ブラッドファイト 『蒼血殲滅機関』戦闘録
ますだじゅん
第1話「プロローグ ある日、姉が猫を食べて」
2002年12月 地方都市
敬介が中学校からアパートに帰ったら、姉が部屋のコタツで黒猫を貪り食っていた。
痩せた体をカーディガンとジーンズに包んだ姉は、コタツの上に置いた黒猫の腹を裂き、ピンクの腸を引きずり出して口に運んでいた。
両親のかわりに敬介を支えてくれた細い手が血まみれだった。
二十五歳の割に幼く見えるふっくらした顔の下半分も、血に濡れていた。
飛び散った血が眼鏡を汚していた。
腸を噛みきる音が、美味そうに勢いよく嚥下する音が響いた。
一瞬、何が起こっているのか分からなくて、敬介は硬直した。
姉――愛美(まなみ)がゆっくりと顔を上げた。すでに窓の外は暗い。切れかけた蛍光灯の白い光に照らされて、うっとりと微笑を浮かべていることがわかった。レンズの向こうの瞳は涙に潤んでいた。目の焦点が合っていなかった。
「ねえ……さん?」
震える声が、敬介の口から漏れた。
混乱して、どんな言葉を喋ればいいのか判らない。それでも、「病気」という言葉が頭の中にひらめいた。テレビで認知症の話をやっていた。排泄物を食べてしまう人の話だ。専門的なことは知らないけど、猫を食べてしまう症状だってきっとどこかにあるはずだ。きっと姉さんは心の病気なんだ。あれだけ働けば病気になることも……
「おかえり……なさい。けい、すけ……」
愛美の口から漏れた声は、途切れ途切れで平板なものだった。ますます、病気だと確信する。
靴を脱いで、玄関に上がる。学校のカバンを置いて、深呼吸して話しかける。
「ねえさん……ね、おちついて?」
どう言えば病院に行ってくれるだろう? 風邪を引いたとき、姉さんは無理やりにでも仕事にいった。こんな程度で休んだらみんなに悪いって。本当は熱が三十八度もあって、でも仕事を失いたくないから行ってたんだ。……家族を支えているのが自分の稼ぎだからだ。父さん母さんが亡くなって五年、姉は自分の趣味や贅沢を全て捨てて、保護者の務めを全力で果たしてきた。弱音や愚痴を吐いたことは一度もない。そのかわりよく謝った。他の家みたいにゲームを買ってあげられなくてごめんね。他の家と違って貧乏で、ごめんね。こんな狭いアパートしか住ませてあげられなくて、ごめんね……
滅私。それが姉の人生だった。
……ぼくは。なにがなんでも姉さんを助ける。治す。そう思った。
愛美は、猫の屍骸を指さした。赤い手で。
「すこし……まってね……けいすけ。わたし……これ……たべないと」
黒猫の顔を両手で押さえた。細い人差し指を二つの目にめり込ませていく。ぷちりと小さな音がして眼球が砕ける。頭蓋骨の深くに左右の指を突き入れた。親指と人差し指で眼窩をつかんだ。力を入れているらしく、猫の頭部がコタツの上で転がる。
「あは……われないや……。ねこ、ずがいこつ、がんじょうだね。これじゃ、たべられない。やわらかそうなのに、なかみ、とってもやわらかそうなのに」
眼窩から指を引き抜き、薄紅色のクリームがこびりついている指を舐め始めた。
敬介はコタツの上に両手を突いて、愛美と視線を合わせて、早口で呼びかけた。
「あのさ……それ、猫だよね。姉さんがよく餌をあげてた、猫だよね。食べ物じゃないよね!? 姉さん、自分が何をやってるかわかる? 普通じゃないよ、少しくらい休んでも大丈夫だから、病院に行って……」
「でも……」
愛美はぼんやりした目つきのまま、顎に手を当てて小首をかしげた。そんな仕草は以前と何も変わっていなかった。
「でも……えいよう、とらないと。ちが、たりないから。いきたものを、たべないと。こども、こども、こどもを、つくるために。いきたものを、たべたいから……」
何を言っているんだ!?
