第38話「決着」

 その十分ほど前


 教団本部ビルの各所で、作戦部隊が一斉に行動をはじめた。

 何百人の兵士が、床や天井に広がるヤークフィースの目玉に、銃撃を浴びせる。

 目玉が飛び散る。即座に他の目玉が壁の中に逃げ込んだ。なおも壁に銃撃を叩きこんで穴だらけにすると、ドアを突き破って爬虫類姿や昆虫姿の眷属たちが飛び込んでくる。怒りの声をあげて襲い掛かってくる。通信回線にヤークフィースの声が轟く。

『なんのつもりですか! 裏切りましたね!』

 各小隊の隊長は眷属と抗戦しながらも、「撃ってから反応が起こるまでの時間」を記録し、作戦本部に送信した。


 殲滅機関作戦本部


「十一階、北西ブロックより連絡。銃撃より反応までコンマ六秒。眷属の襲撃まで八秒」

「十五階、南西ブロックより連絡。銃撃より反応まで……」

 作戦司令室では、大勢のオペレータが通信内容を読み上げ、手元のキーボードを操作して、大型モニターに表示されたビル立体図に、数字を書き込んでいく。

 数字が揃ったところで、別のオペレータがプログラムを走らせ、ヤークフィース本体の位置を推測する。

「もっとも可能性が高いのは十二階のこの部屋です。その次がこの部屋、第三候補はこの部屋です」

「わかった。総力をもって攻撃しろ」


 数分後

 十二階


 ホテル時代に客室だった部屋に、長い黒髪の美少女がいた。

 人間の姿に戻った、ヤークフィースだ。

 リビングルームで豪奢なソファに深く腰を下ろしている。漆黒の法衣をまとった両腕には透明なチューブが突き刺さり、チューブはリビングの中央に置かれた、一抱えもある機械に繋がっていた。体内の銀を除去する透析装置だ。

 恐ろしいほどに整った顔に、しかし焦りの色があった。

 ゾルダルートからの連絡がない。宿主を変えたばかりのエルメセリオンなど、たやすく蹴散らして当然だと言うのに。

 そして人間たちは、戦闘中止命令を無視して先ほどから猛然と攻撃をかけている。

 正確にヤークフィースのいる場所めざして進撃を続けている。奴らは三百名以上の大戦力を投入しているらしい。チヌークの数から逆算すると、全戦力の八割だ。ビルの外で狙撃態勢をとって待ち構えている数十名をのぞき、すべての力を結集しているのだ。

 蒼血たちは必死の防戦を行っているが、一階また一階と突破されている。最大の戦力を持つ「魔軍」が出払っているせいだ。

 こうなったら。ゾルダルートとの約束を無視して、動画を公開するか?

 そうも思ったが、ゾルダルートに臍を曲げられてはかなわない。動画を公開すれば、人間と蒼血は全面戦争に突入する。ゾルダルートと「魔軍」なくしては生き残れない。

 では自分だけでも逃げるか?

 しかし、人間達の行動はどうみても罠ではないか。自分がこの場所から逃げられることを、まさか気付いていないはずがない。にも関わらず、すべての戦力を集中させてくる。

 罠だ。私をこの場所から逃がして、どこかに誘導する気なのだ。

 動くまい。

 と、暗がりのなかで決めた、その瞬間。

 ドアが開いて、昆虫姿の蒼血、爬虫類姿の蒼血が転がり込んできた。体のあちこちに銃創があり、おびただしい血を流している。

「ヤークフィース様! 装置を使わせてください」

「私も、私も装置を……!」

 彼らの膝は震え、声も苦痛にかすれている。ライフル弾の傷ごとき、たちまち回復するのが蒼血であるのに。

 ヤークフィースは嘆息すると、装置から伸びるチューブを手渡した。

「お使いなさい」

 これも苦戦の理由の一つだ。人間達は膨大な量のシルバースモークを投入している。もはやビル内の空気は蒼血にとって猛毒に等しい。ならば息を止めて戦い、酸素は敵の死体から奪うか。この装置で銀を抜きながら戦うしかない。いずれにせよ戦術的な自由度を大きく奪われる。戦力を十分に集中できない。

