25 VS.児童虐待
25 VS.
それというのも、<他生之園>が‘
園長には、内密にと念を押したのだが、多額の寄付がされたのではという情報が銀行あたりから流れたらしく、マスコミを名乗る人間が現れたのだ。
それだけならともかく、その男が‘
子供達が脅えるので取材は受けないという園長に、それは勝手に子供達が脅えるのだから、自己責任で対処しろと。
臆面もなく横暴な態度で言い放ったのは、‘
自己責任という言葉は、この島域の統治組織が、外部で構成員が犯罪などに巻き込まれ、その問題に対処できない場合の誤魔化しとして、広く使われだした言葉らしい。
責任とは、役割を果たすという約束だ。
圧倒的な脅威に対抗できない弱者や子供に、保護すべき立場の人間や統治組織の人間が使っていい言葉ではない。
使ってしまえば、保護すべき立場の人間は、自らその立場を否定してしまう。
使ってしまえば、援け合うために存在する統治組織の意味は失われ、ただ無駄に利権を奪い取るためだけの組織と成り果てる。
それを、仕方ないと許されれば、その‘ 甘え ’は‘ 魔 ’に魅入られる基になる。
彼女が問われたのは、その‘ 弱さ ’ではなく、‘
まだ、彼女は、‘ 魔 ’に魅入られてはいても‘
‘
‘ 人 ’とは弱く生まれてきて、‘ 甘え ’に流されずにいれば、強くなれる存在だからだ。
そして、‘ 甘え ’に流されないという宣言が、責任を負うという事なのだ。
だが、‘
だから、‘ 征服統治組織 ’の権力に縋る者達は、‘ 弱さ ’から目を逸らさせて、‘ 甘え ’、自らの責任の有無を語らず、自らを護れない‘ 弱さ ’を責める。
それは、保護すべき者に自助努力を勧めるのではなく、保護できない事に理解を求めるのでもなく、護る責任などないのだから、好きに死ねと言うに等しい。
そんな‘ 征服統治組織 ’としての在り方は責められなくても、子供を護れなかった親の無力は責められる理屈。
それは、
“ ‘ 役割を果たす上での成功と失敗の結果 ’を受け止める者 ”を、責任を負う者と定める‘ 法 ’を護らず。
“ ‘ 法 ’を護るための在り方 ”を責任と呼ぶのではなく。
‘ 無力に対する理解 ’すら求めずに、‘ ただ弱い者を責める在り方 ’を責任と呼ぶ誤魔化しを広め。
無力を憎ませ、力を渇欲させながら、争いの中で力ある者が責任を免れるのが、‘ 甘え ’という毒を撒き散らす‘
勝手に子供達が脅えるのだから、自己責任だ。
平然とそんな理屈を口にする姿は、マスコミを名乗るこの男が、騙る‘ 国民の知る権利 ’などという言い分も、また誤魔化しだという事を示している。
‘ 国民の知る権利 ’という
もっとも、そんな事は関係なく、故意に
その見かけに反せず、男の魂の大半は食い尽くされ‘ 魔 ’へと変っていた。
‘
‘ 魔 ’が全ての
男が‘
この男も、他の‘
そう思って《読心》を使い、男の記憶を読んでいくと、記事の捏造に始まり、脅迫、恐喝、殺人教唆という罪を犯して警察に目をつけられながらも、逃れてきたようだ。
二度ある事は三度あるという
何れにしろ、また一工夫が必要なのだろう。
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