説得が通じる状態じゃないのか。苦い絶望が胸の中に広がっていく。
「わたし、びょうきじゃ、ないよ。ただ、おなかが。おなかがすいて。ああ……」
そこで、目を見開く。敬介をじっと見つめた。うるんでいた大きな目から、涙があふれ出す。
「……ここに、あったね。もっと、おおきな、にく。おおきな、えいよう」
ふらりと、立ち上がる。
飛びかかってきた。
抱きつかれた。そのまま倒れた。頭が固いものに当たった。流しの角だろう。流しに背中を預ける形でずるずると倒れた。背中に回された姉の腕がすさまじい力で抱きしめてくる。肋骨がきしむ音が聞こえた。視界いっぱいに姉の顔が見えた。ボロボロと涙をこぼしながら愛美は笑っていた。口から吐き出される濃厚な血の臭いを感じた。愛美の頭の後ろでゴムがほどけて、長い黒髪が広がった。
「ねえっ……やめ……」
腕を突いて起き上がろうとした。できない。姉の腕はあまりに強く、敬介の上半身を押さえ込んでいる。足で姉の体を押しのけようとした。できない。愛美の腹に膝を当てて力を込めて押し上げても、体は冷たく、固く、まるで鉄塊のように動かない。
「けい……すけ。おいしそう。ちが、たくさん、ながれてそう」
愛美が口を開いた。歯がことごとく血塗られていた。人間はこんなに大きく口を開けるだろうか、というくらいに開いた。首筋に、一直線に噛み付いてきた。
反射的に首を振って逃れた。しかし激痛が耳ではじけた。視界には愛美の黒い頭。見えないが、耳を噛まれた事は判った。耳というのはこんなに敏感で、痛いものか。何千もの焼けた針が突き刺されたかのようだ。熱い涙が溢れて、視界が滲んだ。ただ頭の中は痛い痛い痛い。
ごりっ、ごりっ。軟骨を噛み砕く音。美味そうに喉を鳴らして飲む込む音。そのたびに痛みが倍加していく。
もう動けない。
「ああっ……ああ……」
うめきを漏らすことしかできない。
「けい……すけ。おいしい。こうきゅうな、そーせーじみたい。
でも。
たりない……やっぱり、もっと、おおきな、ほかほかの、おにく」
喉に、血でヌルヌルと滑る何かの感触。愛美が首に手をかけてきたのだ。きつく、きつく締められた。
「あっ……あっ……うええっ」
蛙のような声であえいだ。息ができない。自分の心臓が凄まじい音で跳ねる。ありったけの力を込めてもがいた。だが愛美の腕は揺るぎなく敬介の体を抱え込んでいる。
「ねえ。けいすけ……」
愛美の片言がどこか遠くの方で聞こえた。目を大きく見開いた。涙でゆがんだ視界の中で姉が笑っていた。ぼやけているはずなのに、笑っていることだけははっきりわかった。姉がこんなにも激しく愉悦の表情を浮かべるとことを見たことがなかった。
確信した。
ぼくは。ねえさんに。殺されて食べられる。
視界がますます白くぼやけた。意識が薄れていく。
その時だ。
ガラスの割れる激しい音がした。
視界が紫の閃光で塗り潰され、凄まじい重低音が鼓膜に突き刺さって腹の底まで掻き回した。体がフワリと浮いた。誰かが自分の体を持ち上げて運んでいるようだった。手足をバタつかせたが、空しく空中を引っ掻くだけだ。悲鳴を上げたつもりだが、聞こえない。喉が震えただけだ。
