第15話「執行を待つ敬介」

 二〇〇八年 二月三日 殲滅機関地下七階独房

 

 それから一ヶ月たったある日、敬介は地下深くの独房で、マットレスの上に寝転がって廊下を眺めていた。

 カビくさい空気にもすっかり慣れてしまって、もう何も感じない。

 独房の、廊下に面している側は床から天井まで一つながりの鉄格子になっている。廊下の天井にはカメラがセットされ室内を二十四時間体制で見張っている。持ち物はすべて取り上げられ、使い古しのスエットの上下だけを与えられ、何もできることはない。

 ただひたすら、自分を見おろすカメラを睨み続け、来る日も来る日も考える。

 何か手はあるはずだ……何か……

 足音が近づいてきた。鼓動が早まった。跳ね起きて、マットの上に胡坐をかく。

 ……なんだ? メシか?

 昼食はとくに嬉しくない。いざというときに体力がなければと思っていても食欲がわかず、今朝だってパンとミルクにしか手をつけなかったのだ。

 ……メシではないなら!

 死刑決定は覆っていない。まだ執行されていないだけなのだ。

 今日が執行の日ということだって十分に考えられる。

 自分の鼓動の音がいやに大きく聞こえた。

 二人組の憲兵が現れる。独房の前で立ち止まった。

「天野敬介。訴えの結果が出たぞ」

 二人組のうち年かさのほうが言う。胸ポケットから出した書類を胸の前で広げ、読み上げる。

「検討の結果、今回の訴えには妥当性がなく、軍法会議の開廷は不要と判断した。よって却下する。法務局」

「くそっ!」

 思わず悪態をついた。拳がきしむほどに握りしめた。

 死刑執行ではなかった。だが、軍法会議開廷要求が却下された。これで四回目だ。

「どうする? また提出するかね?」

「……やめておく」

 無駄だ。自分なりに頭をひねって、寝ずに考えて査問の無効性を訴えた。もう一度正式な裁判をやるべきだと書いた。だが、やはり根拠がないのだ。

 誰かが……俺の責任ではないと証言でもしてくれないかぎり。

 若い方の憲兵が嘲りも露わに吐き捨てた。

「それがいい。無駄さ。お前のような奴には紙一枚をくれてやるのも惜しいしな」

「おい、感情的になるな」

 年かさのほうはそう言うが、口元には苦笑がある。本気でとがめているわけではない。

 誰もが敬介のことを蔑みと怒りの目で見ていた。最低の隊員、死んで当然だと。 

 その上、独房に足音が近づいてくるたびに「まさか、今日か!?」と心臓がすくみ上がる。

 こんな生活を一ヶ月。さすがにこたえる。

 憲兵ふたりの足音が去っていく。

 再びマットレスに転がった。

 いっそのこと脱走しようか。

 今まで何度となく考えた。

 だが、どうやって?

 具体的な計画になると、いつも詰まってしまうのだ。

 いま自分がいる牢は地下七階、基地の一番底だ。数え切れないくらいの人の目をかいくぐらないと地上には出られない。

 憲兵を倒すなり、鉄格子を壊すなりして部屋から出るだけならできるかもしれない。

 だが廊下に監視カメラがあるからすぐ発見される。基地には憲兵、戦闘局員、情報局員など全部合わせて二千人もいる。しかもこちらは丸腰。たちまち追い詰められる。しかも基地内には、正規局員の指紋と網膜パターンがなければ開かないドアが各所にある。エレベータもそうだ。とっくに登録を取り消されている俺には、エレベータを動かすことができない。

 格納庫まで行ってシルバーメイルを奪い、力ずくでドアを壊して出るのは?

 ダメだ。まさに格納庫こそもっとも厳重に管理されている部屋だからだ。

 誰かを人質にとって……

 無駄だ。蒼血が人間を人質にとる例など珍しくない。殲滅機関の戦歴を見ればそんな脅迫に屈したことなど一度もないと分かる。俺がやっても同じだろう。人質救出の経験は豊富だし、仮に救出できないならためらいなく人質ごと俺を撃ち殺すだろう。

 誰か、できるだけ偉い奴を殺して、そいつの死体を使えば指紋や網膜パターンのチェックをクリアーできないだろうか? 

 そんなことまで考えた。

 だが、どうやって一人で、誰にも知られずに殺す……?

 そこまで考えて、ハッとなった。胃袋が痛みを発しながら縮む。

 俺は……もう機関への忠誠心なんてないんだな。とんでもないことを。

 そこまでして脱出して、それで何ができるって言うんだ。機関にとって最大級の裏切り者となり、地上に出ても逃げ回るだけの毎日。姉を助けることも、失敗を償うこともできない。

 こんな最悪の手しかないって言うんなら、いっそ俺はおとなしく死刑になるべきなのか。

 それが、機関への最大の貢献なのか。

 分からない。

 理屈の上では確かにその通りだ。

 だが凛々子の笑顔が脳裏に浮かぶ。

 自分の足元にすがりつく姉の悲痛な叫びが耳から離れない。

 俺がこのまま死刑になったら、姉さんは教団に取り込まれたままだ。会うこともできず、俺が何故いなくなったのか姉さんが知ることもできない。そもそも、いま姉さんがどうしているのかすら分からない!

 凛々子にも……それでいいのだろうか。

 俺は凛々子の戦いを無駄にしてしまった。

 ここで死刑になるだけで、その償いをしたことになるのか。

 ますます胃袋が締め付けられる。すっぱい胃液が喉のほうにまで逆流してきた。

 くそっ。負けてたまるか……

 廊下から室内を睨むカメラを、ますます気迫をこめて睨み返す。

 と、そのとき。

 また足音があった。先程より乱れている。急いでいる。

 尋常ではない出来事があったということか。

 まさか、執行?

 また跳ね起きて、鉄格子にしがみついて立ち上がる。

 もし執行なら、俺は……

 ここで一瞬の隙をついて武器を奪い、たとえ万に一つの勝機しかなくても……脱走するか!?

 握りしめた鉄格子が冷たく、ヌルヌルと滑って気持ちが悪い。違う、自分が手のひらに汗をかいているのだ。

 やるか、と覚悟を決めたその瞬間、先ほどの憲兵ふたりが姿を現した。

「天野敬介。面会だ」

 

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