37 VS.教育制度

37 VS.教育制度マインドコントロール






 この島域を含めた先進国と呼ばれる統治組織群では、義務教育と呼ばれる制度がある。


 一瓏イチロウも、今年からその義務教育を受ける事になっていた。


 それは、人間という生物が繁栄していくには、有用な制度だ。


 一見、一握りの‘ 武族 ’が教育を占有して、大多数の人間達から知識という力を奪うことで、優越し服従を強いる‘ みかけ ’の仕組みを壊すかのようにも見える制度だ、


 だが、その教育とは、心のうつろを満たすためのものでも、うつろな欲望を望ませないためのものでもなく、ただの‘ 力としての学問 ’を習得する準備段階に過ぎない。


 与えるべき教育を選び、一握りの権力者が優越し。大多数に服従を強いる‘ みかけ ’の仕組みは、かたちを変えて、制度に潜んでいた。


 学校と呼ばれる教育施設は、同時に‘ みかけ ’の仕組みを学ばせるための場でもあり、‘ スクールカースト ’などと呼ばれる仕組みが、子供達に‘ 魔 ’を吹き込んでいた。


 本当に‘ 人 ’として一番大切な想いを与え、学ばせるのなら、物心のつく幼子の頃から学ばせなければ意味はない。


 なぜならば、心にうつろが創られるのは幼い頃だからだ。


 だが、義務教育は心にうつろを持たない‘ 人 ’を育てるのではなく、争い合うための技術を育てるために使われていた。



 技術とは、‘ 人間の生き方をより好い在り方にするためにある手段 ’だが、‘ みかけ ’が使えば、 “ 知らぬ間に人間を滅びに導く‘ ジメツ ’ の手段”になる。


 それを防ぐには‘ 人 ’を育て、‘ 魔 ’に抗う事が、必要だが、‘ みかけ ’の仕組みで造られた教育制度は、それを望まない。


 子供達の‘ 人を想う心や他者ひとを想いやる心 ’を育てはしない。


 何故なら、人が互いを想いやる事が、‘ みかけ ’の仕組みを壊すからだ。


 だから、民主主義を標榜する統治組織群でありながら、義務教育では、権威に従う在り方を教え、民主主義社会の主権者であるという自覚を促し、自負や責任を持つ事の大切さを教えようともしていなかった。


 ‘ 人 ’であるための最初の約束を学ばなかった幼子が、心にうつろを持ち、自負や責任を学ばずに育ち、‘ みかけ ’に、‘ 魔 ’を吹きこまれ続ければ、‘ みかけ ’になっていく。


 知識という力を奪うことで、優越し服従を強いるのではなく、欲望を煽り、心に‘ 魔 ’を育て、‘ みかけ ’の共犯者として以外の知識を隠し、‘ みかけ ’を増やす仕組み。


 それが先進国と呼ばれる統治組織群での義務教育と呼ばれる制度だった。




 ‘ 一握りの人間が、階級を造り出し、多数の人間を服従させる征服統治という仕組み ’で争いあう国家という組織。


 その組織が、人の繋がりを断ち、組織の理不尽に抗う人間を造らせない事で、争いあい喰らいあい滅びに向う連鎖を、文明の進歩であると誤魔化しながら‘ 魔 ’を広げていく。


 そんな‘ みかけ ’の仕組みに気づかない人間を創り出す教育制度マインドコントロールは、‘ みかけ ’の仕組みを守るためにある。


 だから、‘ 人 ’として、少しでも子供達の心のうつろを満たして、うつろな欲望を望ませずに、育てようとする教師もいるが、制度はそんな教師に報いる事はない。


 そして、多くの教師は‘ みかけ ’の仕組みの中で、‘ 人 ’を育てる事を止め、ただ技術を伝えるだけの教員という存在になる。


 ‘ 魔 ’が実質化するあちらの世界で、‘ 魔 ’を滅ぼすための‘ 魔 ’を育てる討魔者のように──。


 けれど、‘ 魔 ’を見る事ができないこの世界では、それだけでは、ただ‘ ジメツ ’を育て、‘ みかけ ’の仕組みに盲目的に従う人間を造る事になる。


 ‘ ジメツ ’に抗う‘ 人 ’を育てるのは、‘ 人 ’にしかできない。


 制度に従う教員では、‘ 人 ’を育てられないと解っていても、‘ みかけ ’の仕組みが、それを望み。


 ‘ 人 ’を‘ みかけ ’へと導いていた。


 憎みあい、争いあい、妬みあい、貶めあい、心にうつろを造り。


 憎しみを痛快に、争いを虐げに、妬みを蔑みに、貶めを嘲りに変えるうつろな愉悦を幸福と思わせ。


 ‘ みかけ ’の仕組みは、心に‘ 魔 ’を育てさせる。


 教育とは、‘ 魔 ’を制するために行われるべきものだというのに、この世界の教育制度マインドコントロールは、‘ みかけ ’の仕組みにより、“ ‘ 人 ’を育てるという教育の本質 ”を見失わされていた。


 一瓏イチロウは、‘ 人 ’として‘ 魔 ’に抗い、‘ みかけ ’の仕組みを壊す人々の一員とならねばならない。


  人間として生まれ、‘ 人 ’となるべきだった幼子の魂は逝き、討魔者の魂を得た生命いのちは、幼子の得るはずだった人間としての幸せを得る事はできない。


 だが、‘ 人 ’として‘ 魔 ’に抗い続ける存在には成れる。


 ‘ 人 ’として‘ 魔 ’に侵される人々を救う事はできる。


 ‘ 人 ’として‘ みかけ ’の仕組みを変える事はできる。


 ‘ 人 ’としてできる事は限られていて、‘ 人 ’の生は、世界を変えるには、あまりに短い。


 だが、討魔者としてはできずとも、‘ 人 ’としてならできる事は確かにあり。


 ‘ 人 ’としてしかできない事も、また確かにある。


 だから、凉樹スズキ 一瓏イチロウは、そう生きる。


 それが、転生の呪いで失われた幼い魂を背負う事になる。


 義務教育と呼ばれる制度の中で生きる一瓏イチロウの在り方とは、そういうものだった。


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