第10話「戦闘準備」

 一時間後 殲滅機関 格納庫内


 敬介はシルバーメイルを装着し、ヘルメットとゴーグルだけは着けていない状態で、格納庫内の大型ヘリコプターに乗り込んだ。

 CH47チヌーク。米軍や自衛隊で活躍している輸送ヘリだ。

 機内は幅二メートルに長さ九メートル、電車を半分に切ったほどの広さだ。赤い非常灯で薄暗く照らされ、剥き出しのアルミ材の上に簡素な座席が並べられている。シルバーメイル装着済みの作戦部隊員が着席している。座席は機体の側面を向いて設置され、座っている隊員の数は十五名。本来チヌークは完全武装の兵士三十人を運べるが、シルバーメイルの重量を考えて人数を減らしているのだ。

 一人だけ立っている者がいる。同じくシルバーメイルを装着した長身の女性。影山サキ曹長だ。

 機内に入るなり背筋を伸ばして、左手にヘルメットを抱えたまま右手で敬礼をする。

「天野伍長、遅れました」

 座っている隊員のひとり、黒い髪で糸のように細い眼のリー軍曹が、にやにや笑いを顔に貼り付けて声を掛けてきた。

「よぉ。天野。カノジョとのデートはどうだったい?」

 隊員たちが数人いっぺんにクスクス笑いを立てる。「あのカタブツがデートに誘われて頭のてっぺんから湯気出してたぜ」とでも尾ひれがついているのだろう。

 今の敬介には軽口につきあってやるつもりはなかった。いつもは女・エロの話題を振られるたびに恥ずかしがりつつも怒ってきたが、いまは恥ずかしいという気持ちも沸いてこない。

 お前黙れよ、ガタガタいうな、という毒々しい怒りがこみ上げてきた。上官相手にそんな言葉をぶつけることはできないので、押し殺した低い声で、目を逸らして答えた。

「特にどうということはありませんでした」

「ひでえ顔だな……うまくいかなかったのか? まあ、お前だもんなあ」

 リー軍曹の口調はまだ軽い。これからどうなるかだいたいパターンが読めていた。女がらみの話の次は下ネタにつなげるのだ。出撃前の下品なジョークはいつものことだ。下卑た冗談を振られたらどう対応すればいいのか。イライラが高まっていく。普段なら愛想笑いを浮かべられるからかいに、もう耐えられない。

「そんなことはどうだっていいでしょう!」

 無礼と知りつつも言葉を叩きつけてしまった。リー軍曹が目を見開き、機内の空気が凍りつく。

 無言で、空いている座席に座った。

「すいません遅くなりましたっ、エルメセリオン、氷上凛々子ですっ」

 明るい女の声がして、扉から凛々子が駆け込んできた。

 彼女は初めて見る服装をしていた。首筋からつま先までを包む、真珠色に滑らかに輝くタイツ状の服。敬介たちがシルバーメイルの下に着ているインナースーツの仲間だろうか。タイツが体のラインをはっきりと浮かび上がらせている。細く伸びやかな太股。ほとんど膨らんでいない未成熟な腰。掌で包み込んでしまえそうな、ごくささやかな胸のふくらみ。

