第34話「俺はこの道を往く」
教団本部ビル内
サキは待っていた。
通路で、壁に無数に浮かび上がるヤークフィースの目玉を睨みつけながら、黙って待っていた。
他にできることはない。
他の隊員達も同じだった。傷ついた何人かの隊員を横たえ、シルバーメイルを脱がせて応急処置をしているが、他には何もできない。せめて傷ついた隊員を後送したい、と本部に連絡したが、「余計な行動はヤークフィースを刺激する」といって許可が下りなかった。
『ずいぶん落ち着いていますね』
壁をふるわせて響くヤークフィースの声。
ふん、と鼻で笑ってサキは答えた。
「いつか死ぬときが来る。それは分かっていた。できるなら政治的取引なんかは抜きで、純粋にやりあった結果として死にたかったが。まあ仕方ない、組織に所属する者の義務だ」
『もう諦めていると?』
「誰が諦めるといった。信じているんだ」
『信じる? そんな行動に何の意味が。まったく人間の愚かさは度し難い。空虚な精神論で破滅を糊塗する癖を、いつまでも捨てられないようですね?』
その時だ。
天井が力ずくで粉砕され、穴から誰かが飛び降りてきた。
人に似ているが、全身を毒々しい緋色の棘で覆われ、眼はさらに煌々と、赤く輝く化け物。
手足は人間としてはありえないほど太く長く、巨大な爪をそなえている。
「な……?」
驚くサキに、化け物は静かに歩み寄った。
抱えていた丸いものを、サキに差し出した。
「隊長。これを預かっていてください」
顔は棘に覆われて判別できない。だが声は間違いなく。
「お前。天野か!」
差し出されたものを受け取る。
人間の生首だった。両目が完全に破壊されて、大きな横長の穴になっている。ふっくらと柔らかそうな頬を、こぼれた血が汚していた。
「これは……氷上? 氷上凛々子か? 天野、一体何があったんだ」
「説明はあとで。いまはただ、そいつを頼みます。戦いの場には持っていけないので」
素っ気無く敬介は答えて、あたりを見渡し、倒れている隊員に近づいた。フェイスシールドを片手で軽々と粉砕し、隊員に口づけする。
「もごっ……もごぉっ!?」
隊員はうめく。すぐに敬介は体を起こした。
「まだ痛みますか」
「え? ……おう……」
隊員も軽々と半身を起こした。肩には血のにじんだ包帯が巻いてある。この隊員は骨まで粉砕される負傷を負って、歩くのもやっとの状態だったはずだ。
「痛くねえ……」
不思議そうに首を振った。敬介が爪を一閃させる。彼の傷口を覆っていた包帯がバラバラになって飛び散った。
包帯の下から現れたのは、赤ん坊のような傷一つない、真新しい肌。
敬介は立ち上がり、壁に並ぶヤークフィースの目玉をつかんだ。
「聞こえるか、ヤークフィース!
俺が今、何をやったのかわかるか。
そうだ、『治癒の奇蹟』って奴だ。
お前の言う奇蹟なんて、フェイズ5なら誰でも起こせるんだ。
俺でも神になれるぞ。
話はすべて聞いた。もしお前が、これからも自分が神だって言うなら。治癒の力で人の心を弄ぶなら。俺も神になってお前に立ち向かう。お前の教団の信者を一人残らずいただいてやる。お前の計画は、絶対に成就しない。
嫌だろう? 嫌ならば……」
つかんだ目玉を壁面から千切り、床に叩きつけて踏み潰した。
「俺を倒してみせろ。ヤークフィースでもいい。ゾルダルートでもいい。両方いっぺんでもいい。俺と勝負をしろ。決着がつくまでは、データを流す話を延期しろ」
サキが不安げな声を出した。
「天野。それは無謀だ」
振り向きもせずに敬介が答えた。
「分かっています。けれど、他に方法がない」
しばらくヤークフィースは沈黙したが、壁全体を大きく揺らして喋りだした。
『まったく馬鹿馬鹿しい。下らない要求です。データをばらまいて世界を乱し、その後で貴方を倒せば済む話です。
……しかし……
いまいましいことに、ゾルダルートが乗り気です。
あなたと全力で戦いたいそうです。取引で決着がついてしまうのが面白くないそうで。信じがたいです、あの戦争馬鹿は!』
「それでは」
『受け入れざるを得ませんね……仕方ありません。決着が着くまで、動画の件は後回しにします』
隊員たちが、「おお」と歓声をあげる。
敬介は振り向いたまま、
「隊長。俺は時間を稼ぎます。その間に、奴の……ヤークフィースの本体を突き止めてください。そして動画のデータを破壊するんです」
「わかった。必ず」
この巨大なビルの全体に広がった、何千メートルとも知れない長大なヤークフィースの、本体を探す。困難なことだろう。だが期待には応えなければいけない。彼が掴んでくれたわずかな勝機だ。
「それから……」
そこで敬介は、はじめて振り向いた。棘に覆われているため、その表情はよく分からない。だが声は弱く、震えていた。
「……隊長。おれは隊長に謝らなければいけません」
なんのことだ、と問うまでもなく、
「隊長はおれに言ってくれました。心の柱が一本しかない人間は脆いと、もっといろいろなことに興味を持ったほうがいいと。でも、おれは決めました。たった一本の柱、一本の道だけで戦います。隊長の助言を無視することになりました。すみません。でも、そうでなければ、いやなんです」
敬介の顔がわずかに傾いて、視線がサキの腕の中に飛び込んだ。
そこに抱えられている、凛々子の生首に。
何が起こったのか理解し、サキはかぶりを振った。
「それでいいのかもしれない。
『俺にはこの世界しかない、見えない』
『他の世界も見たけれど、俺はこの道を行くと決めた』
この二つは違う。私にはただ、健闘を祈るとしか言えない」
その先の言葉は、あえて呑み込んだ。
人間には、あまりに辛い道ではないか……?
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