第16話「突破口」

 五分後 面会室


 面会室へ通された。トイレの個室を少し大きくした程度の狭い部屋だった。

「入れ」

 促されて敬介が個室に入る。憲兵もそのまま後ろについてきて、部屋の入り口のところで立っていた。背中にはりついている状態だ。ドアを閉めもしない。

 背もたれもない、床に固定された小さな椅子に腰掛ける。

 小さな穴のたくさん開いたプラスチックの遮蔽版をはさんで、向こう側の部屋にサキ隊長とリー軍曹が座っていた。向こう側の部屋も狭いので、肩がぶつかり合っていた。

 なぜ、リー軍曹が? 俺とは顔を合わせたくないはずなのに。

 意外に思ってリー軍曹の顔を見る。目が合うと、リー軍曹は薄い唇を憎々しげに歪め、毒づいた。

「……意外に元気そうだな。面の皮の厚さだけは大したもんだ。真っ黒な隈を作って震えている姿を見たかったんだが」

「よせ、リー軍曹。裁きをちゃんと受けている人間を、これ以上貶めるな」

 リーの細い目に怒気がきらめく。

「……隊長は、なぜかこいつに甘いですよね……」

 敬介はハッと気付いて、遮蔽版に身を乗り出して訊ねた。

「隊長! 隊長のほうの査問はどうなったんですか?」

「私か? 処分は受けずに済んだよ。本当に幸運だった。……天野、何か困ったことはないか? 牢の中で足りないものとか」

「足りないものというより……知りたいです。いま世の中がどうなっているのか。あの蒼血たちの教団がどうなったのか」

 独房の中でも、申し出れば新聞を読むことはできた。だが教団のことは一行も書かれていなかった。たった数行、「東京ビッグサイトで参加者同士がケンカになって、その混乱に乗じてテロを行ったものがいた」と書かれてる。テロの犯行声明を出した過激団体もあるそうだが、もちろんこんな団体は実在しないだろう。蒼血事件で死傷者が出るたびに、架空の犯罪者やテロ組織をでっちあげて情報を流す。昔から殲滅機関が行っていることだ。

 教団のことが一言もないかわりに、新聞は野党の大物政治家の汚職疑惑と、芸能人の破廉恥事件、多摩の工事現場で発見された白骨死体、などのニュースで埋め尽くされていた。きっとこれらも情報局が「作った」事件なのだろう。大量の事件を作り出して民衆の関心を誘導するのだ。

「知りたいだろうな。それにお姉さんのことも、だろう?」

 サキ隊長は控えめな笑みを浮かべてうなずく。

「え? あ、はい」

「そうだろうと思って面会に来たんだ。

 まず現状から言うと、教団はこの一ヶ月で凄まじい急成長を遂げて、三十万人とも五十万人とも言われる信者を誇っている。しかも、この信者達の活動は実に活発なんだ。ここに来るとき、相模原や町田の駅前を通ったんだが……すごいな、大勢がビラをまいて、道往く人に片っ端から声をかけて勧誘している」

「警察は捕まえないんですか?」

「逮捕する根拠が乏しい。末端の警察は蒼血のことなんて知らないからな。何人か、勧誘のときのトラブルで捕まった奴がいる。もちろんその程度じゃ活動をやめるはずがない。都心のほうじゃもっと激しく活動しているらしい」

「でも隊長。情報操作ができるなら、教団が犯罪やテロをたくらんでいるという風に仕立て上げれば……」

 サキは眉をひそめる。

「それで警察が強制捜査に入って、どうなると思う? 皆殺しにされるんじゃないか?」

「そう……ですね」

 一皮むけば蒼血の集団だ。普通の警察では対処できない。

「で、肝心の殲滅機関の活動のほうなんだが……これも首尾がよろしくないんだ。教団は今、池袋の駅前のでかいビルに本部を作ってるからな……あれだけ人通りの多いところでは、作戦部隊の行動は制約される。強行突入なんて論外だ。二十四時間体制で監視して、幹部が出てきたら狙撃する、あたりが限度だよ」