 彼女も片腕でフルフェイスヘルメットを抱えていた。 

 凛々子と目が合った。

「あっ……」

 凛々子は大きな目をますます大きくして、すぐにばつの悪そうな表情で目をそらす。

「な、なんでキミが同じ機にいるのさ?」

「それは俺の台詞だ。指示された通りの機に乗っただけだよ。どうやら同じ小隊らしいな。まったく災難だよ」

 サキがけげんな表情で問いかけてくる。

「どうした? 何かあったのか? ケンカか?」

「なんでもありません、隊長」

「はい、ボクもまったく平常です。戦闘に支障ありません」

「そうは見えんが。氷上伍長、もし天野伍長と不和があるなら、この場で申し出てくれ。天野を降ろす」

「なっ」

 敬介は驚きと悔しさにうめいた。なぜ凛々子ではなく俺が一方的に切り捨てられるのか。よけいな波風を立てたのはアイツの方なのに。

 頭では分かっている。一介の作戦局員と、一騎当千のフェイズ5では戦術的な価値が桁違いだ。優遇されるのは当然と言える。

 分かっているのだが、どうしても心の中に暗い気持ちが沸き起こる。

 凛々子がサキ隊長に頭を下げる。

「気遣いありがとうございます。でもボクは全く平気です。

 あ、そうだ、エルメセリオンの方の挨拶がまだでしたね」

 凛々子は全身を包むスーツの手袋部分を外した。露出した小さな掌を、機内の隊員たちに見せる。

 掌に口がパクリと開いた。小さな口からは想像もできない、落ち着いた渋い声が流れ出す。

「みなさん、はじめてお目にかかります。フェイズ5の一体、エルメセリオンです。普段の肉体操作は凛々子に任せておりますが、彼女が睡眠などで脳を休ませているときは私がかわりに動かします。以後よろしく」

「ああ。よろしく頼む。

 では現場に向かいながらブリーフィングを行う。ランプドア閉鎖」

 機体の尻にある大きな扉が、上下に閉じる。

「離陸開始する。総員、大音響下通話体勢」

 隊員たちは抱えていたヘルメットからイヤホンと喉頭マイクを取り出して身に付ける。

 とたんに貨物室の壁の向こうから甲高い爆音が押し寄せてきた。金属を切断するときの音を数百倍に強めたような、イヤホンを着けても鼓膜を痛めつけてくる凄まじい音だ。ジェット機のエンジン音によく似ている。ターボシャフトエンジンが二基、全開で咆哮しているのだ。マイクとイヤホンを通さないと会話などできない。

 突き上げられるような衝撃。荒っぽく離陸した。

 サキ隊長がノートパソコンを持って立ち上がって、一同の前に立った。パソコンを広げて皆に画面を見せる。

「一時間ほど前、記録によると1310時、東京都江東区の東京ビッグサイトで、暴動が発生した」

 サキ隊長の声と共に、ノートパソコンに画像が表示される。

 きわめて大きな部屋の中を、上から見下ろした動画だった。全体に画像が粗く、人の顔などはわからない。

 コンクリート製の柱が一定間隔で立っている。長い机が並べてられて列が作られ、机の列の上には本のようなものがたくさん置かれている。そして列と列の間の通路には、何千とも知れない人々が行き交っている。行き交う人々はたまに足を止めて、机の列の人々から本を受け取っていた。

 よく見ると何ヵ所かに行列が出来あがっているようだ。きわめて活気に満ちた市場の光景だ。

 と、会場の一点、行列の出来上がっている場所で混乱が生じていた。

 なにやら殴りあいが始まったのだ。殴られた側も反撃し、とばっちりを食った者も乱闘に加わる。たちまち画面内の何十人がすべて殴りあい掴みあうようになった。パイプ椅子が宙を舞い、机が薙ぎ倒される。

