16 VS.社会常識


16 VS.社会常識ワールドスタンダード




 ‘ 擬身 ’を使って、まず最初に行ったのは、やはり言葉を学ぶ事だった。


 凉樹一瓏スズキ イチロウという幼子としての身体や霊体ではできなかった図書館の利用を行ったのだ。


 一度、深夜に霊体の‘ 練成擬似生命 ’で《念動》の精霊術を使って、本を読もうとしたら、警備装置を作動させてしまったが、他の利用者にまぎれて‘ 擬身 ’で本を読むならその心配はない。


 音声で伝えられる言葉だけでは伝えられない情報を求めるのに、この世界では文字情報が最適だ。


  日本語というこの島域で使われている言語は、あちらの世界で使っていた言葉に近い。


 図書館で百科事典や漢語辞典や類語辞典という言語を学ぶ者にとって便利な道具を使ってみると、それがよく解った。


  この島域は、残存する歴史以前に漂流民や渡来民と現地民との文化融合による‘ 共存統治組織 ’があり。


 大陸からの侵略に近い状態で、その大和朝廷という共存組織が。‘ 武族 ’に乗っ取られ、漢字や仏教という大陸の文化侵略があり。


 大陸の大国が滅びた事で大陸文化と融合した中央の弱体化が起こって、地方の‘ 武族 ’が力を持ち、幕府という‘ 武族 ’の‘ 征服統治組織 ’が生まれ。


 朝廷は権威のみの存在として、‘ 武族 ’が争いあい滅びながら、新たな幕府を開くという事を繰り返し。


 長い戦乱の後に300年近い安定した幕府が生れたが、西洋の間接的侵略でその‘ 征服統治組織 ’が倒れて。


 文化融合で生れた大日本帝國という‘ 武族商人 ’と‘ 武族 ’の共同‘ 征服統治組織 ’が、西洋の‘ 征服統治組織群 ’との侵略しあう争いに負け。


 その後、西洋の文化侵略で日本国という傀儡統治組織が造られ──という“ 文化侵略と文化融合による歴史の流れ ”を経ているらしい。


 ‘ 和合 ’というその在り方は、‘ 農族 ’の在り方に近いもので、‘ 武族 ’の在り方から‘ みかけ ’の在り方に成りかけている欧米文化よりは親しみやすかった。


 表意文字は、あちらの世界にもあり、こちらでいう人文学を伝えるためには便利な言語だ。


 もっとも、あちらでは‘ 制魔学 ’と呼ばれる‘ 魔 ’に魅入られないための心の在り方を研究する学問だった。


 誤魔化しや脅しや暴力という後ろ暗い手段を使う事で、人は‘ 魔 ’に魅入られていく。


 誤魔化すという日本の文字通りの事が、あちらでは人間の妖魔化として起きるのだ。


 ‘ みかけ ’が精神の妖魔化である事を考えれば、“ 人を欺いて利益や欲望を望む‘ 誤魔化し ’ ”は、人を ‘ 誤 ’たせ‘ 魔 ’と‘ 化 ’す手段であり方法だという本質を、こちらの世界でも表した表意文字だ。


 このように表意文字は‘ 制魔学 ’を学ぶ上では必須のものだった。


 ‘ みかけ ’の影響なのか、日本国の西洋文化が主となった融合文化では、表意文字の必要性は低いとされて、古語や漢字の‘ 制魔学 ’に必要とされる表現は消失したり、意味を忘れ去られつつあるようだ。


 そういった話は、過去から順に調べていくと、‘ 若者の活字離れ ’や‘ 若者の政治離れ ’という言葉で問題として考えられていた事実のようだが。


 近年になって、若者の~離れという言葉が多用され、この二つに代表される‘ みかけ ’の影響を正そうという意見が、埋没して消えていっているようにも見える。


 ‘ みかけ ’が、その背後にいるのか、あるいは‘ みかけ ’の造り上げた利権を守りたいだけの利己的な人間の仕業なのか調べなければならない。


 そうやって一方で知識を得るのと同時に、‘ 擬身 ’で人としての経験を積む事をしようと考えたのだが、それには問題があった。


 ただ寝ているだけで、話しかけられた時に幼子としての反応を返せばいい肉体のほうと‘ 擬身 ’を数体同時に操る程度なら何の問題もなくできるので、技術的な問題ではない。


 こちらの世界の貨幣制度の問題だ。


 あちらの世界の貨幣は、‘ 精霊力 ’や‘ 神霊力 ’を蓄えた硬貨で、それ自体が術具を動かす動力源になるものだ。


 あちらの人間は討魔者でなくても‘ 精霊力 ’は持っているので、空の貨幣に‘ 精霊力 ’を貯める事もできれば、精霊術の補助として貨幣を使う事もある。


 こちらの世界に金本位制という言葉があるが、それでいうなら、あちらは‘ 霊力本位制 ’の貨幣を使っているという事になる。


 それをこちらの制度で考えるなら、労働力本位制だろうか?


 あちらの物資交換システムは、一人の人間の最低賃金を単位として、流通を考える‘ みかけ ’の築いてきただろうこちらの経済とは本質的に異なるシステムなので。


 まったく同じではないが、人を養う事を第一にした制度で、‘ 魔 ’に魅入られる基となる争いを含まない事を除けば、そういった言葉で表されるだろう。


 貨幣の本質とは、人が共存して生きるための労働力や物資を効率よく交換するための仕組みだ。


 そういうものに価値を見出さねば、人は容易く‘ 魔 ’に魅入られるから、あちらの世界の貨幣はそれ以外の意味を持っていないのだ。


 つまりは、この世界の貨幣は、それ自体に価値のないもので、単なるこの島域を統治する権力の権威を象徴する証券にすぎない。


 その証券を得るには、この地域の一員という証明がなければ労働の対価として得る事も難しい。


 練成によって物資を作り出しそれで貨幣を得るにしても、同じ事らしい。


 争いあう事が前提の‘ 征服統治組織 ’である弊害で、声高に自由を口にする者でさえ、争いあう事が前提の在り方こそが自由を縛るものだと考える者は少ないようだ。


 こちらで経験を積むには、そういった暗黙の了解の上での常識と貨幣というもので、‘ 征服統治組織 ’の権威を認める組織の一員であることが求められる。


 だが、この権威というものは、‘ 魔 ’に魅入られる基となる争いのためのシステムの根幹なので。


 権威に従うという事は、争いあう一員になる事を認めるという事になる。


 それが富を奪い合うものであれ、権威を奪い合うものであれ、生命いのちを奪い合うものであれ、‘ 魔 ’に魅入られる基である事に変りはない。


 討魔者であっても‘ 魔 ’に魅入られる事はある。


 まるでこの世界は、ただ生きるだけで多くの‘ みかけ ’を造り出すシステムのようだった。



 

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