「突入しても、ちょっとやそっとの戦力では勝てませんからね……」

 呟く敬介の脳裏に、紫の針に覆われた巨獣の姿が蘇る。

 多数の局員が浴びせる機関銃弾も無反動砲も、まったく物ともしなかった。

 しかも、ヤークフィースたちの眷属があれだけだという保証はない。

「より強力な作戦部隊を再編成しないとな。しかし蒼血事件は東京だけで起こっているわけじゃない。全国的に激化してる。つい昨日も北海道で戦ってきた。たった十名で蒼血のコロニーを襲撃する羽目になったんだ。その前は九州、その前は沖縄」

「じゃあ、機関はどういう方針で対処するつもりなんですか?」

「そんな上の考えることなんて、私にはわからないよ。

 そうだな、いいニュースとしては、なんであの紫の怪物が銀に耐えられたのか、その理由がわかった」

「隊長!」

 仏頂面だったリー軍曹が色めきたつ。こんな重大な情報を裏切り者に知らせてなるものか、ということだろう。

「いいじゃないか、死刑になるなら、どこに情報を漏らしようもない。

 ヤークフィースの一党は、医療メーカーに人脈を張り巡らして、特殊な人工透析の機械を作らせていた」

「透析? じゃあ、それで銀を体から取り除いていたんですか?」

「そういうことだ。装置の重量は三十キロ、リュックサック並みの大きさがある。体内に入れたら、とんでもない肥満体型になるな」

「じゃあ合体した状態ならともかく、普通の人間の形をしてるなら、銀は効くはず?」

「その通り。装置の数も十台を超えることは有り得ないそうだ」

 よし、これで攻略の糸口がつかめたんじゃないか?

 などと考えて拳を握りしめ、はたと気付く。

 死刑囚が作戦のことなんて考えて、どうする?

 サキ隊長もそのおかしさに気付いたのか、笑みをうかべてうなずく。

「前向きだな、こんなときも仕事のことか」

「はい……」

「何をどうしようが、お前が隊に復帰することは決してねェよ。無駄なこと考えんな。お前は懺悔しながら死ねばいい。それだけだ!」

 リー軍曹は遮蔽版に顔を近づけ、敬介に憎しみの視線を浴びせながら吐き捨てた。

「そうかもしれんな。私としても、君を助ける術はない。自分のことで手一杯でね。

 最後にこれを見せよう」

 そう言って、サキ隊長は持ってきたリュックからノートパソコンを取り出す。

「これの持ち込み許可は大変だったんだ。だが、私が口で言うより映像の方が手っ取り早いだろう」

 パソコンを操作する。動画プレイヤーが立ち上がった。

 CGで作られたロゴが画面上で踊る。

『情弱乙!』

 画面上に二十歳そこそこにしか見えない若い女性が現れる。スーツを着こんで理知的な顔立ちだ。カメラの方を向いて喋りだした。

『みなさん、情報弱者になってませんか? ホントの情報、見落としてませんか?

 マスコミが伝えないニュースを独自の視点で徹底追跡! 

 ネットニュース 『情弱乙!』の時間です!』

 ニュースにしては変だと思っていたら、背景はカラオケ屋の個室だ。音質もよくない。パソコンとデジタルビデオカメラで、手作り感覚で番組を作っているのだろう。

『第21回、謎の教団・繭の会。みなさんは駅前でビラを配っている不思議な集団を目撃したことはありませんか。家に冊子を持った集団が布教に来たことはありませんか。『繭様』を崇め、『繭様がどんな病気も治してくださる』という彼らこそ、たった一ヶ月で巨大宗教にまで膨れ上がった謎の団体、『繭の会』なのです。

 当ネットニュースでは、マスコミがなぜか無視している教団の正体に迫ります! 教団幹部の特別インタビューも敢行しました』

「あれ? ニュース? マスコミにはすべて圧力を欠けているんでしょう?」

「マスコミは確かにそうだ。だが個人でやっているネットニュースまではね……そして、一度ネットに上げられた動画は完全に消滅させることができない。これを作った女は黙らせたが、もう後の祭りだ。ネット上から削除しても、一度見た奴が再アップする」

 パソコン画面の中では、スーツ姿の女が駅前で教団メンバーにインタビューしていた。

『みなさんは何故、教団の活動をしているのですか?』

 レポーターがマイクを向けると、制服姿の少女が大きくうなずいた。

『お母さんの病気を治してもらったからです。どんな医者も匙を投げていたのに、ただ繭様のキス一つで……』

 胸ポケットから大型のロケットを取り出し、中の写真を見せる。教祖・嵩宮繭の写真だ。長い艶やかな黒髪、人間離れしているほどに整った容姿に、凛とした微笑。写真になっても神々しさが伝わってくる。