 画像が切り替わった。同じ会場内の別の地点の映像だ。本を売り買いしていた人々は最初は逃げ出そうとしたが、すぐに四方八方から殴り倒され、暴力の渦に飲み込まれた。

 何度もカメラの場所が変わる。だがどこでも乱闘が繰り広げられていた。

「いったいこれは何だ?」

 リー軍曹のいぶかしげな声。

「なにが理由でこんな暴動が?」

 サキが張り詰めた声で答える。

「さっぱり分からないのだ。重要なのはこの先だ」

 パソコン画面内の動画に変化が生じていた。殴りあっていた人々が動きを止め、そろって何かを見上げていた。

 その何かが画面内に入ってくる。長い黒髪、黒コートの女。その女が、宙を歩いてくる。人々の頭上を歩いてくる。

 やがて人々は静まり返った。女は群衆の中に飛び降り、人々に次々とキスをする。

 ここで音声が入った。大勢の声が混じりあって聞き取りづらいが、人々は口々に叫んでいる。

「俺も、俺も治してください!」

「彼女も治して!」

「ありがとう! ありがとうございます!」

 黒い女にキスされた人間は大喜びのようだ。

 敬介は息をのんだ。

 これは自分がエルメセリオンに受けた治療そのものではないか。

「まさかこれは、隊長!」

「そのまさかだ、天野。謎の女は、暴動で傷ついた人々をキスひとつで次々に治していった。そして……」

 隊長がパソコンを操作する。画面が変わった。ふたたび宙を歩く黒衣の女。彼女は両腕を広げた。

 もう群衆は叫んでいない。その女の澄んだ声だけが聞こえた。

「私は嵩宮繭。神の使いです。

 この地上に、神の王国を建設するために来ました!」

 繭と名乗った女は、群衆の頭上を歩きながら演説を続ける。人間の心の弱さと、神の王国の素晴らしさについて語る。

 やがて群衆が腕を振り上げ、拳を高く掲げて、口々に叫ぶ。

「わたしも王国に参加します! 俺も入れてください!」

 そして画像が消える。

「こうして謎の女は、瞬く間に大量の信奉者を手に入れた。どう思う、氷上くん?」

 凛々子がすぐに答えた。緊張した声だ。

「これ、フェイズ5ですよ。恐らく、ヤークフィース」

「やはりか」

「はい。奴が神を名乗ることはよくあります。空に浮かぶのは奴がよく使う手ですよ。目に見えない糸を使ってるだけなんですが……楽園建設という目標を掲げることもよくあります。ただしヤークフィースだけではありません。

 さきほどキスで怪我人を治しましたよね?

 あれは『ファンタズマ』という能力の応用で、相手の体の中に寄生体を送り込んで肉体を再構成するんですけど。寄生体が向こうに入ってる間、もとの宿主の方は蒼血がいなくなってるわけですから、人間の意識を取り戻してしまいます。そうなっていないということは、つまり体の中に複数の蒼血が寄生しています」

「複数寄生か。可能だという話は聞いていたが」

 サキ隊長が腕組みして顔をしかめる。

「身体の中で支配権がぶつかり合うから、よほどチームワークを訓練しないと難しいんです。ヤークフィース以外にどんな奴が入っているのか気になります。ヤークフィースの眷属には有力なフェイズ4が大勢いたはずなんですよ。他のフェイズ5かもしれないし。

 ヤークフィースが得意なのは人身掌握と陰謀で、きったはったは得意じゃありません。フェイズ5の中では弱いほうです。でも『黄金剣』アストラッハや、『魔軍の統率者』ゾルダルートがいたら……」

「現在、会場はどんな状態ですか?」

 リー軍曹が尋ねる。彼も声が引き締まり、緊張をうかがわせる。

「警察を動かして、ビッグサイトのほかの会場から客を退去。いまの会場は完全に閉鎖させている。表向きは、暴力事件の加害者を逃亡させないため、ということにしてある。実際にはもちろん、キスされた人々を外に出さないためだ。いまのところおとなしくしている」

 蒼血にキスされたものは、そのとき蒼血の断片を体内に送り込まれた可能性がある。いつ怪物となって暴れだすかわからない彼らを、まさか街中に解き放つわけにもいかない。

「我々の作戦は?」

 サキ隊長がうなずき、

「チヌーク八機、八個小隊を投入する。まずシルバースモーク弾と昏睡性ガス弾を会場に打ち込む。蒼血なら苦しんで暴れる。人間なら眠る。これで選別できる。その後、氷上を突入させてあの女を倒す。われわれ通常の部隊は二手に分かれる。入り口を固めて脱出を阻止する部隊、氷上を支援する部隊。氷上があの女を倒した場合、残存蒼血を掃討する」

 ノートパソコンに会場の見取り図が映し出された。

 あの会場はビッグサイト東展示場の1・2・3ホールというらしい。左側には三つの入り口があって屋外に通じ、右側にもまた三つの入り口があって別の展示場につながっている。その地図の上に部隊番号つきの矢印が重ねられ、部隊の動きが示されている。

 敬介は情景を頭の中に描いてみた。八個中隊といえば百二十八名。これだけの部隊が投入される作戦は確かに珍しいが、六つの入り口があること、会場の広さを考えればむしろ少ないのではないか?

