memories:カモミール




 些細なことで彼とケンカした。

 一度冷静になってしまえば実に下らない、我ながら子どもっぽい理由だったと思う。後で食べようと楽しみにとっておいたクッキーを彼が食べてしまったから、なんて。

 いや、でも、向こうが悪いと思う。私がどれだけあのクッキーを好きで楽しみにしていたかって知っていたはずだし、しかも

「自分の分なら名前くらい書いとけよ」

って。そんな道理通してたまるか。ひとしきり言い合いをした後、

「お互い時間が必要だろ」

と、彼は家を出ていった。暗に頭を冷やせ、といっているわけだ。それも腹が立つ。

 そんなこんなで私は小1時間、悶々としていたわけだが、そんな自分が嫌になって気晴らしに出かけることにした。

 財布と携帯だけを入れた鞄は何故かいつもより重たく感じた。

 知らないところへ行ってみよう。そこで何かパーッと買い物でもしてお金を使えばきっと気分も晴れるだろうと目についた適当なお店に入った。

 そこは、小さなスペースにアクセサリーだけではなく、帽子や洋服といったアパレル商品なども扱う雑貨屋だった。小さなスペースにひしめき合うように置かれたピアスやネックレスは全てこのお店のオリジナル商品らしい。誰が買うのだろうか、食べかけのどら焼きやハムスターのお尻だけのピアスやイヤリングなどの個性的な装飾品が並んでいる。

 時間はいくらでもある。お店の端からゆっくりと目を通す。ふと、雑貨屋では見慣れないコーナーが目に入った。

 お茶特集と書いてあるそのコーナーには有名なものから名前も良く知らないブランドのものまで様々なお茶とお茶請けのお菓子が並べられていた。

 緑茶、ほうじ茶、烏龍茶、玄米茶、プーアール茶、ジャスミン茶、……その中に惹かれるものがあった。ハーブティー。メーカーも良く分からないオレンジ色のパッケージのそれは良く知っているものだった。無意識に手に取ったその商品から何故か目が離せなくなった。パッケージに書かれた英語表記をゆっくりとなぞる。

 か、も、み、い、る。

 そう、これはハーブティー好きな彼の1番好きなもの。

「カモミールってリラックス効果があるらしいぜ」

 そうやってことあるごとに2人分のハーブティーを机に用意して私を呼ぶ。大抵そういう時は私が何かしらに行き詰っている時だ。それは仕事だったり、友人関係だったり。悟られないよういつも通りに振る舞っているはずなのに、いつだって彼にはすぐばれてしまう。

 あぁ、もう悔しい。

 珈琲派だった私がいつの間にか紅茶やハーブティーを好んで飲むようになっていた。知らないうちに私の大半は彼で構成されていて、隣にいることが当たり前になりすぎて、彼の優しさに甘えすぎていた気がする。

 ほんとに悔しい。何が悔しいって、そんなことに今更気づいてしまった私が、だ。

 奪うようにして掴んだ商品を、私は、今にも駆けだしそうな体を押さえてレジに向かった。

 さて、どうやって切り出そうか。レジに勇み足で向かった私は、帰路につく頃にはすっかり消えてしまい、臆病風に吹かれる私がそこにいた。ごめん、とただ一言いえばいいだけなのに、それが難しい。頭の中で何度もシミュレーションする。その度に、意地っ張りな私が余計なことをいって話を拗らせ、また彼を怒らせる結末しか浮かばない。あぁ、くそ。そうこうするうちに悶々とした気持ちのまま、とうとう家に着いてしまった。

 と、玄関先でチャイムを鳴らすかどうか迷っている彼に出くわした。

目が合えば、すっと、逸らされる。

 ケンカの後だし、それは仕方ないことだと頭ではわかっているのに胸が酷く傷んだ。彼が先に逸らさなければきっと私が先に逸らしていただろう。

 もう嫌われてしまっただろうか。このまま別れようとか言われるのかな。そんなネガティブな考えが頭を駆け巡っている。そいつらを何とか頭の端に追いやって、彼の目の前へ立つ。

 ごめん、それだけ言えばいい。どんな結末が待っていようと、後悔しないように。そう自分に言い聞かせ口を開くが、僅かに戦慄くだけで声が出ない。

 俯き、ふと視線を下げた先で自分の鞄が目に入った。鞄に手を勢いよく突っ込み、入れていたさっき買ったハーブティーを取り出す。もう、どうにでもなれ。

「ごめん」

 喉元で引っかかっていた押し出した言葉は、彼とほぼ同時に発せられ、お互いが差し出したものにそれぞれ目をやる。私の手にはハーブティー、彼の手にはたくさんのお菓子とカモミールの花束。

「……これだけあればティータイムできるな」

 そう呟いた彼の言葉に私たちは目を合わせ、2人してくすくすと笑いあった。



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