 少女のとなりにいる中年女性も両手を合わせ、切々と語りだす。

『私もです。友達に誘われたときは疑う気まんまんで、インチキ宗教だと思っていたんです。でも繭様は、うちの子の足を治してくれたんです。もう一生歩けないって言われていたんですよ!? 学者が何を言おうと、繭様はホンモノなんです。この後の人生を、繭様のために捧げようと決意しました』

『私も繭様が……』

 敬介は固唾を呑んで画面を見守った。

 姉は出ないのか。見当たらない。信者が何十万人もいるなら、姉にスポットライトが当たる確率はわずかだろうが、やはり見たい。

『では、これだけ多くの信徒をひきつける教祖・嵩宮繭の力とは? 奇蹟を起こせるのでしょうか? 教団は実演ビデオを多数発表していますが、やはり内輪で作った映像だけでは信じられません。ぜひこの目で見たい。そう思って、当ニュースは嵩宮繭へのインタビューと、治癒の奇蹟の公開実験を申し出ました。

 残念ながら多忙を理由に断られましたが、かわりに教団幹部の一人・樋山理香子(ひやまりかこ)がインタビューに応じてくれたのです。樋山理香子は教団では広報部長を務め、また『神の力』を持つ『覚醒者』の一人でもあると言われています』

 カクセイシャ? 不思議な単語に敬介は眉をひそめた。

 神の力とやらが蒼血の能力ならば、つまり寄生された人間ということか。

 画面が切り替わる。

 ビル内の応接室で、ソファーに座った妖艶な美女がカメラに向かって微笑む。

 日本人離れした、彫りの深い美貌の女性だ。

 柔らかそうな栗色の髪を長く伸ばし、大きな垂れ眼は潤んで、長い睫毛に縁取られている。冬だというのに肩を露出した派手なドレス。ドレスに押し込められた乳房ははちきれそうだ。年齢は二十代後半くらいだろうか。

 敬介の周辺にはまったく存在しないタイプの、色気に満ち溢れた女だった。敬介は水商売の店に行った経験が一度もないが、なんとなく、そういう世界の……「夜の女」という印象を受けた。あるいは、「女占い師」。色香と甘言で男をたぶらかす占い師にピッタリだ。

『みなさま、はじめまして。わたくしが『繭の会』広報部長、樋山理香子です。繭様に代わり、わたくしが『繭の会』の真理をみなさまにお伝えさせていただきます』

 声もハスキーだ。すこし頭を下げて瞬きをする。

『まず、なぜ人が争いをやめることができないのか。それは人に弱い心が……』

『ああ、すみませんが、教義の話よりも先に見せて欲しいものがあるんです』

 キャスターが口を挟んだ。

『なんでしょう?』

 樋山理香子は小首をかしげ、またパチパチと瞬き。

 キャスターはカメラに向き直り、カメラの視野の下からプラスチックのケージを持ち上げた。ケージの中では何かがゴソゴソと動いている。

 ケージから何かを取り出して、抱きかかえる。

 犬だ。短い毛の、痩せこけたミニチュア・ダックスフンドだ。だが後ろ足二本が切り株のように短くなっている。切断されているのだ。知らない場所と知らない人間に怯えているのか、尻尾を伏せ、大きな黒い目を見開いてあたりをしきりに見回している。

『心無い人間に痛めつけられた犬です。カメラの前で、この犬を治していただきたいのです。教団のPR資料は観させていただきました。樋山さんは嵩宮繭さんと同様に、『癒しの奇蹟』を起こせるそうですね??』

 ……なんだって?

