17 VS.社会常識
17 VS.
この島域で人としての経験を積むには、貨幣が必要なのはどうしようもない事実だ。
霊体からの視覚と聴覚のみの情報で、多くの人間の感情──‘ 恐れ ’や‘ 悲しみ ’や‘ 怒り ’や‘ 喜び ’や‘ 愛しみ ’や‘ 憎しみ ’や‘ 畏怖 ’や‘ 哀愁 ’や‘ 憤怒 ’や‘ 歓喜 ’や‘ 情愛 ’や‘ 嫌悪 ’や‘ 恥辱 ’や‘ 悔悟 ’──を見る事はできる。
だが、‘ むなしさ ’や‘ やるせなさ ’や‘ せつなさ ’などの複雑な情は汲み取り難いし、何より覗き見というのは、していて気分が好いものではない。
人の在り方を学ぶのなら、公の場での会話などや仕事場での会話を覗き見るくらいでは済まず、そうでない場に踏み込む必要がある。
だが、そういった場に踏み込まれた者の立場で考えれば、それは不快きわまりない行為だろう。
相手が知らなければ不快に思わないのだからいいだろうと、結果しか考えず、平気でそれをやる者はいる。
しかし、そういった卑しい行いは、‘ 魔 ’に魅入られる基となる。
自分がされて嫌と思うことを他者にはしないという‘ あたりまえ ’ を護れないのが卑しさだ。
‘ 掟 ’だから従うのではなく‘ 法 ’を護る。
‘ 決まり ’だから従うのではなく‘ あたりまえ ’を護る。
その違いを心で理解し護ろうとできない卑しい者は、‘ 魔 ’に魅入られ‘
だから、討魔者としての役割を果たすのではなく、人としての経験を積むのに、覗き見というのは不要な行いだ。
そうなると、どうしても‘ 擬身 ’を使うしかない。
そして、この島域で人として活動するのに貨幣というものは、どうしても必要になる。
‘
栄華を求めるのなら‘
‘
‘
その誘惑に抗えなくなれば、‘
だから、この島域や先進国と呼ばれる‘ 征服統治組織群 ’が治める地域で、貨幣を得るという事は難しい。
しかし、それでも
では、どうやって貨幣を得ればいいだろう?
一番簡単なのは練成での貨幣の偽造だが、リスクはともかく、与えるべき資源なしで、誰かの所有する資源を得るのは、やはり盗みであり、後ろ暗く‘ 魔 ’に魅入られる基となる行いだ。
それは討魔者としては行うべき行為ではない。
利のために身勝手な理を創る誤魔化しで言い繕う事はできるだろう。
貨幣制度というのは‘
大した量の貨幣を作るわけでもなく、貨幣が増えただけで損をする者はいない。
自分の利ではなく、‘
何れにしても、ただ数字として貨幣の量を増やす事で、“ 物資や労働といった人が創り出すための営みの象徴である貨幣の本質 ”を貶める‘
だから、それは誤魔化しでしかなく、通貨の偽造は論外だ。
一番
討魔者として‘
物資を練成して売るという手段も個人番号制度が問題となる。
金などの希少物質を売るのにも、ただの鉱物結晶を売るのにも、‘ 征服統治組織 ’内の利権が関連しているので、‘ 征服統治組織 ’の管理下にある者としての身元が必要となる。
‘ 征服統治組織 ’を運営する資金あつめの名目で徴収される‘ 税 ’を得るための仕組みだ。
この世界の‘
そして従わない者は、‘ 罰 ’と称して犯罪者のレッテルを貼られる。
この時代の犯罪組織も上納金と呼ばれる‘ 税 ’を構成員から巻き上げているようだが。
それと根本的には変らない恐怖で人を従わせる仕組みだ。
その仕組みを動かす者も、仕組みを誤魔化し自分の利益だけを考える者も、‘ 魔 ’に魅入られる危険の高い仕組みで。
‘
人の意志に敬意を払わずに、効率と結果だけを求める‘ 武族 ’の在り方から生れた制度だからだろう。
物質的な面だけを見れば効果的だが、‘
実質化した‘ 魔 ’のいない世界で、‘
