐を行っていました。天野敬介の上官です」

「わかりました。ではリー軍曹。あなたは天野敬介と氷上凛々子の会話を耳にしています。二人の関係は親密なものでしたか?」

 リー軍曹は即座に答えた。

「親密には思えませんでした。私は確かに氷上凛々子が天野敬介をデートに誘うところを見ました。しかし天野は恥ずかしがってそれをなんとか拒否しようと試みていました。最終的には承諾したのですが……」

「リー軍曹、それはいつのことですか?」

「はい、十二月二十九日の十九時過ぎです。私も訓練を終えてアパートに戻る途中だったので、よく憶えています。場所は相模原補給廠メインゲート前です。私以外にも多くの目撃者がいるはずです。時間に関しては私がゲートを通過した時間が記録されているはずです。

 つまり、作戦の前日の時点ですら、デートをいやいや承諾する程度の関係だったんです。口からでまかせですよ、こいつの言うことは」

 サキがハッとした表情で口を挟む。

「異議あり。後半はただの憶測、印象です。客観的な参考意見にはなりません」

 どう反応するか。敬介はロックウェルのほうを見た。

 ロックウェルは四角い顎に手を当て、鋭い目でサキを一瞥した。

「異議は認められない。二人が親密な関係であったか否か、記録が残されていない以上は関係者の証言によるしかない。検察側、弁論を続けよ」

 今まで無表情だったシェフィールドが、薄い唇を笑みの形に歪めてうなずいた。わが意を得たり、という感じだ。胸を張って喋りだす。

「以上のことで明らかになったように、被告と氷上凛々子の間に密接・濃厚な絆など存在しなかった! よって天野を教団内に送り込む作戦は実効性がきわめて薄いと考えられます。

 この計画とやらは死刑を免れようとする言い訳でしかありません。弁論は以上です」

 シェフィールドはすでに勝利を確信した表情で一礼した。

 陪審員は? 彼らの反応は?

 敬介はシェフィールドの隣の陪審員席に目を走らせた。

 心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けた。彼らは明るい表情で、しきりにうなずいていた。シェフィールドの説明で納得しているのだ。

 気が気ではなかった。あの陪審員十二人のうち、たった七人が「リーの言うことはもっともだ」といえば自分の命運は尽きるのだ。

 だからといって自分が反論するわけにもいかない。サキに熱い視線を送った。

 頼みます、隊長……!

 その視線に気付いてか、サキは小さく笑顔を作ってうなずいた。

「弁論側、反論は?」

 サキは諦めなかった。ロックウェルの威厳たっぷりの声を受け止め、立ち上がって発言台に向かった。

「みなさん、ただいまのリー軍曹の発言は、その場に居合わせただけの人間の、表面的な分析です。

 たしかにリー軍曹に目撃された時点では、天野と氷上は仲がよかったとは言えません。しかし、次の日はずっと、任務の緊急招集が入るまで二人きりで過ごしたのです」

 そこで言葉を切り、法廷内のすべての人々をゆっくりと見渡す。

「みなさんは異性と交際したことはありますか? あるはずです。結婚されている方もいるはずです。自分の胸に手を当てて、記憶を呼び覚ましてください。時間だけが絆を育むのでしょうか? 短い時間のうちに印象が変わって、この人と一緒になろうと決めたことはありませんか?」

 敬介にはわかった。サキはよどみなく喋っているが、不安に駆られている。視線が定まらず、空中を泳いでいる。冷房が効いているはずなのに額に汗が浮かんでいる。シェフィールドの落ち着き振りと比較すると動揺は明らかだ。

 そのシェフィールドが声を上げた。サキを指さす。

「異議あり。根拠のない主観です。そもそも、あなたの経験はどうなんですか? 私の知った限りでは、あなたは独身で、交際男性もなく、今の歳まで任務一筋だったはずですが? そんな聞きかじりは参考になりませんね」