 敬介は耳を疑った。他人のケガを治せるなら、ただの蒼血ではないだろう。フェイズ5じゃないか。いったい十三人のうちの誰だ、この女は。

『ええ。わたくしは『覚醒者』の中でも、他のものより少しだけ神に近づいていますので』

 大きくうなずいて、ためらうことなくダックスフンドに手を差し伸べた。優しく抱きかかえる。

『さあ、よく観てください。もっと近くから撮ってもかまいませんよ』

 言葉に従って、カメラがキャスターから外れ、樋山と呼ばれた女の顔をアップにする。樋山は顔を傾け、犬のとがった口吻に唇を当てる。だが犬は身体をビクつかせて、口を開かない。

「怖くない……怖くありませんよ……」

 静かで優しい声で呼びかけながら、ゴツゴツと骨の目立つ背中を撫でさする。しだいに犬がわずかに口を開ける。

「んっ……」

 はっきりと口と口を合わせた。舌を入れているのがはっきりと見えた。

 犬が目を閉じ、緊張していた身体をだらんと伸ばす。切断されていた犬の足に変化が生じた。ソーセージの端のように短く丸くなっていた足が盛り上がり、長く伸びていく。関節が形成された。たった数秒で後ろ足が生えた。もう傷一つない状態だ。

 その後も数秒間キスをつづけて、ようやく口を離した。犬を持ち上げてカメラに向ける。

 たったいま生えてきたばかりの後ろ足を軽く撫でる。柔毛に覆われた足が軽やかに動いた。犬を床に下ろす。カメラが下がって追いかける。犬が部屋の中を歩きはじめた。その足取りはスムーズで、怪我などまったく感じさせない。

「ごらんのとおりです」

 再び樋山にカメラが戻った。画面の中で彼女は華やかに微笑んだ。

「なるほど……みなさん! これはトリックではありません、CGでもありません! 私はこの動画をCGと特殊撮影の専門家に鑑定してもらうつもりです。よろしいですね?」

「もちろんです、わたくしたちの力は真の奇蹟、トリックの入り込む余地などないのですから」

「なるほど……一体なぜ、あなた方ははこんな力を使うことができるのですか? 普通の人間でも教団に入れば奇蹟を得ることができる、力を使えるようになるというのは本当ですか?」

「ええ。神の力は本来、すべての人に宿っているのです。ただ、それを目覚めさせることができないというだけで……繭様や、わたくしたち覚醒者は自らの力で神の力に目覚めました。

 しかし、自力では目覚めることができない人たちであっても、『繭の会』に加わり、導きと研鑽を受けることで、内なる神の力を手に入れることもできるのです」

 敬介は、膝の上の拳をきつく握りしめた。

 ……神の力を手に入れるって、つまり蒼血を寄生させるってことじゃないか?

「そのための方法は一つではありません。

 繭様は、人それぞれに合った方法で会員を導きます。

 そう、たとえば……あなたが水族館に行ったとしましょう。水族館にはたくさんの生き物達がいます。キャスターさんはクラゲがお好きでしょうか? ゆらゆらして癒されますよね。魚とはまったく違った形ですが、クラゲもまた海の中の環境に適応した姿なのです。やり方は一つではないと……

 ああ、ごめんなさい。女性の方だってクラゲが好きとは限りませんよね。男性のほうがクラゲ好きで、ずっとクラゲを見つめていて、女性はエイの格好よく上昇する姿が好きかも知れません。性別に関わりなく、いいものはいいですよね」

「あ、あ……あ……」

 敬介は口を半開きにして、あえぎながら聞いていた。心臓が凄まじい速度で脈打ち、膝の上で握った拳が震えていた。

「どうした?」

 サキが眉根を寄せる。

「だ、だ、だって……この人! この広報部長は!」

 思わずうわずった声が出る。生唾を飲み込んだ。腰を椅子から浮かして、叫んだ。

「……こいつ凛々子ですよ!!」

 サキは目を丸くした。

「何だと? 確かか?」

「ええ! 確かですよ!」

 話の流れを無視した、唐突な水族館の話題。

『男はクラゲが好きで女はエイの動きが好き』……あの日の思い出そのものだ。

 生きていた。教団の仲間として生き延び……そして俺にそのことを伝えてくれている。

 水族館のクラゲなんて、俺個人を狙ったメッセージ以外の何物でもない!