どれだけ時間がたったのだろう。ようやく視力が戻り始めた。ゴシュウ、ゴシュウという奇妙な音も聞こえた。掃除機の音を何倍にも大きくしたような。
焼けるように痛い目を開けると、ぼんやり室内が見えた。
息を呑んだ。
すぐ目の前に「装甲人間」がいて、倒れた姉を踏みつけていた。姉に銃を向けていた。
全身を、鈍く銀色の光る装甲に隙間なく包んでいるのだ。頭にもフルフェイスヘルメットを被っている。ヘルメットのフェイスシールドはうっすらと黒く、その中にゴーグルまで装着して、顔はよく判らない。巨大な箱を背負っている。第一印象は、アニメで見た戦闘ロボットのようですらあった。アニメのロボットと違うのは、たくさんポケットのついたベストを装甲服の上に着込んでいる点だ。
装甲人間の銃は銀色で、先端にノズルのある奇妙な銃だった。銃からは真っ白い煙の奔流が吹き出して姉に叩きつけられていた。愛美は眼鏡のなくなった顔を手で押さえ、ひっきりなしに大きく咳き込んでいた。口元からヨダレが溢れだし、手足を激しく痙攣させて暴れていた。髪もセーターも、小麦粉をかぶったように真っ白だ。
「ぐふぉ、ごほっ……うえっ……ごほっ……!」
この咳き込みよう、催涙ガスか何かだろうか? しかし敬介のところにも煙は漂ってきているが、何も感じないのだ。
そのとき初めて、「自分はどうなっている?」と思った。首をめぐらせて、心臓が凍りついた。
玄関のドアが壊されていた。後ろにもう一体、装甲人間がいた。
後ろのほうの装甲人間は、敬介の身体を軽々と持ち上げ、横抱きにして玄関のほうに後退した。
「目が覚めたか? 動くんじゃない」
自分を抱いている装甲人間が声を発した。機械で増幅された声。女の声だった。
「はなして……!」
「動くと危険だ、すぐに片付くから待っていろ」
そのとき、愛美に煙を浴びせていた装甲人間が声を発した。こちらは野太い男の声だ。
「こりゃフェイズ1ですね」
自分を抱えている装甲人間が答える。
「ああ、『スケイル』も使えないとは。早く見つけられて良かったよ」
「これなら、ノンリーサルで対処できます」
装甲人間たちの喋りには緊迫感がまるで感じられない。当たり前の日常の業務、という印象だ。
「ぐええ……っ」
涙を流して暴れながら、愛美はもがき、装甲人間の足の下から逃れようとする。
装甲人間はすかさず顎を蹴りあげた。
「あっ!」
敬介は叫んだ。「姉がかわいそう!」という気持が、恐怖を混乱を上回ったのだ。
「やめてっ! ねえさんを! いじめないで!!」
装甲人間は銃口をそらさない。
「おねがいっ! おねがいっ!」
背後の女が、冷たい、落ち着いた声で答えた。
「……虐めてるんじゃない。助けているんだ。お姉さんの中にいる化け物を、追い出す」
「本当!? 姉さんは助かるのっ!?」
「助かるさ。その為に我々は来たのだ」
そのとき男の装甲人間が緊迫した声を上げる。
「隊長! ヤツが変異します!」
敬介は見た。
真っ白い粉を全身に被り、髪を振り乱して起き上がる愛美の姿。
立ち上がる愛美の姿が凄まじい早さで変貌していく。
顔に、首筋に、何千という黒い水疱が生まれて覆い尽くす。
すぐに水疱ではないと気づいた。鱗だ。大きさも形も違う不ぞろいの鱗だ。
同時に体が膨張する。内側から巨大な力で押し広げられるかのように。
