第27話「総攻撃開始」

 二〇〇八年三月六日 二十三時五十分

 東京都千代田区 「繭の会」本部ビル近く


 凛々子の過去を見た後、敬介はなおも迷っていた。

 気がつけば深夜。今日はひとまず帰ろう、と姉に電話を入れる。

 だが、姉は「徹夜で雑誌を作る」というのだ。

 活力にあふれた声で、子供のようにわくわくして言われたら、やめろとは言えない。

「それより、飲み物買ってきて。もう切れちゃったの。ボスブラックを十本」

「え? 俺が? コーヒーは自販機があるだろう」

「うん。でも銘柄が違うの。先生方がね、『俺はボスブラックを摂取しないと脳細胞が活性化しない!』とか……こだわりがあるみたい」

「漫画家ってのは大変だな……わかったよ」

 そう答えてビルを降りて、コンビニで買う。

「ありがとうございましたー。」

 背後でコンビニ店員の眠そうな声がして、自動ドアが閉まる。

 オデンの食欲をそそる匂いがシャットアウトされ、冷たい風が敬介を包む。

 敬介は缶コーヒーの入ったビニール袋を手に提げて、深夜の街を歩く。

 都心の深夜だ。あたりは窓の灯りの消えた高層ビルや、マンションらしき建物が並んでいる。高級中華料理店の大きな赤い看板が、たったいまネオンを消した。

 ゆるやかな坂道が伸びて、その先には首都高速の高架が通っている。

 歩行者の姿はほとんどない。

 道路をゆく車も、たまにタクシーがあるくらいだ。

 だが、そんな静かな光景の中で一棟だけ異彩を放っているのが、並んだビルの向こうに頭を覗かせている教団本部ビルだ。窓はどこもかしこも光を放っている。ビルの屋上には「繭の会」と書かれた巨大な看板がライトアップされて鎮座している。

 携帯が鳴りだした。姉からだ。

「もしもし? 姉さん?」

「敬介おねがい、追加! ドクターペッパーも十本ね! 漫画界の基本を忘れるとは何事だって怒られちゃった」

「どんな基本だよ、それ……ドクター……ペッパー? 聞いたことない。それコンビニにあるの?」

「ないかも。六本木あたりで二十四時間の店まで行かないとダメかも。なかったら仕方ない、先生方をなんとか説得する」

「そんな大げさな話なのか……本当に面倒くさい人達だなあ」

 溜息をつくと、姉は少し憤慨した様子で、

「変人なのは確かだけど、みなさん物凄い実力者なのよ? 少年マンデーの藤原フミカ先生は90年代風ラブコメではベスト3に……」

「わかった、わかった」

 思わず苦笑が漏れてしまう。放っておいたら姉は、集まってくれた漫画家の凄さ、これから作る雑誌の凄さを何時間でも語り続けるだろう。心から楽しげに。

 まさに、嵩宮繭だけが。「繭の会」だけが。

 姉に幸せを、生きる喜びを与えることができたのだ。

 これが壊されるところなど、想像もできない。

「いいよな……いいよな……」

 暗い空にそびえる、墓石のような高層ビルを眺めながら、敬介は呟く。

 自分に言い聞かせるように、何度も。

 殲滅機関を、裏切っても、いいよな。

 まだ決心は固まらない。だが心の中の天秤は、姉のほうに大きく傾いた。

「わかった、コンビニ二、三軒回ってみるよ。それで無かったら諦めてくれ」

「うん。ありが……」

 唐突に、ブツリと通話が切れた。

 同時に、街灯がいっぺんに消えた。マンションの踊り場や廊下には先ほどまで灯りがついていたのに、それも消えている。ヘッドライトの消えたタクシーが、道路をメチャクチャに滑って歩道に乗り上げる。

「姉さん!? 姉さん!?」

 携帯に呼びかける。返事が無い。それどころか携帯の画面が真っ暗になって電源が切れていた。入れなおそうとしても反応しない。

 電子機器の、この壊れ方は見たことがある。強力な電磁パルスを浴びせられたのだ。殲滅機関はこの装置を保有している。

 来た。奴らが来た!

 姉さんを助けにいかないと!

 そう思って跳ね起き、坂道を駆けあがる。

 同時にバラバラという重低音が空から響いてくる。

 見上げた。

 頭上の空に、巨大な灰色の影が十も二十も浮いて、埋め尽くしていた。

 大きさは、ビルと比較して、ざっと二十メートル……大型トレーラーほどはあるだろう。巨大な二つのローターを旋回させながら舞い降りてくる。「チヌーク」輸送ヘリだ。所属部隊を示すマークの類は一切ない。ただグレイに塗装されているだけだ。

 二十機を数えるチヌークは、低空飛行しながら、脇のハッチを開けて何か撃っていた。オレンジの光の尾を引いて、何かがビルの窓に飛び込んでいく。あたりのビルというビルに何かを撃ちこんでいく。爆発しないところを見ると昏睡性ガスか。

 走る敬介を左右から挟むように、二機のチヌークが降下してくる。

 一機のチヌークの側面が開いていた。シルバーメイルに身を包んだ隊員が、長い銃身の銃を持ってチヌークから身を乗り出している。銃の機関部からは弾薬がベルト状に垂れ下がっている。

 あいつの装備はグレネードじゃない。暗がりでもその程度はわかった。ミニミ・ライト・マシンガンか何か……完全な致死性装備だ。

 ななめ下、敬介に銃口を向けた。

 とっさに、路面に飛び込むように伏せて、全身のバネをフル稼働させて転がった。まったく同時に銃声が轟き、体のすぐ脇で路面が炸裂。

 腹に、背中に、鈍い痛み。

 大丈夫だ、砕かれたアスファルトが肉に刺さってるだけだ、直撃されたらこんなもので済むわけがない!

