20 PS.二代目園長の再出発
20 PS.二代目園長の再出発
児童福祉法第3章41条によると、「児童養護施設は、保護者のない児童、虐待されている児童など、環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護し、あわせて退所した者に対する相談その他の自立のための援助を行うことを目的とする施設」となっている。
簡単に言うと、「不幸な子供を少しでもマシな場所で護ってあげましょう」という事だ。
それは、いい事で、“ 人は助け合わなければ生きていけない ”って事を知ってる人達なら、他人事でなくそう思ってくれるだろう。
でも、いつの間にか傲慢になった人間や、人を想いやれなくなった人間は、口に出しては言わないけれど思う。
「いい事だけれど、共倒れはゴメンだね」
「いい事だけれど、損はいやだよ」
「いい事だけれど、何か得になるの?」
「いい事だけど、先ず裕福になる事だよ」
「いい事かもしれないが、必要はない」
「いい事かな? 援けたりしたら弱くなるだけだ」
「いい事と何故思う? 全ての弱者を救えないなら偽善だ」
「いい事とは、強者に寄生する弱者を作らない事だ」
「弱いという事は悪だ。何もしてやる必要はない」
そうして、「言うだけならただ」と。
法律は造っても、お金は出さなくなっていく。
お金持ちがお金を持ち続けるための法律や、権力者が権力を持ち続けるための利権。
そういったものを守って争いあうための組織が第一で、その余りを“ 福祉という偽善の助け合い ”に回せばいいというのが、この国の保守政党と言われる世襲政治家の考え方だ。
そして、そういう政治家に表向きは反対している野党の人間も、裏では似たような事を言っている。
だから、選挙で福祉に力を入れると口にしても信じてはいけない。
それが、児童養護施設を運営するようになって僕が気づいた事だった。
福祉は大事と口にしてはいても、だからどうすればいいと口にはしないような“ ホントの意味では何も考えてはいない人間 ”や。
“ 福祉活動が自分の利益となるからやっている人間 ”ばかりを見てきたので、その人が寄付と言って大金を持ってきた時には驚いた。
普通に考えれば個人で賄える額とは思えない大金だったのだ。
しかも、振込みなどではなく現金だった。
ただチョウと名乗ったその人は、数字の上の金額ではなく、大量の札束を置いて去っていったのだ。
大きな肩掛けのバッグ5つ分に百万円の札束が詰まっていた。
彼が言うには、この施設で僕が気づかないうちに、いじめや暴力が行われていたらしい。
運営資金を渡すから、それで対策をしなさいという事らしい。
何故、それを知っているのか?
どうして、こんな大金を寄付してまで?
色々、聞きたかったが、先に何も質問はするなと言われてしまった。
日本人ではないようだし、サラリーマンにも見えない人だった。
更に言えば、そんな大金を持っている金持ちにも見えない。
この事は、マスコミなどに吹聴するなとも言われ、きちんと対策をしなければと睨まれた。
今、考えたら怪しすぎる話だけれど、僕は頷いた。
自分の不甲斐なさや情けなさを知らされて、彼に気後れしていたからかもしれない。
とにかく、それから僕は、本気で施設を運営するようになった。
チョウが怖いからというわけではない。
いや、怖かったのは怖かったけれど。
チョウという男に会ってから、心の中の闇が晴れたような気分なのだ。
僕が頑張っても高が知れている。
僕は“ 援け合う人々に寄生した人間 ”なのかもしれない。
そういった卑屈さが何処かに行ってしまったのだ。
僕は僕に出来る事を、出来る限りまで、やっていけばいい。
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