24 VS.児童虐待


24 VS.児童虐待イジメ ノ レンサ





 最初に<他生之園>に満ちていた‘ みかけ ’の影響を《浄化》してからは、子供達は傷ついてはいたが、‘ 魔 ’に傾く事をやめていた。


 《浄化》スキルは、‘ みかけ ’の内の‘ 魔 ’を滅ぼした‘ 命気 ’による攻撃のように、《精神体》を破壊するものではない。


 ‘ みかけ ’の場合は、‘ 魔 ’に“ 人としての《精神体》 ”を食い尽くされ、“ 人間の記憶を持つ‘ 魔 ’ ”になっているため。


 “ ‘ 魔 ’の《精神体》 ”を破壊すれば、全ての記憶を失ってしまう。


 それに対して、《浄化》は、記憶に対する暗い感情を晴らすものだ。


 暴力にさらされた記憶があっても、それが憎しみや恨みや卑屈さを生むとは限らない。


 記憶を心が受け止めたときの感情の蓄積が、そういったものに変貌していくのだ。


 《浄化》は、記憶はそのままに、その時に感じた想いを、痛みは痛みのまま、辛さは辛さのまま受け止めさせ、歪んだ想いに変質しないようにする。


 それだけだが、<他生之園>の子供達の多くは、5歳以下の幼子で、それ以上の子供は、3人しかいなかった事もあり。


 ‘ みかけ ’によって植えつけられた“ 弱さへの憎しみと力への渇欲 ”という呪いは、消し去る事ができた。


 その呪いは、人を‘ 魔 ’に魅入らせ、‘ みかけ ’に変える呪いだ。


 力さえあれば幸福になれる。

 強ければ弱い者に何をしても許されるようになる。

 幸福とは、権力や金銭という階級を手に入れる争いに勝つ事だ。


 そう信じさせる呪いは、あらゆる者を、敵となる者か、服従させた者か、利用しあう相手だがいつか敵になるかもしれない者として見せ、信頼する心を失わせていく。


 そうして、“ あらゆる弱さを憎み、力への渇欲に溺れた者 ”は、力を持つ者に媚び、力を持たない者を踏みにじり。

 不幸をばら撒きながら、争い続ける事を幸福を得る事と自らを騙し続ける。


 あるいは、“ 自分の弱さを憎みながら、自分の弱さから目をそむけた者 ”は、力への渇欲を満たされぬものと諦め。


 “ 自分が望む者への妬み ”や“ 自分と似たような境遇の者への嫌悪 ”に変えて、‘ 人 ’をおとしめようと歪んだ生き方をするようになる。


 妬み蔑み、渇望を渇欲にかえ、損得と勝ち負けでしか物事を見なくなった時、‘ 人 ’を‘ みかけ ’に変える呪いは成就される。

 

 この世界の人間は、‘ 人 ’と‘ 人 ’との間で、‘ 人 ’から‘ みかけ ’になる狭間で、呪いに抗い続ける者達だ。


 この島域の言語が人間という文字に込めた想いは、‘ みかけ ’の呪いへの抵抗なのかもしれない。


 幼子ほど、その呪いに侵されやすいので、ここでその影響を断てたのは幸いだった。


 この世界での“ 幸福 ” というのは、‘ みかけ ’がばら撒いた不幸と呪いから逃れる事なのかもしれない。


 ふと、そう思った。




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