 サキは動画を止めて、静止画像の樋山広報部長をじっと見つめた。

「ヒヤマリカコか。まあ確かに、ヒカミリリコと似ている。外見は好きに変える事ができるわけだが……名前だけではなんとも」

「違うんです。名前だけじゃないんです。いまの『クラゲが好きな男もいる、エイが好きな女もいる』『いいものはいい』ってのは実体験なんです。俺が凛々子と一緒に、水族館へ行ったときの……こんな偶然が有り得るでしょうか?」

 リー軍曹が細い目に凶悪な光を宿して睨んできた。

「浮かれやがって。こんな時に、デートの思い出か!」

「まて、軍曹。その話は本当なのか? 意図的に、天野個人にメッセージを送っているって言うんだな?」

「はい、おそらく」

「事実なら重大なことだ。エルメセリオンが奴らに加わっているか否か……彼女に埋め込んだ爆弾は、爆発を確認されていない。解除されたらしいんだ。可能性はある。もっと決定的な証拠を探し出せ」

 言われるまでもなく、目を皿のようにして、遮蔽版ギリギリまでパソコン画面に近寄っていた。

「動画、動かしてください」

 樋山理香子の画像が動き出す。相変わらずなハスキーボイスで、『繭の会』の教義を説明し始める。

『繭様は、もっと大きな力をもっております。東京ビッグサイトで起こった事件はご存知ですよね。あの暴動事件……繭様は、人の心があまりに弱いことを』

「……なんかこの人、瞬きの回数が多すぎませんか」

「こういう人間もいるだろう」

「いいえ。変なんです。これが凛々子なら……凛々子は、こういう仕草をしなかったはずなんです。だから、きっと何か意味があって……」

「どんな意味が?」

 気付いた。片目だけ瞬きをしている。それも、数が不均等だ。

「メモ用紙もってますか?」

「ああ」

「この人が登場したシーンまで巻き戻してください。はい、それでいいです。俺が言った通りにメモしてください。右2、左1、右1、左1……」

 目を凝らして、理香子の瞬きを数える。

 しらばくして、サキ隊長が腕時計をチラリと見た。

「もうすぐ面会時間は終わりだ」

「もうすぐ終わります。右1、左3!」

「それで全部か?」

「はい。で、見せてください。やっぱりそうだ。わかりませんか? 右の瞬き回数を五十音の縦の列、左を横の列にすれば……」

 サキはメモ用紙に五十音表を書いた。

「変換できるわけか。

 『に か つ い つ か

 ほ ん ふ い て ん』

 二月五日? 本部移転?」

「明後日ですよ?」

「なるほど、明後日に本部移転が行われたなら、偶然じゃない。確かにこいつは氷上凛々子で、内部情報をリークしている、そう言えるだろう。

 だが、何のために情報を漏らすんだ?」

「決まっています。俺達に便宜を図っているんです。表面上は教団の一味になっても、心まで売り渡したわけじゃない。俺達の作戦のために情報を流しているんです」

 しかめっ面で話を聞いていたリー軍曹が、拳を遮蔽版に叩きつけて怒鳴った。

「信用できるか! 偽情報かも知れねえ! 一回当たっただけなら偶然ってこともある! 適当なことを……」

「そうかもしれません! でも……もっと調べてください、彼女のことを。もっといろいろとメッセージを送ってるはずなんです!」

 リー軍曹を片手で制して、サキが問う。

「分かった。情報局に意見書を提出しておく。

 だが、そんなもの明らかにして、どうする? お前は処刑されるんだぞ?」

 敬介は考え込んだ。三人とも沈黙する。自分の鼓動だけが耳の奥でとどろいていた。狭苦しい面会室の壁が、凄まじい圧迫感をもって迫ってくる。

 怖い。だが、もしかしたら死刑を免れる突破口がここにあるかもしれない。

「明らかになったら……この広報部長が、間違いなく凛々子だと分かったら……俺が、教団に入って彼女にコンタクトします」

「お前である必然は?」

「俺だけが彼女のメッセージに気付けました。だから彼女といちばん強くつながっているのは俺です。彼女だって、俺にしか読み解けないメッセージを送ってきたってことは、俺である必要があるってことだと思います。

 俺が彼女に接触して、反乱を起こすように言います。そのタイミングにあわせて教団を襲撃してください」

「どうやって幹部に近づく? 氷上が反乱を起こせるという根拠は? まともな警戒心があるなら、なんらの手段で反乱防止措置をとるはずだ。我々が氷上の頭に入れた、あの爆弾のようにな」