 自分でも無理があると思っていたのか、サキは表情をこばわらせ、はっきりと身体をぐらつかせた。

 ロックウェルまでもが、ギロリとサキを見て言葉を投げつける。

「弁護人は想像でなく事実を語るように」

「わかりました。主張を変えます。

 みなさん、私はこれから事実を述べます。だから目を閉じて想像してください。何十年もの間、蒼血と人類の両方を敵に回して戦い続けてきた孤独な戦士のことを。そして、やっと安心して眠れる場所を手に入れたのです。我々殲滅機関の一員になれたのです。その時手助けをしてくれたのが天野敬介です。彼が、エルメセリオンと氷上凛々子は危険な存在ではないと証言したからです」

「意義あり! 一兵卒の証言が、機関の意志を左右するというのは常識的に考えられない。憶測だ」

「事実はその通りかもしれません、しかし問題は氷上の目から見てどうだったか、です。何十年も周囲を敵にする戦いの日々を送って、ようやく助けてくれた人……心ひかれたとしても不思議では無いはずです。リー軍曹の証言は覆しえます」

 敬介は陪審員のほうを見た。彼らは曇った表情で小首をかしげている。

 ……ダメだ。陪審員の心を動かすには足りない。

 ため息をついた敬介。

 だが、サキはまだ奥の手を用意していた。

「証拠を用意しました。技術局の三嶋礼一技術中尉を喚問します」

 余裕綽綽だったシェフィールドが、はじめて目を見張る。

 ドアが開き、法廷内に一人の男が入ってきた。小柄で痩せこけ、気弱そうな顔つきだ。技術局というだけあって全く軍人には見えない。

 発言台の前に立った三嶋が、居心地の悪そうにうつむいた。

 サキが質問を浴びせる。

「上官に対し失礼します。氏名と階級、殲滅機関内での役職を言ってください」

「はい。三嶋礼一、階級は中尉、所属は日本支部の技術局です」

「答えてください、あなたは十二月ごろ、技術局でどういった任務に就かれていましたか?」

「氷上凛々子の頭に埋め込んだ爆弾の開発、および保守管理の責任者です」

 おおっ、とどよめきが上がった。とっさに敬介が声の主を見る。

 陪審員たちだ。

 これはいけるかもしれない。敬介は期待をこめて拳を握った。

「では三嶋中尉、その爆弾の主な機能を説明してください」

「はい。外部からの起爆信号で爆発する機能、二十四時間にわたって機関を離れた場合のタイマーによる自爆機能。それから、蒼血が脳内から逃げ出したときに爆発する機能があります」

「その爆弾は、蒼血が脳から逃げ出すことをどうやって知るのですか?」

「脳波、脳電位の測定によってです」

「その脳波、脳電位は外部でモニターされていますね?」

「はい、バースト通信で定期的に外部に送信されています。エルメセリオンと氷上凛々子の共生関係に関するデータが欲しい、という研究上の理由もありました」

 サキは力強くうなずいた。

「その脳波のデータを見せてください。裁判長、弁護側証拠物件2を提出します!」

 三嶋中尉は陰気な顔で、発言台の上のリモコンを操作する。

 またスクリーンが下りてきて照明が暗くなり、映像が映し出される。

 今度の映像は、何かのグラフのようだった。黒い背景に格子状の目盛りが並び、赤と青の線が激しく波打っている。

「三嶋中尉、十二月三十日の午前十時から正午にかけてのデータをお願いします」

 サキの言葉に応じて三嶋がリモコンを操作する。画面が切り替わって、また同じようなグラフが出てくる。

「この脳波グラフから読み取れることは何ですか? わかりやすく答えてください」

「はい。これは軽い興奮状態です。それも性的な興奮状態に似ています。ドーパミンの分泌量が高まっています。また、記憶をつかさどるという海馬にも明確な活性化が見られます。恋人のことなどを考えていると海馬の脳波が活発化するという説があります」