 気になったので片手を挙げた。

「隊長。装備はリーサルで?」

「可能な限りノンリーサルで。会場には一万五千人いるそうだからな、巻き添えをゼロにはできないにせよ減らしたい。リーサル使用時には私の許可を得てくれ。もちろん氷上は別だ」

 みなの視線が凛々子に集まった。

「あの、隊長」

 凛々子が尋ねる。

「なんだ?」 

「相手の戦力に間する情報が少なすぎます。相手はヤークフィース以外に誰が何体いるのか、はっきりさせてから攻撃したほうがいいと思うんです。たとえば会場の外にも別働隊がいたらボクたちは挟撃される」

「調べ上げるだけの時間がない。いまは連中は一ヶ所に固まっているからいい。だが、もし繭という女が会場から脱出しろと命令したら? 警察などで抑えきれるわけがない。蒼血は悠々と一般社会に紛れ込んでいくぞ。そうなったら摘発するのは大仕事だ。今しかない。一ヶ所に集まっている今しか。目撃者の問題もある。蒼血の力を見たものが会場に集まっているなら記憶操作もできる。だが社会に散らばったら苦労は百倍だ」

 凛々子は繭をハの字にして、口元に手を当てて首をひねる。

「そうでしょうか。ボクにはこれがヤークフィースの罠に思えるんです。あいつほどの大物が、たくさんの目撃者を出して、現場から逃げもせず、さあこいと待ち構えている。どう考えてもボクたちを誘っているんです。ボクたちを返り討ちにできる自信があるんですよ」

「そうかもしれない。だがこれは作戦局と情報局の上が決めたことなんだ。現場の判断では覆せないよ。ベストを尽くすだけだ」

「組織って、メンドクサイですね」

「いまさら気付いたのか?」

 そう言ってサキは笑顔を作った。

 その時両耳のイヤホンに英語の通信が飛び込んできた。

「各中隊へ。現場到着まで五分。装備を整えよ」

 サキも凛々子も、全員が表情を引き締める。

 立ち上がって、壁面のウェポンラックから装備品を外す。背中の兵装パックに突っ込んでゆく。敬介達はミニミ・ライト・マシンガンとグレネードランチャーのフル装備。凛々子はM4カービンだけを手に取った。スーツで全身を包んだ状態ではマッスルガンを使用できないため、銃で火力を補うのだ。

 すべての装備を整え、ヘルメットにゴーグルをつけて再び着席したとき、敬介は奇妙に落ち着いている自分に気付いた。

 つい先程まで心の中に渦巻いていた鬱屈した想いが消えている。電車の中でも凛々子と喧嘩したことも、姉の本当の幸せを考えていないと言われたことも、凛々子に謝った方がいいだろうかという迷いも。サキ隊長の忠告までもが。

 ミニミのグリップを握りしめる。圧力センサーを通じて固い感触が指先に返ってくる。

なれ親しんだ感触だ。

 ……やはり俺はこれが一番だ。

 ……隊長には悪いが、俺もやはり機械でいい。

 ……難しい人間関係がない、敵を倒すだけのシンプルな世界に居続けたい。

 自分にそう言い聞かせた。

 最後に凛々子が、壁のウェポンラックから一振りの剣をとった。

 日本刀のようだが幅広で、凛々子の体とくらべるとずいぶん長大に見える。抜刀し、ひゅん、と軽く振る。刀身が非常灯の赤い光を反射して妖しく輝いた。

「頼んだとおりだ! ご用意ありがとうございます」

 凛々子も剣を手にするや、まったく迷いのない表情になっていた。

「すごく重いですが、なんでできてるんですか?」

「カーボンとタングステン合金の複合材だよ。タングステンだけでは柔軟性に欠けるからな。表面がキラキラしてるのは純銀でコーティングしてあるからだ。技術局から聞いた話では、君の最大筋力で斬りつければM60戦車の正面装甲を貫通できるとか」

「へえ……楽しみだなあ」

「試し斬りでもするか? これが切れるか? 柔らかいものは難しいそうだが」

 そういってサキが、ベストのポケットからメモ用紙を取り出し、一枚だけ切って空中に投げた。

「やっ!」

 凛々子が即座に、刃を空中で走らせる。

 舞い落ちるメモ用紙を刃がとらえたかに見えたが、メモ用紙はそのままの形で落ちていく。

「なんだ、大したことないじゃ……」

 サキの声が止まった。

 床に落ちたメモ用紙が、すっと二枚になった。形も大きさもそのままで、二枚に。

 厚さだけが半分になって、向こうが透けて見えるほどになっている。

 縦に切ったのだ。

 ヒュウ、とリー軍曹が口笛を吹いた。

「ボクはベストを尽くしますよ?」

 凛々子は自慢げに笑って、刀を鞘に納めた。

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