鱗の下の肉が脈動し、膨れ上がる。マネキンのようにほっそりしていた腕が二倍の太さになる。胸板が厚くなってゆく。カーディガンが膨らんで破れ、その下のシャツ、Tシャツ、ブラジャーがいっぺんに破れて千切れ飛んだ。露になった体のすべてを、醜い鱗がビッチリと覆っていた。スレンダーだったはずの愛美は、格闘漫画に登場する筋肉ダルマキャラのような体型に変貌していた。脚も膨張し、履き古したジーンズや下着も破れ落ちる。
敬介は息をするのも忘れて見つめていた。どうしようもなくグロテスクな姿だった。
一瞬で変貌を終えた愛美は、丸太のような腕を振り上げた。
自分を抱き上げている女、隊長と呼ばれた女が、鋭く冷たい声を発する。
「対象、『スケイル』『ストレングス』使用。フェイズ2への移行を確認。リーサル装備の使用を許可」
「了解。装備をリーサルに変更」
装甲人間が流れるような動作で動いた。煙を噴出する銃を背中の箱に突っ込んだ。箱の上部分が開いて銃を収納する。
「ウェポン2、イジェクト!」
同時に箱から黒光りする銃が勢いよく突き出してきた。
いままで使っていた、オモチャじみた銃とは違う。
銃身は細長く、カバーがついている。引き金の前には細長い箱型の弾倉がついている。ショルダーストックはプラスチック製だ。
装甲人間は銃をつかんでストックを伸ばし、構えた。
この銃を知っていた。テレビでやっていたアクション映画で見たことがある。M4カービンだ。M16ライフルを改良した銃で、やや射程が短いが、近距離では高い命中精度を誇る。
撃ち殺す気だ。
「やめっ」
敬介は隊長の腕に抱き抱えられたまま叫ぶ。もがく。
銃が火を噴く事はなかった。
次の瞬間、愛美の膨れ上がった肩がぼきん! と大きな音を立てて外れた。手首が内側に曲がる。ばきっ。枯れ枝を踏み潰したような乾いた音。骨が折れる音だ。そしてビチッ、ビチッ、輪ゴムがまとめて千切れるような音。体育の教師から聞いたことがある。アキレス腱が断裂するときはそんな音がするのだと。
ばきん、肩が外れ。びちっ、体のあちこちで筋肉が切れて、骨が外れる。
「オッ……オオオオッ」
愛美は口を開き、うめいた。目をむいて体を痙攣させ、その場に膝をついた。そうしている間にも体の各所から破壊の音が聞こえてくる。
何が起こっているのか直感的に理解できた。
膨張しすぎた筋肉がコントロール不能になって、自らの体を破壊しているのだ。
愛美の体が急激にしぼみ始めた。風船が弾けて縮むような勢いだ。同時に体の表面から鱗が剥がれ落ちる。すさまじい早さで、何千という鱗が床に落ちていく。腕、腹、背中。すべて。
鱗の下から現れたのは、肉だ。蛍光灯の光を浴びてピンクに光る、筋肉組織そのものだ。理科実験室に置いてあった人体模型そのままに、筋肉はたくさんの筋を束ねたものだった。あちこちで筋肉が裂けて血が滲んでいた。姉の顔面の鱗が数百枚まとめて落ちた。顔の肉はたくさんの筋が縦横に走っていた。真ん中に白い鼻の骨が突きだしていた。体から透明な汁が滴った。
敬介は理解した。ああ。読んだことがある。鱗というのは皮膚が変化したものなんだ。だから鱗が剥がれたら肉が剥き出しになるのは当然だ。
「 ぐっ、ぐえっ。ぐええっ」