「専門家の目から見て、氷上凛々子は恋愛状態か、またはそれに近い精神状態にあったと考えて良いですね?」

「断定はできませんが、一つの証拠にはなると思います」

「わかりました、弁論は以上です」

 三嶋が発言台から離れようとする。と、すぐにシェフィールドが鋭く叫んだ。

「裁判長。反対尋問を行います。三嶋中尉、戻ってください。

 そもそも、なぜ氷上凛々子の頭には爆弾が仕掛けられていたのでしょうか?」

 三嶋はシェフィールドの冷たい声におびえたように一歩後ずさり、おずおずと口を開いた。

「いや、それはもちろん……裏切りを警戒してのことです。『反逆の騎士』エルメセリオンは、蒼血だけでなく、殲滅機関と交戦したことも何度もあります」

「その通りです、では常識的に考えて、少しくらい恋愛感情があったからといって、自分の頭に爆弾を埋め込んだ相手を助けようとするでしょうか? このメッセージとやらは妄想の産物に過ぎないか、あるいは殲滅機関を潰すための罠にすぎないのではと考えられます」

 三嶋が陰気な顔をますます曇らせて絶句すると、シェフィールドは声のトーンを一段階上げた。

「百歩譲って、仮に二人の間に精神的な絆があったとしましょう。まさに氷上凛々子は天野個人を頼ってメッセージを送ってきたとしましょう。

 それでも天野を教団に潜入させるのはまったくナンセンスだといわざるを得ません。天野はまさにあの戦いの現場で『姉さん!』と叫んでいます。つまり天野敬介が殲滅機関という敵対組織の人間であることを、ヤークフィースは間違いなく知っている。必ず警戒されます。情報局員を使ったほうがよほどマシです」

 敬介は陪審員たちにまた目線を走らせた。彼らはみな納得した様子でうなずいた。

 敬介は重苦しくため息をついた。口の中はカラカラに乾いている。

「裁判長!」

 サキの凛とした声が法廷に響いた。その声に宿る強い情熱に驚いて、とっさに振り向いてサキを見た。

 サキは微笑んだ。もう額に汗はない。まだまだ諦めていなかった。

「シェフィールド法務大尉の主張はもっともです。殲滅機関の人間であることを隠すことはできません。

 よって隠しません。元々は殲滅機関だったが、改心して教団に帰依した、ということにするのです」

「そんな演技が通用するものですか」

「演技ではありません。天野敬介には、本当に信者になってもらうのです。

 弁護側は証人を喚問します。情報局の梅原圭吾技術少尉です」

 今度の証人は、三嶋とは打って変わって熊のように大柄だった。

「梅原圭吾です。階級は少尉。情報局で記憶操作第3班を指揮しています」

 記憶操作班。ある意味では戦闘部隊以上に重要な部署だと言える。蒼血の存在を知った部外者に、片端から偽の記憶を植えつけるのだ。

「では梅原少尉。記憶操作の技術を用いて、天野敬介に別人格を植え付けることは可能ですね? 天野は敬虔な信者として教団内部に溶け込み、ある条件が整ったときに真の人格が目覚めるのです。たとえば、二人きりで氷上凛々子に会った時であるとか。教団内部で一定の地位に達して自由に行動できるようになった時とか。そういうふうに催眠でプログラムを組み込むことは可能ですね?」

 すぐに梅原はうなずいた。

「はい、可能です」

 即座にシェフィールドが反論する。

「証人、その催眠プラグラムはどの程度確実に作動するのですか?」

「いえ、それは……」

「答えてください。私は記憶操作の専門家ではありませんが、記憶操作が失敗した例は多数見てきています。たとえば天野敬介の姉である天野愛美も、蒼血に襲われたときの心的外傷を払拭できない状態でした」

 答えられずにいる梅原をシェフィールドは問い詰めた。

「専門家として率直に意見を述べてください。記憶の一部の消去ですら危険を伴うのですよ? まったく別の人格を埋め込んで、しかもそれが一定のスイッチで消滅するように仕向けるなど、成功の確率はどの程度でしょうか? しかも教団内には人間の脳について我々以上の知見を有するフェイズ5蒼血がいるのです。『神なき国の神』とまで言われたヤークフィースを騙し通せる可能性があるでしょうか? 成功確率はどの程度で?」