 ……酸素さえあれば。

 このビルに持ち込んだ数十本の酸素ボンベ。あれを持ってくることができれば。肺に圧縮酸素を押し込んで、呼吸せずの長時間戦闘が可能だ。

 七階にボンベがまだ残っていたはずだ。

 これこそが罠ではないか、という危惧と、酸素を手に入れない限り打破できない、という焦燥が心の中でぶつかり合う。白くたおやかな指で拳をつくり顎に当て、眉間にしわを寄せる。

「銀を、銀を受けました!」

 悲鳴と血しぶきをあげて、また一人の蒼血が飛び込んできた。

 ヤークフィースの心は決まった。

「仕方がありませんね」

 手首のチューブを抜き、立ち上がる。

「ヤークフィース様、どちらへ?」

「酸素を取りに行きます。お前達は防戦に努めなさい。この装置を防衛することを最優先に。不可能な場合は、可能な限りの人間達を道連れにして自爆なさい。逃げることを考えてはなりません。

 『神なき国の神』『魔軍の統率者』ある限り、我らの勝利は揺らぎません」

「仰せのままに!」

 ヤークフィースは服を脱ぎ、豊満でありながら引き締まった美しい裸身を闇の中に晒す。裸身が歪み、細長く伸びながら捩れていく。

 蛇のように体を変形させ、天井を突き破って消えた。

 

 ヤークフィースは壁の中、天井裏のパイプスペースや通気口を通り抜け、すぐに七階に到達した。

 目標は、七階廊下の端にある喫煙スペースだ。プラスチックの透明な板に囲まれた椅子とテーブル。このテーブルの中には空気清浄機とともに酸素ボンベが隠してある。

 細長い体を天井から出し、飛び降りる。空中で肉体を変形させ、美少女の姿を取り戻して着地する。ドアを開けて喫煙スペースの中に入ろうとした。

 その瞬間。

 喫煙スペースの近くに倒れていた二人の人間……純白の信徒服を着た男女が、一斉に体を起こす。隠していたM4カービンを撃った。

 ヤークフィースは自分に向かって浴びせられた銃弾をとっさに払いのけた。だがもう片方が撃ったほうはヤークフィースではなくテーブルに吸い込まれた。

 テーブルの中のボンベに。

 噴き出した酸素と銃弾の熱が、炎を生んだ。

 明るいオレンジの炎が絨毯に広がり、プラスチックの壁を溶かしてさらに膨れ上がる。

 酸素はたちまち消費しつくされてしまうだろう。

「……きさまっ!」

 普段の丁寧語をかなぐり捨てて喚き、ヤークフィースは男の方へ突進した。銃を蹴り上げて吹き飛ばし、片手で首根っこを掴んで持ち上げる。背後から連射が浴びせられたが無視する。男の首筋に噛みつき、頚動脈を食いちぎる。

 ……酸素が駄目ならば、酸素のたっぷり含まれた血液を奪っていくまで。一滴残らず奪いミイラにしてやりましょう。

 あふれ出す血液を啜り、牙を通じて体内に取り込んだ瞬間、激痛が弾けて怒りを挫いた。

 吸い込んだ血が、まるで硫酸のように血管を、内臓を灼く。蒼血細胞が何十億という単位でまとめて死滅する。あらゆる筋肉が反乱を起こし、高圧電流でも浴びたように手足が痙攣する。

「あ……がっ!?」

 これはまさか、銀!

 この男、血液の中に何らかの手段で銀を流し込んだ!

「そうさ!」

 男は糸のように細い眼に執念の光をきらめかせて叫んだ。

 正気の沙汰ではない。大量の銀は人間にとっても有害ではないか。

 血を吸われることを予期し、自らを罠と化して待っていたというのか。

「おのれっ……」

 男がヤークフィースの裸の背に腕を回して、抱きすくめてくる。ヤークフィースは力ずくで振りほどこうとした。骨が軋み、男の顔面に冷や汗が浮き、腕が緩む。いかに大量の銀を受けたとはいえ、生身の人間と力比べで負けることはない。