愛美は床の上をのたうちまわる。顎を一杯に開いて口からよだれを垂らして。剥き出しの肉が床で擦れて潰れて透明な汁を出す。
「やっぱりな。あれだけ銀を食らってマトモに移行できるわけがない」
装甲服の男が冷たい声を発する。
愛美はついに仰向けに転がった状態で動きを止めた。もう暴れる力も残っていないのか。
「げえええっー!」
怪鳥じみた叫びをあげて、口を大きく開けた。バゴン、と乾いた音がして顎が外れる。筋肉の筋だらけの顔面の中でやけに目立つ眼球を剥き出しにした。目玉がでんぐりがえった。
「ぐぼう」
吐いた。顔を横に向ける力もないらしく、真上を向いたまま噴水のように吐き出した。
噴き出すのは、グチャグチャに噛み砕かれた白い骨、太い麺のような猫の臓物。
そして一緒に、青い、半透明な粘液が出てきた。
コップ一杯ほどの青い粘液。
ゴボリという音とともに飛び出した青い液体は、波打ち、触手をのばした。
ただの液体ではない。生き物だ。巨大なアメーバだ。
敬介は、心臓を握りしめられたような衝撃を覚えた。肌が粟立ち、震えが止まらない。
この数分、身の毛もよだつ物を矢継ぎ早に見たのに。
――なによりもこのアメーバが恐ろしくて仕方がない。
こいつは敵だ、けっして相容れない敵だと本能が警告していた。
アメーバは姉の顔と首筋を滑り降り、床の上に降りた。
「 『蒼血』を確認。照射!」
隊長が鋭く叫ぶ。
男の装甲服の肩部分から、何かが勢いよく飛び出した。
四角い箱だ。ズラリとレンズが並んでいる。大きな懐中電灯をいくつも縦に並べたような。
カメラのフラッシュにも似ていると思った。
想像は裏切られなかった。次の瞬間、レンズが目も眩むほどの紫の光を放つ。
回復したばかりの目にまた痛みが走った。目を半分だけ閉じた。
眩しい紫の光を四方から叩きつけられ、アメーバが悶える。波打ち、泡立ち、煙を吹いて、見る見る蒸発していく。跡形もなくなった。
「『蒼血』消滅を確認。武装解除」
隊長の一言で、装甲服の男はM4カービンを背中の箱に収納する。
「これでもう安心だ」
隊長が、敬介を床に下ろした。
すぐに愛美に駆け寄る。
全身の皮膚を剥がれ、薄紅色の肉汁を撒き散らして仰向けに転がっている。
顔は目玉と歯だけが白い。目を覚ます気配もないが、胸が上下しているのに気づいて、はぁっ、とため息が漏れた。全身から力が抜け、その場にへなへな崩れた。
生きてる。ねえさん、まだ生きてる。
「ねえさんを! ねえさんをたすけてっ!」
だが、果たして治せるのだろうか。もはや怪我人というレベルではない。いつだったかテレビで見た、東南アジアの市場で吊るされている『羽根をむしった鶏』のようなのに。
「治せるとも。いいや、必ず治す。われわれ殲滅機関が、必ず!」
その語気の強さに驚いて振り向いた。隊長の顔がすぐそばにあって敬介を見下ろしていた。ゴーグルで顔の上半分を隠しているが、口元だけでも表情はわかった。引き締まった、緊張と決意の表情。
「せんめつ、きかん?」
オウム返しに尋ねる敬介。隊長はうなずいた。
「邪悪な寄生生物『蒼血』を殲滅する。寄生された人間を救う。それが我々だ。アメリカ軍内部の秘密機関。対『蒼血』組織の中で最大の物、『蒼血殲滅機関』」
寄生生物!