 梅原は先ほどの歯切れのよさはどこへやら、急に不安げな顔になって周囲の人々の顔色を窺う。専門家であればあるほど、不明な要素が大きくなって成功確率など断言できないのだ。

「さあ、答えられませんか? 答えられないならば、つまり先ほどの『可能です』も根拠のない、あてずっぽうということですね?」

「それは……つまり。成功確率は。1割か2割程度はあります」

「たったそれだけですか。同様の処置を、天野伍長ではなく普通の情報局員で行った場合はどうですか?」

「やはり1割か2割程度は期待できるかと……」

「ただいま明らかになったとおり、成功確率が低い上に、専門の情報局員を使ってもいい作戦です。わざわざ専門外の天野局長を送り込むことに何の意味もありません。以上、弁論を終わります」

 敬介は陪審員たちの顔を見て絶望に震えた。

 十二人の大半が、迷いのない笑顔を浮かべてうなずいている。顔に死刑と書いてある。まだ首をかしげているのは一人だけだ。

 一体どうすればいい?

 どういう弁護戦術を取るかサキと話し合ったが、あのとき考えた作戦はここで終わりだった。

 やはりダメだ。専門の法務士官に勝てる道理がなかったのだ。

 サキの表情をうかがう。さすがに眉間に皺を寄せていたが、体のこわばりはない。背筋をピンと伸ばし、顔を上げていた。敬介の視線に気付いたらしく、こちらに向かって笑顔を作った。まだ闘志を失っていない。

 サキは息を大きく吸い込み、言った。

「裁判長。弁護側は天野敬介を喚問します」

 ……え? 俺?

 ここから先のやりとりは打ち合わせにない。一体なにがどうなるのやら。

 混乱しつつも発言台に立つ。

「天野敬介。あなたは何故、潜入作戦を提案したのですか?」

「え……それは。ただ死刑になるだけでは、殲滅機関に貢献できないからです。少しでも役に立つことで、私のした失敗を償おうと……」

「本当にそれは主な理由ですか? 姉と会いたい、という気持ちはありませんでしたか? あるいは一日だけとはいえ心が触れ合った、氷上凛々子と会いたいという気持ちは?」

 驚いた。

 なぜ、こんなことを訊く?

 あくまで殲滅機関に尽くしたい、で押し切ったほうがいいじゃないか。私的な目的だとバラしてしまったら陪審員だって心証を悪くするだろう?

 質問の意図を知りたくてサキの顔をじっと見つめる。サキは、さきほどの笑顔を顔面から追い払い、真面目そのものの……気迫のこもった顔で敬介を見つめ返してきた。

 ……正直に答えないといけないのかな。

「はい。そんな気持ちもあります」

「なぜ姉や氷上凛々子と会いたいのですか? あなたは今まで、殲滅機関という組織に身も心も尽くしてきた。その組織に逆らってまで、なぜ会いたがるのですか? やはりあなたは、検察側の主張するとおりの欠陥兵士なのですか?」

「意義あり。裁判に関係の無い質問です!」

 シェフィールドが鋭い声を浴びせてくる。

「いいえ、関係があります。裁判長、許可を」

「いいだろう」

「ありがとうございます。さあ、なぜ会いたいのですか?」

「それは……」

 法廷を見回す。

 ロックウェルがゲジゲジ眉をハの字にして腕を組んでいた。シェフィールドが眼鏡のレンズを光らせ、酷薄な笑みを浮かべていた。サキが真剣な眼差しで敬介を射抜いてくる。陪審員たち十二名も、みな興味にあふれた顔つきで敬介を凝視していた。