それが、この歪さに溢れた仕組みを造り上げたのだろう。
‘ 民主主義 ’と呼ばれる‘ 農族 ’に近い考え方が生れ、‘ 税 ’という仕組みの強制との矛盾が生じても。
‘ 権利と義務による強制 ’という誤魔化しで、‘ 名誉ある寄付 ’としてではなく、‘ 強制的な徴収 ’として‘ 税 ’は扱われている。
‘ 名誉ある寄付 ’ならば、使い道を決める権利と仕組みを造る必要があるが、‘ 強制的な徴収 ’ならそれをせず効率的だが‘ 民主主義 ’に反する。
効率と‘ 民主主義 ’を秤にかけた時点で、‘ 民主主義 ’で運営される国家というものは誤魔化しになる。
争い合い、奪い合う階級組織であるためには、‘ 民主主義 ’を無視しなければならない。
そこで造られたのが‘ 権利と義務による強制 ’という誤魔化しなのだろう。
調べれば解る事だが。
権利とは‘ 共存のために害されるべきでない在り方 ’で。
義務とは‘ 共存のために成されるべき在り方 ’で。
それを暴力で強制するための考え方ではない。
共存と暴力は真逆の在り方だからだ。
‘ 権利と義務による強制 ’とは、‘ 御恩と奉公 ’という‘ 武族 ’の考え方を、全ての人間が受け入れるべきだとする‘ 民主主義への誤魔化し ’だ。
国家の統治する地域に生れれば、否応なく‘ 征服統治組織 ’の一員として扱われ、他の国家を敵や敵になるだろう相手として見ることを当然と思わされ。
‘ 征服統治組織 ’に守られたければ従え、守られたくないのなら‘ 征服統治組織 ’の敵だからと脅かされ。
‘ 征服統治組織 ’の一員として従うのなら、権利を与える代わりに義務を果たせと迫られる‘ 暴力のための仕組み ’。
つまりは、‘ 武族 ’であれという強制だ。
あちらの世界では、まがりなりにも‘ 生業 ’を選べたが、この島域や先進国といった‘ 自称民主主義国家 ’では‘ 職業選択の自由 ’が誤魔化しで捻じ曲げられているようだ。
‘ 生業 ’という考え方が廃れるくらいに、産業は‘ 武族商人 ’が牛耳り、‘ 農族 ’や‘ 匠族 ’のような生産に関わる在り方をする人間達が、貨幣を得る上で不遇であるような制度を造っていた。
しかも、それを自由競争と誤魔化し、貨幣を使って貨幣を増やす‘ 非生産者 ’が権力を持つ事が常識となっていた。
生産という実体ではなく、資本という虚構で権力を操る事が常識になれば、どうなるか。
生産と創造と調和を為す者のための社会ではなく。
浪費と破壊と闘争を為す者のための社会が造られるのだ。
そして、その‘ 征服権威主義経済 ’とでも呼ぶべき仕組みを‘ 自由主義経済 ’という偽った‘
その偽りは、‘ 皆が自由であるべきという考え方 ’とは真逆の考え方だ。
それは、‘ 他者を踏みにじってでも利己的であるべきという考え方 ’の‘ 偽の自由 ’でしかなく‘
それは民主主義が否定する‘ 武族 ’の‘
‘ 武族 ’から‘ 武族商人 ’へと権力階級の頂点が変っただけで、内実は変らず、全ての人間を‘ 武族商人 ’であるのが当然と考える傲慢を常識にしようという誤魔化し。
そんな誤魔化しで‘ 武族商人 ’の争いあい、奪い合う事が根幹となる仕組みを広めれば、
‘ 魔 ’は
どうやら、‘ 魔 ’に魅入られずに、この世界で生きるには、それを理解する必要が在り、
ならば、
この世界ではそうして‘ 魔 ’に魅入られ、テロリストや過激派と呼ばれるようになった人間が多くいる。
《思考分割》のスキルで討魔者としての行動と、
この世界に“ ‘ 魔 ’を滅ぼす‘ 魔 ’ ”としてあるならば、そうするしかない。
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