memories:オキナグサ



「もう何年になるんだっけ」

 部屋中をぐるりと一瞥すると、呆れたように同僚の奈乃香が呟く。

「さぁ、どうだったかな」

「……あんたさ。いい加減、限度ってものがあるんじゃない?」

 奈乃香が先程一瞥したそれらを親指で指しながら眉を顰めた。

 部屋中に置かれた、鉢植えや切り花といった花の数々。別にこれらは私が好き好んで部屋に置いているものではない。全部もらいものだ。彼、山下佑貴からの。

 佑貴というのは年の離れた弟が小学校低学年の頃、初めて我が家へ連れてきた友人で、それ以来頻繁にうちに遊びに来るようになった少年のことだ。当時は私の腰ほどの背丈だった彼も、もう高校生となり今や私が見上げる側になってしまった。お姉さんと私のことを慕い、弟がこの家を出ていった今も私のもとを訪れる。

 その彼がここを訪れる度に花を持ってくるのだ。自身が在籍する園芸部で育てたもの、花屋で買ってきたもの、道端に咲いていたもの。そうやってこの部屋は彼の持ってきた花で埋め尽くされる。

「応えてあげればいいのに」

「無責任なこと言わないでよ」

 机に置かれていた缶酎ハイを片手にベランダへ向かう。ガラス戸を開ければ心地よい夜風が部屋へ吹き込む。空を見上げれば、月が大きな円を描いていた。壁に寄りかかりながらそれをぼんやりと眺める。

 ……持ち込まれる花の意味など、当に気付いている。その花言葉の意味も、そこに秘められた想いも。

 それでも、そう簡単に踏み越えていいものではないはずだ。

「私には理解できないなぁ。その気持ちを我慢する必要ってあるの?」

「私、別に佑貴君のこと好きとか言ってないんだけど」

「こんな部屋にしておいて今更それいう?」

「……常識を考えなさい。それにきっと勘違いだわ。子どもの頃から姉のように傍にいたから、憧憬を恋心と勘違いしているの。───そうに決まってる」

 壁に寄りかかった身体がゆっくりと床に沈んでいく。

 なに、自分の言葉に傷ついてるんだろう。

 ふと、落とした視界の隅に花が映った。

 あぁ、オキナグサ。こんなところに咲いてるなんて。

 どこかの植物好きが頻繁に植物を持って来て楽しそうに解説していくせいで、それなりに詳しくなってしまった植物の知識。

 俯く暗赤紫色の萼がまるで花のように見える。花びらのない花。

 歳ばかり重ねてしまって、図体は大きくても中身はずっと変わらない。この花はまるで私のようだと思う。大人という殻を被って擬態してるだけの小さな私。

 大人になり切れない私には、佑貴の気持ちを受け入れる勇気も、いつか訪れる終わりを、別れを受け入れられる自信もない。大人になると何故こうも臆病になるのだろう。

「くだらない」

 不意に奈乃香の声が背中に突き刺さった。

「気の迷い? あんた彼の気持ちを見くびってんじゃない?」

 おずおずと振り返れば、眉尻を上げた奈乃香と部屋中の花達が目に入る。

「歳の差、世間体、常識。そんなの一般論であってダメな理由じゃない。あんたの気持ちじゃないでしょ」

 そういって表情を変えず、ずんずんと歩み寄ってくる。

「あんたの気持ちは、なに?」

「私は……」

 佑貴のことは小さい頃から知っている。佑貴は私にとって弟みたいな存在だ。それ以上でもそれ以下でもない。今更この関係を変えてどうなる。物語はいつもハッピーエンドばかりではない。

 私はバカで卑怯な大人のままでいい。

「私は、別に、佑貴君に対してそういう想い抱いてないから!」

 はぁ、と奈乃香の盛大な溜息が漏れ、そのまま夜は更けていった───。



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