 底知れない不安に襲われた。肩や膝が震えだす。

 死刑になる恐怖とも、裁かれる恐怖とも違う。

 ……心を剥き出しにされる恐怖。

 だが、ここは正直に答えるしかない。

 よく考えたら、どうせ記憶操作を受けるときには心の中の事をすべて探られる。いまウソをついたところですぐにばれるのだ。

「私は……姉のことが好きでした。

 子どもの頃から……姉に育てられてきました。父と母を早くに失って……姉が私の親でした。そして、その姉がある日、蒼血に侵されたのです。

 姉の仇を討ちたかった。

 だから殲滅機関に入って、今までずっと戦ってきたのです。

 姉は……私にとって……」

 そこで言葉に詰まった。

 自分の足元の床の感覚がすっと消えていく。頭の中に姉との思い出のすべてが、次々に蘇っていく。

 ……ごめんね、母さんみたいになれなくて。

 ……友達が馬鹿にする? うちが貧乏だから? 今度その友達連れてきて。どんな高級店にも負けないようなお菓子を作って、二度とそんなこと言えないようにしてあげるから。

 ……うれしい けいすけが ふつうのひとに なってくれて

 ……やめてえ! かみさまを! いじめないでぇ!

 目頭が熱くなった。こんな場所で泣いて、弱い心を見せるのが恥ずかしい。あわてて目を閉じたが、押さえ切れない涙が溢れ出した。袖で拭ったが、またすぐに溢れる。頬を伝っていく。

 もう仕方ない。この涙を止めることはできない。

 目を見開いた。視界は涙で滲んでいる。前方にはシェフィールドとロックウェルがいるが、その表情がよく見えない。

 ぼやけた視界の中で、途切れ途切れに語りだした。

「私にとって……姉は、長いこと、すべてでした。だからあの場で取り乱してしまったのです。いまでも、姉への気持ちはなくなっていません……」

 泣きじゃくりながら、喋り続けた。

「このまま終わりたくない、会いたいんです。会いたい人がいるんです。自分が悪くないと言っているわけじゃない……」

「最後に一つだけ。あなたは自分が死刑になることについてどう思いますか?」

 怖かったはずだった。独房の中で、今日こそ来るかとおびえていたはずだった。それなのに即座に否定の言葉が飛び出した。

「俺は……私は……死刑が怖いとは思いません」

 ほう、と感嘆の声がどこからか聞こえてきた。シェフィールドやロックウェルの声ではない。陪審員の誰かだろうか。

「でも! その前にやりたいことがあるんです! ただ何もできず死刑になるのではなくて……自分の大切な人の顔をせめて一目みて……死にたいと……それはおかしいですか! おかしいことですかっ!」

「以上の答弁をお聞きになってわかったでしょうが、被告は殲滅機関への忠誠心も、蒼血への怒りも忘れていません。自分の命を捨てても構わないと言っているのです。私はこう主張します。同じ死ぬなら、せめて役に立ててから死なせるべきではないか。作戦の成功確率が低いことは、このさい問題ではありません。100パーセント無意味に死ぬか、一割二割でも役に立てる可能性があるか、ということです。弁護側からは以上です」

「異議あり。異常な主張です。裁判の原則を無視している。当初の無罪主張はどこにいったのですか。話をすり替えている」

 シェフィールドが声をあげるが、サキは眉一つ動かさず、あっさりと切り返した。

「シェフィールド法務大尉。あなたは以前、私に言ったはずだ。『軍事組織の法運用は、組織の戦闘能力に寄与することが目的で、そのためなら原則を曲げても良いんだ』と。だから私も曲げさせてもらいました」

「なっ……」

 シェフィールドが驚愕の声を上げる。

 敬介も、「これは詭弁だろう」と思わずにいられない。

「検察側、反対尋問はあるか?」

 シェフィールドが即座に、「はい!」と叫ぶ。

 冷静さをかなぐり捨て、厳しい声を敬介にぶつけてきた。

「天野敬介。ならば問いますよ。

 弁護人は『わずかでも殲滅機関に役に立つ形で死なせたい』と言いました。しかし私は、あなたの潜入が機関にとって役に立つどころか有害であると断定します。教団内であなたが本来の人格を取り戻したとき、作戦を遂行するという保証がない。教団側についてしまう可能性が高い。絶対にそうしない、という保証は何かあるのですか?」

