第30話「ヤークフィースの策略」
その数分後
教団本部ビル十一階
ビルの上下から突入した殲滅機関は順調に制圧を続け、作戦開始から三十分ほどで全ビルの約七割を押さえていた。
いまや残っているのは九階から十四階まで。
影山サキ率いる小隊十六名は、もっとも激しい抵抗の行われている十一階で、苦戦していた。
十一階は客室階として使われていた階だ。廊下は広く、床は毛足の長い絨毯だ。
だが粘液まみれだった。廊下のど真ん中、ドアを開けて十一階に出たばかりのところを、巨大な透明な粘液の塊が塞いでいた。塊の向こうはぼやけて見える。厚さ何メートルもありそうだ。
粘液は、左右の壁も、客室のドアも、天井や床さえも、覆っていた。こちらの厚さは数十センチ程度か。十一階に入った隊員達は、すぐに足元の粘液に足を絡め取られた。粘着性のある泥、という感触で、足は沈み込んで周囲の粘液とくっついて、歩くのが難しい。
直後、廊下を塞ぐゼリーの中に昆虫姿の蒼血が現れて、銃を持った腕をゼリーから突き出してこちらを撃ってくる。隊員から奪ったミニミだろう。
サキたちは片腕で顔面をカバーして銃弾に耐えた。耐えながら反撃する。だが反撃に転じたとたん、蒼血はゼリーの中に引っ込んでしまった。こちらの銃弾は飛沫を上げて粘液の中に飛び込むが、向こう側には抜けることができないようだ。グレネードの対人榴弾が炸裂して粘液を吹き飛ばし、穴を開けたが、すぐに周りの粘液が生き物のように動いて塞いでしまう。
隊員の一人が罵声を上げる。
「こんちくしょうっ!」
足元の粘液の中を、爬虫類形態の蒼血が何体も泳いで、足首を捕まえていた。
隊員がミニミを足元に連射するのと、引きずり倒されるのは同時だった。倒れて沈むこむ隊員に、蒼血が群がる。もがいて抵抗するが、蒼血のほうが動きが速い。
他の隊員が即座に援護の銃撃を加える。だがやはり粘液の中ではライフル弾の威力は大幅に減じられるらしい。銃弾を浴びたにも関わらず蒼血は悠々と泳いで、廊下を塞ぐ粘液塊の向こうに逃げていく。
またすぐに床や壁の粘液の中を泳いで蒼血が集まってくる。銃を粘液から突き出して撃ってくる。こちらの動きは鈍くなってよけることができない。足元が不安定なせいで、簡単に引きずり倒される。銃で反撃すれば逃げていくが、傷はやはり与えていない。
「このネバネバは一体! くそっ!」
苛立つ隊員たち。ひとりサキだけは沈着冷静に、指示を出す。
「全員で二列になって繋がれ、前の奴の肩をつかんで、スクラムを組むんだ」
隊員達は一瞬だけ顔を見合わせるが、すぐに行動した。
装甲と人工筋肉で力士のような体型になった隊員たちが「電車ゴッコ」のように連なる姿は滑稽ですらあった。
「前進!」
サキの号令とともに、八人ずつ繋がった列が二つ、ゆっくりと進み始める。
効果はすぐに現れた。蒼血たちが粘液の中を泳いできて足首をつかむが、八人が一塊になっているためにビクともしない。蒼血を引きずって、そのままのペースで歩いていく。他の隊員が蒼血を踏みつけた。慌てて逃げようとするが遅い。隊員の一人が抱きついている腕を片方だけ解いて、片手だけでミニミを器用に操り、銃口をその蒼血に向けた。長い銃身を粘液の中にまで差しこんで、蒼血に押し付けて発射。くぐもった銃声が連続して弾け、噴水のように粘液がほとばしる。真っ赤だ。ついに手傷を負わせることができた。
そのまま廊下を前進する。粘液で作られた透明な壁は、もうすぐそこだ。透明な壁の中に潜む蒼血たちが銃撃を浴びせてくるが、みなシルバーメイルの装甲が防いでいる。
「ひるむな! このまま突破するぞ!」
サキの言葉に、隊員達はいっそう足取りを力強くする。
蒼血が作戦を変えてきた。今度泳いできた蒼血たちは足をつかまなかった。数体がいっせいに空中に跳躍し、隊員が背負っているリボルビング・グレネード・ランチャーに飛びついて、奪い取ろうとする。ライフルの火力では倒せないなら、当然の行動だ。
その動きを隊員たちは読んでいた。スクラムを組む八人が、まるで一つの生き物のようにスムーズに動く。
ある隊員が蒼血の首根っこをつかんで空中にぶら下げ、別の隊員が両足をつかんで動きを奪う。
さらに別の隊員がミニミを蒼血の口に押し込んでトリガーを引く。
仲間が撃たれても撃たれても恐れず飛び掛ってくる蒼血たち。
連携プレイで撃退を続ける。
ついに一体の蒼血がランチャーの奪取に成功した。
粘液の上を転げながら発射。スクラムを組んだままの隊員たちには避けようがない。肩に命中して爆裂し装甲板を破砕した。その隊員は苦悶の声を上げた。装甲には大穴が開いて、中の肉も抉られて骨が露出していた。
それでも他の隊員が支える。倒れない。顔面を激痛で冷や汗まみれにして、それでも彼は仲間とともに歩みを進める。
