22 VS.児童虐待


22 VS.児童虐待イジメ ノ レンサ




 


 <他生之園>で起きている‘ みかけ ’が造り上げた‘ 人間を争い合わせる仕組み ’による弊害は、そこだけの問題ではない。


 他の‘ 児童擁護施設 ’でも‘ 学校 ’と呼ばれる修学施設でも、そしてもちろん、富を奪い合わせるための‘ 武族商人 ’達の‘ 会社 ’と呼ばれる組織や、人間同士を殺しあわせるための‘ 軍 ’でも起きていた。


 服従の強制による階級社会では、“ ‘ 傲慢さ ’と‘ 卑屈さ ’という表と裏の在り方 ”しか育つ事はないのだから当然だろう。


 そして、‘ 傲慢さ ’と‘ 卑屈さ ’は、どちらも‘ 魔 ’に魅入られる基となる。


 イジメ、ハラスメント、虐待、などと呼ばれる本来なら助け合うべき相手を敵とする在り方と。


 そういった人を争い合わせるための仕組みは、‘ 暴力原理 ’と呼ばれ、人間の本能からくるものだと、こちらの世界では考えられていた。


 ‘ 魔 ’の存在を感知できず、実質化する‘ 魔 ’もいないこちらの世界では、全ての生命いのちに寄生して、それを滅びへと導く‘ 魔 ’の存在は、生命いのちの在り方そのものだと思われているのだ。


 多くの滅びを糧にするために、産ませ、育てさせ、地に満ちさせながら、同時に、殺させ、間引かせ、天に送り続ける。


 人が家畜を飼うのと同じその仕組みは、あちらの世界では、邪神群という‘ 魔 ’によって造られたと考えられていた。


 生命いのちと魂を分けられないこちらの人間とは違い、討魔者がいたからだ。


 神々が現れる前の世界では、討魔者は存在せず、‘ 武族 ’が人を護っていた。


 ‘ 武族 ’こそが、‘ 農族 ’や‘ 匠族 ’や‘ 商族 ’などの他の‘ 生業 ’で生きる者達の上に立つべきと主張する者達は、それを強調する。


 だが、それはただの役割の違いで、全てに意味があるというのが、あちらの一般的な考え方だ。


 強大化した‘ 魔 ’によって滅びに瀕していた世界に、神々が‘ 魔 ’を滅ぼす存在として現れ、生命いのちの滅びを回避したからだ。


 ‘ みかけ ’が‘ 武族 ’の中に多く存在し、強大な‘ 魔 ’は‘ 武族 ’の成れの果てだったという事もあばかれた。


 ‘ 武族 ’に従う在り方では、人は滅びる。


 それが眼に見えて示され、人は神々が与えた討魔者に希望を託した。


 だが、こちらの世界には、実質化した‘ 魔 ’は存在しない。


 邪神群も神々も存在せず、‘ みかけ ’が、“ ‘ 武族 ’の服従させる在り方 ”で、全ての生命いのちを滅ぼすような兵器を創り出していた。


 これが意味するのは、世界を滅ぼした‘ 魔 ’が他の世界の生命いのちに獲り憑き、世界を滅ぼす連鎖なのか、それとも……。


 何れにしろ、人間という身の内に‘ 魔 ’を潜ませる動物とよばれる生命いのちの一種にできるのは、ただ‘ 魔 ’ジメツに抗う事だ。


 そのためには、理不尽を招く理屈を合理的などと考えるようなこの世界の‘ みかけ ’が造った考え方と、その考え方で殺し合い奪い合うための仕組みを人が覆さなければならない。


 凉樹一瓏スズキ イチロウという‘ 人 ’が為さねばならないのは、そういう事だろう。


 <他生之園>で起きている児童虐待イジメ ノ レンサを断つのは、その第一歩だ。



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