そう聞いた瞬間、ようやくすべてが理解できた。あの青いアメーバこそが元凶だったのだ。姉の体を乗っ取って操り、化け物に変えたのだ。
凄まじい嫌悪と怒りが込み上げてきた。よくもよくも姉さんを。体が激しく震えた。もうアメーバは倒されたのだと分かっていても、怒りは消えなかった。
男のほうが声を掛けてきた。
「隊長、心肺に異常ありません。ショック症状だけです。治療難度はBマイナスです」
「よかったな、確実に命は助かる。記憶操作は手こずりそうだが……」
「記憶操作?」
「当然だろう。『蒼血』のことは一般人に知られてはならない。きみの姉さんも記憶を消され、マスコミに関しても情報操作が行われるだろう。たとえば、変質者に拉致されたとか。人間の皮を剥ぐ、とびきりの変態だな」
「……ぼくの記憶も消されるんだよね?」
「もちろんだ。こんな不愉快な記憶なんて棄てて、我々のバックアップのもと新しい生活を……」
「それじゃいやだっ!」
叫んだ。力が抜けていたはずなのに一瞬で弾かれるようにして立ち上がった。
隊長に顔を近付けて、一気に捲し立てた。
「それじゃいやなんだっ! 何もかも忘れて、姉さんを、こんなにしたヤツのことも忘れて、平和に! いやだっ! まだいるんでしょ!? こいつらの仲間、まだいるんでしょっ!?」
一瞬の沈黙を置いて隊長が答える。
「いるとも。日本国内だけで千は下らない。全世界で十万か二十万……。いまこの瞬間にも仲間を増やしている。かつては地球を支配していた化け物どもだ、そう簡単には滅ぼせない」
「だったらっ! ぼくにもやらせてよ! こいつらをやっつけさせてよ! 仲間にしてよ!」
「おい、ぼうず……。バカなことは考えるな、死ぬぜ?」
男が当惑の声を上げる。隊長はしゃがみ込んで敬介と目線を合わせた。
そして、自分のヘルメットに手を当てる。プシュッ……空気の抜ける音がして、ヘルメットが外れた。
ゴーグルも外した。
露になった隊長の顔は、ベリーショートの黒髪で、軍人というイメージからは意外なほど白い肌で……タキシードでも着て舞台に上がったらよく似合うだろう端正な顔立ちで……予想していたより、遥かに若い。二十代にしか見えない。薄い笑みを浮かべていた。
「わたしは殲滅機関日本支部、作戦局員。影山サキ軍曹だ。彼はリー伍長。わたしの片腕だ」
隊長は名乗って、敬介の顔を覗き込んできた。目と目がしっかりと合った。彼女の黒い瞳がひどく深い。心の奥底まで見透かされそうだ。格好つけても無駄だぞ? と瞳で問いかけていた。
拳をきつく握りしめて、見つめ返した。
……この気持ちは、ホンモノだから。
隊長がフッ、と軽いため息をついた。
「……いい目をしているな」
「隊長まさか! 情報局になんて言われるか!」
「いいじゃないか。私は欲しいんだ。断固たる意志、強烈なモチベーションを持った隊員が」
「じゃあ、仲間にしてくれるのっ!?」
部下が、ハア、と大袈裟にため息をついた。装甲で着膨れした体で、器用に肩まですくめる。
「そりゃ感情移入する気持ちは分かりますがね。同じような境遇だし」
隊長は小さくうなずいて、敬介をじっと見つめたまま問いかけてきた。
「だが、『殲滅機関』の戦闘局員は楽な仕事じゃない。命を落とす者も多い。今回のような弱い相手ばかりではない。フェイズ3や4の『蒼血』は車より速く走り、片手を振るっただけで首を斬り飛ばす。……怖くはないのだな?」
すうっ、と隊長の目が細められた。
一瞬、この数分で起こったことを思い返した。猫を食っていた姉。怪物と化した姉。乱入してきた装甲服の男達。ウロコが剥がれ落ちた姉の無残な姿。そして「蒼血」。人体に巣食うアメーバ。
……確かに怖かった。汗が噴きだして心臓が跳ねた。
「……怖いです……でも!」
拳をぎゅっと握りしめ、隊長に向かって突き出した。
「……それ以上に! 奴らをやっつけたい! 許せない」
「そうか。それでいい。健全で正直だ。『怖くない』と言い張るようなら、適性はないと判断していた」
「隊長、そろそろ切り上げましょう。周囲の封鎖にも限度があります」
「わかった。ぼうずの事は上に話を通しておく。もし選抜と訓練課程を通過できたら、また会おう」
そう言って隊長は、装甲で覆われた手を差し出してきた。
敬介は彼女の手を握った。
冷たい金属の感触を想像していたが、滑り止めだろうか、小さなゴムの突起がたくさん掌に食い込んできた。きつい握手だ。ギリギリと手が締め付けられて指がきしむ。
それでも我慢して、握り返した。
「ぼうず、じゃない。敬介。天野敬介、十四歳です」
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