蒼血は二発目のグレネードを放とうとした。だが寸前に別の隊員がミニミを乱射してランチャーを破壊する。蒼血は慌てて粘液の中に逃げ込んだ。また、他の蒼血と一緒になって空中を襲い掛かってくる。倒されても倒されても、こちらの重火器を奪うことを諦めない。
もう一度ランチャーを奪われて、一人の隊員を撃たれた。重傷を負うが、倒れずについてくる。倒れてスクラムから離れたら最期だからだ。
「あと少しだ!」
サキが叫ぶ。
「おう!」
威勢よく応えて、隊員達は進む。ついに粘液の壁に突入した。
全身が粘液に包まれるため動きが鈍くなったその時を、蒼血たちは見逃さなかった。粘液の抵抗を感じさせない高速で襲い掛かってくる。鋭い爪を顔面に叩き込んでくるものがいた。隊員の振り回して腕をつかんで、逆にへし折ろうとする蒼血がいた。次々に隊員が倒れていく。フェイスシールドを割られ、粘液で溺れて苦しみ悶える。
着実に進んできたはずだ。もう列の頭は粘液から出ていいはずだ。だが出ない。
隊員の移動にあわせて、粘液も動いているのだ。
列の先頭に立って蒼血と格闘していたサキが、通信回線を通じて叫んだのはその時だ。
「撃て! この穴を撃て! 全力でだ!」
叫びながら、片足で床を何度も踏みつけている。隊員達の注意が集中した。足で踏みつけているその場所に、ピンポン玉ほどの小さな穴が開いている。
隊員達は即座に動いた。粘液内では弾丸の勢いは極度に減衰する、よほど近寄らないと敵は倒せない。固く組んでいたスクラムを解体して、隊員達はバラバラになって穴に近寄る。蒼血たちはここぞとばかりに隊員に斬りつけ、組み付いて倒す。倒されても傷ついても隊員達は進んだ。穴のまわりに群がってミニミを、リボルビング・グレネードランチャーを撃ちこむ。
水中爆発の衝撃は、空気中の比ではない。防音機能の限界をはるかに超えた巨大な重低音が隊員達の耳をつんざいた。分厚い装甲でよろわれた隊員たちが軽々と浮き上がる。
爆発で床の破片が飛び散って広がる。蒼く、燐光を発する破片も散らばった。サキが命令するまでもなく隊員達は動く。全員が肩の紫外線照射装置を展開し、四方から紫外線を叩きつけた。
粘液の塊が悶えた。渦巻き、揺れに揺れた。それでも隊員たちは照射をやめない。すると崩れていく。粘液はもう粘性と固さを失って、ただの濁った水になった重力のままに流れ落ちる。
隊員達は解放された。蒼血達も体を支えるものを失って、まとめて尻餅をついた。
「やはり、粘液自体が蒼血か! こういう能力のやつは初めてだな!」
サキが言葉を漏らした。感情を押さえた平板な声だが、わずかに喜びがにじんでいる。
隊員達は揃って銃器を構えなおした。
「さあ、お前らはもう丸裸だ!」
蒼血たちが一斉に飛び掛ってきた。だが隊員達の射撃が的確に撃ち抜いていく。ミニミのライフル弾が牽制し、動きが鈍くなったところをグレネードで仕留める。多目的対戦車榴弾が超高熱のジェットを噴出して腹を食い破り、頭をも叩き割る。鱗や外骨格で覆われた屍が転がっていく。
廊下を端まで掃討しつくし、客室を一つ一つ占領していく。こちらでも多少の抵抗はあったが、十分もすれば全ての敵を倒すことができた。
敵の排除を確認して、一個小隊十六名がまた廊下に集まる。
「楽勝じゃありませんか! フェイズ5の本拠地がこんなにモロいなんて!」
隊員の一人が明るく笑うのを、サキがとがめる。
「あまり楽観するな。たまたま私が敵の本体を叩けた、運のせいもある。ゾルダルートたち親玉が出てこないのも気になるしな」
言いながらサキは、ベストの胸に取り付けられた無線機のスイッチを入れた。
「こちら44小隊、影山准尉です。十一階の占拠を完了しました。蒼血は完全に殲滅。昏倒状態の教団員を二十五人発見。なお、重傷者が三名発生しました。自力で退避させます。
次の指示……なんですって!? 今、なんて言った?」
「隊長、どうしたんですか?」
隊員が不審げに問う。サキは大きくかぶりを振って、
「……それがな……ただちに戦闘を中断しろと。これ以上前進するな、防衛戦闘のみ許可すると」
隊員たちがざわつく。
「どういうことですか?」
「私が知りたいさ!」
サキが叫んだその瞬間、廊下の床に、壁に、天井に……あらゆる場所に何百という「眼」が生まれた。突き破って向こう側から現れたのだ。
すべての壁や床が振動し、岩を擦り合わせるような重低音を浴びせてきた。
『知りたいならば
教えてあげましょう
あなたがたが どれほど 愚かなのかを。
わが名は ヤークフィース。
神なき国の、神』
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