 銃撃は一度では終わらなかった。かろうじて直撃は避けているが、逃げてもかわしても銃撃が追ってくる。

 営業を終えた中華料理店の駐車場、その脇に大きな植え込みがあるのが見えた。

 転がり続けながら植え込みに飛び込んだ。枝が力任せに折られて、折れた部分が顔面をえぐった。鼻の穴に小石や土が飛び込んだ。

 知ったことか、止まるな、一瞬も止まるな、止まったら蜂の巣だ。

 まだ機関銃の銃声は轟いているが、着弾点は植え込みから逸れている。

 少しは隊員の目をごまかせたらしい。この隙に植え込みから駆け出し、駐車場を一気に駆け抜けて、真っ暗になっている中華料理店のガラス戸を蹴り破って店内に飛び込んだ。警報装置は鳴らない。やはり電磁パルスで壊れているのだ。

 店内にはコック服やエプロン姿の店員が恐怖と混乱の表情で立ち尽くしていた。

「あ、あんた一体……?」

「うるさいっ! 死ぬぞ伏せろ!」

 一喝し、自分も窓際に伏せた。伏せながら視界の端で窓の外を見る。

 ヘリがわずか数十メートルの距離に浮いて、店の周りを周回しているようだ。

 しばらくすると、そのヘリは去っていった。店の外から響いてくるローター音が、次々に途絶える。

 着陸している……どこにだ? 教団本部だけか? 周囲の道路や建物も全部押さえる気か?

 まだ一機だけローター音が残っている……距離は百メートルくらいか? 

 自分が伏せているので、見える範囲は空の上のほうだけだ。もっと広い視野が欲しい。

「あ、あ、あのさっ。あんた知ってるか? 一体何があったのか……」

 店員がおびえた声を掛けてくる。振り向きもせず、即座に答えた。

「今それどころじゃない! 鏡を持ってきてくれ。あと長い棒と、テープ。ガムテープでいい」

「え? あ?」

「SWATミラーを作るんだよ! 早く!」

「は、はいっ!」

 敬介の気迫に押されたのか、店員は這いずり、すぐに持ってきてくれた。

 鏡を手のひらサイズに割って、長い塗り箸にテープで固定した。

 その棒を上に持ち上げて、鏡を通して窓の外を見た。

 顔を出したら撃たれる、と判断してのことだ。

 やはり想像通りだった。空を埋め尽くしていた何十機ものヘリは、たった一機だけになっていた。他のヘリは、ひときわ大きなビル……教団本部の屋上に着陸したのが三機ほど。教団本部周辺の駐車場にも何機か着陸していた。道路にも降りている。この中華料理店と教団本部を結ぶ道の、ちょうど真ん中に一機。

 みな尾部のハッチを開き、鈍く輝く装甲服の隊員たちを次々に吐き出している。隊員達は大きな装備を運んでいる。三脚のついた、小型の大砲……? オートマチックグレネードランチャーだ。

 路上に多数のグレネードランチャーを設置し、次々に射撃を開始した。輝く弾道が教団本部ビルへと吸い込まれる。機関銃のように連続射撃が、何百発と続く。だが爆発は起こらない。昏睡ガス弾と、シルバースモークだろうか? ビルの反対側からも同じような炎の弾道が教団本部に襲いかかる。包囲するように布陣したようだ。

 路上に停車していたタクシーから、人影が這いずるように脱出した。殲滅機関の隊員は一瞬の躊躇もなく銃を向け、発砲した。人影はなすすべもなく地面に叩きつけられる。

 本気だ。

 屋外の相手に昏睡ガスは効き目が薄いから、抹殺する気だ。

 今までの、俺が知っている殲滅機関とは違う。

 ローター音が近づいてきた。鏡を、巨大なチヌークの黒い姿が埋め尽くす。

 まだ一機、着陸していないものがいたのだ。

 そのチヌークの側面ハッチからは乗り出していた隊員が、先ほどとは違う武器を構えていた。

 リボルバー式の拳銃をとんでもなく巨大化したような武器。

 これもグレネードランチャーだ。

「お前ら伏せろ!」

 叫びながら、とっさにテーブルの柱にしがみついて、力の限りテーブルを倒した。テーブルを壁の前に立てかける形になる。テーブルと壁の隙間に隠れる。こんなものでグレネードの直撃は防げない。だがせめて破片だけでも防ぐ。威力をわずかでも減らす。

 爆発はなかった。テーブルの裏で衝突音がした。たちまち鼻をつく異臭が立ち込めて、激しい頭痛と眩暈が襲ってきた。

 昏睡ガスでまだ助かった。

 敬介はあたりに散らばるガラスの破片を握り締め、太腿に突き立てた。激痛が弾けて、濁っていた意識が覚醒する。

 ……誰が気絶なんかするか。

 ……姉さんを助ける。絶対にだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る