「それは私が……」

 サキの言葉を、シェフィールドが片手を振り上げて遮る。

「私は天野敬介に訊いているのです。どうなのですか、天野? すでに大きな背信行為をした人間を、どうやって信頼しろと? 私には潜入作戦というのは逃げ出すための口実にしか思えません!」 

 ……確かに……それは……

 敬介は絶句した。この問いに答えるのは難しい。今回は頭に爆弾を入れるわけにもいかない。策略の存在が教団側にバレては潜入の意味がない。

 何か方法はないか……

 ジャージの袖で涙を拭った。シェフィールドの冷たく光る青い目を見つめ、なんとか言葉を搾り出した。

「絶対に寝返らないように、記憶操作でプログラムを頭に書き込んでもらうのはどうでしょう」

「エルメセリオンは脳をいじれるから、そのプログラムを解除できます。意味がありません」

「この場で自分の身体を切り裂いて、殲滅機関への忠誠心を示します」

 シェフィールドは大げさに肩をすくめた。

「ナンセンスです。死刑を逃れるためなら、そんなパフォーマンスはいくらでもできる」

 口ごもっていると、シェフィールドは追い討ちをかけてきた。

「言っておきますが、影山准尉に証言してもらっても無駄です。彼女は天野が今回の事件を起こすことを予期できなかった。そんな人間が太鼓判を押しても信頼できません」

「たとえば、そう……エルメセリオンでも解除できないように、殲滅機関を裏切ろうと考えた段階でプログラムが作動し、自殺するようにする」

「そこまで高度で確実に作動するプログラムは作れますかね? 人格を一つ埋め込むだけでも成功率が低いというのに? 専門家を喚問し確認しましょう」

「それは……」

 口ごもった。もちろん『自殺プログラム』など思い付きに過ぎない。本当に専門家を呼ばれたらボロが出ること確実だ。

「もう反論はできないのですね? やはり、逃げ出すための口実に過ぎないと……」

 最後の手だ。これで押し通すしかない。シェフィールドの言葉を遮って大声を出した。

「逃げたらどうだって言うんです!」

 シェフィールドが絶句する。敬介は発言台の天板に両手を突き、身を乗り出して、矢継ぎ早に言葉を繰り出した。

「教団を攻撃する計画は最初からあったんですよね? だったら、俺が裏切ったらそのまま教団攻撃を実行して俺を殺してしまえばいい。俺が裏切ってもなんのデメリットもない。俺一人が向こうについたって、殲滅機関はそれで負けるんですか!」

「ま、待ってください」

 ようやくシェフィールドが反駁した。

「つまり貴方は、潜入作戦に成功しても死刑でいい、失敗しても死刑でいい、とにかく死刑でいいから、ただ送り込んでくれと……? 処刑の前にタバコを吸わせてくれという、その次元の話だというんですか?」

「そうです!」 

 目を逸らさずに言い切った。シェフィールドは血色の悪い顔をこわばらせ、しばらく敬介と視線を合わせていたが、やがて目線を下に落とす。

「……反対尋問は以上です」

 そこでロックウェルが問うた。

「検察側、弁護側、主張は終えたか?」

 サキが小さくうなずく。

「はい。もうありません」

 シェフィールドは苦々しい顔つきで答える。

「検察側も全ての弁論を終えました」

 ロックウェルは法廷の全員をゆっくりと見渡す。驚いたことに、岩のように厳つい彼の顔に苦笑が滲んでいた。

「では陪審員諸君。評決をお願いする。シェフィールド大尉が述べたとおり、予断や憶測、法廷外で聞きかじった知識によらず、今この場で明らかになった事実に基づいて判断して欲しい。

 では被告、検察、弁護側は退室、評決があるまで別室で待機せよ。起立」

 全員が立って、姿勢を正す。

 

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