「近づく方法は……今から考えます。反乱を起こせないって言うんなら……」

 そこで言葉を切る。サキの深い瞳を見つめて、一息に言い切る。

「もし反乱を起こせないんなら、俺があいつを殺します。俺のことを信用しているなら、油断するはず。油断したときに後ろからやります。そうすれば混乱するはず」

「お前にできるか? それだけ心がつながっている女を殺すことが?」

「できます!」

「いいや、できないね。力んで、嘘を勢いで誤魔化そうとしている。わかるさ、長い付き合いだ。

 だが……悪くはない。若干の修正を加えれば、実行できるかもしれない作戦だ。もっと情報があればな。

 意見書と、軍法会議の開廷を要請しておこう。死刑をやめて潜入作戦に投入しろと。

 問題は、弁護人がお前の主張を納得するかだが……」

 敬介は肩を落とした。はあ、とため息をつく。

 たしかにそうだ。弁護人がこの危険な作戦に賭けようと思わない限り、無駄だ。まともな弁護人なら、死刑を回避するのにこんな主張はしないだろう。

「そうがっかりするな。私が弁護しよう」

「しかし、隊長は階級が……」

 そう、軍法会議は士官によって行われるものだ。曹長に過ぎないサキは弁護人になれない。 

 だがサキは薄く微笑むと、自分の勤務服の肩を指さした。

 何だろう、と視線を走らせた敬介。目を丸くした。

 いままでサキの肩には曲がった線が六本縫い付けられていた。「曹長」の階級章だ。

 今は、銀色の細長い四角が縫い付けられている。銀の四角の中には黒い小さな四角。

「准尉……」

 士官学校を出ずに到達できる最高階級だ。

「そうだ。ビッグサイトでの作戦と、その後の教団との戦いで、我々は多数の戦闘局員を失った。だから声を掛けられてね。殲滅機関の軍法では、准尉は弁護人になれると明記されている。ギリギリだがOKだ」

「待ってください!」

 リー軍曹が語気荒く口を挟んできた。サキに顔面を近づけ、押し倒しそうな剣幕だ。

「なんでこんな奴を助けるんですか? イシカワ伍長は、こいつのせいで死んだんです。

 ……俺はあいつの両親に会いました。事故扱いで偽の証拠とか……本当のことをぶちまけたかったです。あいつの両親は一生、嘘を信じ続けて、息子のことを思いながら……くそっ! なぜですか!」

 サキはリー軍曹を至近距離から見つめ返した。恐ろしく乾いた声で、答えた。

「助けるつもりなどない。より大きな利益を生み出したいだけだ。殲滅機関にとっての最大利益を。ミスをした人間を処刑しても、マイナスがゼロになるだけ。プラス1、プラス2まで持って行きたいと思った」

「本当にそれだけですか。隊長は……准尉は! この男に過剰に肩入れしているのではないのですか!?」

「もう一つ理由がある。……死刑にするより、こちらのほうが辛いからだ。生きて戦うことのほうが」

「え?」

 リー軍曹だけでなく、敬介も驚いた。

「どういうことでしょう?」

「まだまだ未熟だな。天野、君はおそらく思うだろう。『いっそ死刑になっていればよかった』」

 そのとき面会室のサキ側の扉が開き、憲兵が姿を見せる。

「面会時間は終わりです。ただちに退出してください」

 時を同じくして、敬介の背後の憲兵が肩を掴んでくる。

「おい! 時間だ」

「ああ、そういうわけだ。……健闘を期待するよ、天野」

 敬介は立ち上がり、背筋を伸ばして敬礼した。

 牢に戻った敬介は、ふうっと息を吐いてマットレスの上に転がった。

 身体がわなないた。笑いが勝手に口から漏れてくる。

「あは……あははっ……」

 嬉しくて仕方ない。もちろん軍法会議の結果が出るまで安心はできない。だが、わずかに希望が見えてきた。

「これでやっと言える……あいつに……」

 自分の口からその言葉が出てきたことに驚く。

 なんで今、凛々子のことをまっさきに口に出してしまったのだろう。

 自分は姉を助けたくて、そのために死刑を免れたかったはずなのに。

 凛々子は、ただ手段に過ぎないはずなのに。

 天井を見つめながら考えたが、いくら考えても答は出なかった。

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