 だが女のほうが、何かの機械を手にしてヤークフィースに突進してきた。

 視界の片隅で見た。女が持っている機械は、細長く、パイプやスプリングで構成され、先端には銀色の太く禍々しいスパイクが生えている。

 それがシルバーメイルの近接格闘武器シュトルムボックだと理解した時には、もう女は体ごとぶつかってきていた。

「インパクト!」

 裂帛の気合のこもった一声とともに、火薬カートリッジの炸裂音。肋骨を避けるように背中の下の部分に、銀皮膜でコーティングされたタングステン合金の杭がぶち込まれた。男の体もろともヤークフィースを串刺し。

 ――縫い付けられた。

 電流は流れない。電装系に接続されていないからだろう。だが銀の杭は、ただそれだけで内臓を焼く。力がますます奪い取られていく。杭を抜く力が出せない。

「リー軍曹! 行けぇっ!」

 女が苦しげな声を張り上げる。苦しげなのは負傷したからだろう。生身の腕で反動に耐えられるはずがない。間違いなく腕がへし折れている。

「はいっ!」

 リーと呼ばれた男は叫び返すと、ヤークフィースを抱きかかえて窓に向けて走る。

「離しなさいッ!」

 ヤークフィースは頭突きを浴びせた。男の鼻に直撃。鼻骨が粉々に砕ける感触。衝撃は頭蓋骨全体に伝わったはずだ。陥没した鼻から生ぬるい血が噴出。耳からも目からも血が溢れ出す。

 それでも男は止まらない。そのままガラスに体当たりして、突き破って落ちた。

「まさか……!」

 何なのだ、一体こいつらは。

 自分の腕を潰してまで、仲間ごと敵を串刺しにする女。

 いかなる負傷にも耐え、七階からダイブする男。

 人間は。人間とは。もっと弱く、哀れで、騙されて現実から目をそむけるばかりの生き物ではなかったのか。

「きさまは……?」

 風切り音の中、ヤークフィースはリー軍曹の顔を覗き込む。

 顔面を血まみれにしたリー軍曹は凄惨に微笑んだ。

「ヤツが命懸けなんだ。負けるわけにいかねえだろ、俺も……!」

 直後に、二人は大地に叩きつけられた。リー軍曹が下になる。

 軍曹の骨盤が破砕される音がヤークフィースに伝わってくる。手足が奇妙な方向に捻じ曲がる。二人の体がバウンドして止まる。

 軍曹は声もなく白目をむいて気絶した。即死はしていないが、助かる確率は低いだろう。

 ヤークフィースは立ち上がり、ぜいぜいと苦しみながら、自分の体から杭を抜く。

 だが、その時にはもう囲まれていた。シルバーメイルを装着した隊員たちに。

 全員が一斉に銃を向けてくる。巨大な連装式対空機関砲。こいつらは火力支援チームだ。自分がここに降ってくる事を分かっていたのだ。

「くっ……」

 舌打ちする。

 あれを使うしかない。周囲の人間すべて……低フェイズの蒼血までふくめて無差別に巻き込むため、今まで使わずにいたが。

 肺と声帯を変形させチューニング。唇から、特殊な暗示の込められた極低周波の歌声がほとばしる。シルバーメイルの防音機構さえも突破できる最大の音量で歌った。

 人間には聞こえない歌。だが無意識を鷲掴みにして、絶対の恐怖で震え上がらせるはず。

 ……さあ怯えなさい、泣き喚きなさい。

 ……これが神の力なのです。

 だが隊員たちは銃を下ろさない。

「なぜ……?」

「聞いてるんだよ! お前の声のことは! エルメセリオンからな!」

「お前の暗示を打ち消させるように、念入りに精神をいじられてるんだ!」

 馬鹿な! たった3ヶ月で対応策を編み出したというのか!

 万策尽きたヤークフィースは隊員たちに襲い掛かった。もはや変身する力もなく、全裸の美少女の姿のままで。

 二人を殴り殺し、一人を蹴り殺し、奪った機関砲でさらに一人を殺した。

 だがそれが限界だった。

 Gsh-23の大口径徹甲弾で手足を打ち砕かれ、グレネードランチャーの多目的榴弾で腹を食い破られ、とどめに顔面へとカール・グスタフ無反動砲を叩き込まれた。超高熱の金属噴流が頭蓋骨も脳髄もまとめて吹き飛ばす。四方に飛び散った黒焦げの肉片に、隊員たちは念入りに紫外線サーチライトを照射していく。

 「神なき国の神」はここに討たれ、二度と蘇ることはなかった。

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