memories:カンパニュラ
「私、晴哉先輩に好きって伝えますね」
放課後、花壇の前に座り込む野杁先輩の姿を見付けその隣に座り込むと、顔を覗き込むようにしてそう告げた。
桐島先輩への気持ちが無くなったわけではないけれど。自己満足なお節介だとわかっているけれど。それでも私のこの行動で、桐島先輩のことをこの人が少しでも意識してくれればいいと思う。
いつだったか、この人のために真剣な面持ちでアクセサリーを買っていた桐島先輩の横顔を思い出して、逃げたくなる想いをぐっと抑え込む。
当の野杁先輩は
「───」
そう私に返してきて。やっぱりな、と私はなんだか苦笑してしまった。
そうして少しだけカッコつけてその場を退場したものの、なんだか目の奥が少しだけ痛む。
私は一体何をやっているんだろう。桐島先輩は初めから私のことなんて眼中になかった。初めから、あの人のことしか見えてなかった。当て馬にすらなれなかった。なら、少しくらいこんなことしても……許されるよね?
唇をきつく噛み絞め、天を仰ぐ。
諦めなければ、アタックしていけば、先輩は私のことを好きになってくれる可能性だってあったのかもしれない。それでも、桐島先輩にあの真剣な顔を、愛しいを溢れさせる笑顔を浮かべさせるのも全部野杁先輩にしかできないことだから。私にはあの表情をさせることは出来ないから。それに、好きになったのは、屈託のない、そういう桐島先輩だったから。
目を閉じ、大きく息を吸いこむ。
遠くの方で吹奏楽部が演奏しているのが聞こえる。何処か懐かしい、知っている曲だ。あぁこれは───『上を向いて歩こう』だ。涙が零れないように上を向いて歩く、なんて……上を向いたって零れるものは零れるんだよ。閉じた目の奥が熱く圧迫されていくのを感じながら少しだけ悪態をついてみる。
「そこには何か見えますか?」
不意に背後から声を掛けられて慌てて後ろを振り向いた。視線の先にいたのは
「……植田先生」
穏やかに微笑む先生の姿だった。
私はこぼれ落ちていく涙を慌てて拭うと、背筋を凛とさせ何事もなかったかのように振る舞うことにした。
「いえ、今日は空が澄んでいると思いまして」
少し突っ慳貪な言い方になってしまった気もするけどそれは仕方ないと思う。泣いていたところを見られたのもそうだけど、私はこの人とどんな顔をして会えばいいのかわからない。
あの日、自分らしくもない机への落書きから始まった誰ともわからない交換日記の相手がもしかしたらこの先生かもしれないのだ。もし私の心の彼是をこの人に今まで見られていたのだとしたら───恥ずかしすぎて死ねる。こっちから、あの相手は先生だったんですか? なんて聞ける訳もなく、どうしていいか分からなくなったあの交換日記は、今私のところで止まっている。選択教科の美術をとっていない私はあれ以来この植田先生を避け───いや、関わることもなく過ごしてきたというのに。
「確かにこの時期は空気が澄んでいますからね。空も綺麗に見えますね」
変わらずの微笑みを浮かべる先生を横目で一瞥すると、私は「私、行くところがあるので」とそそくさとその場を去ろうとした、が。
「あ、ちょっと待ってください」
そう言って呼び止められる。
「な、んでしょうか」
「あの、本、読んだりしませんか?」
そう言って差し出されたのは10㎝くらいの長さの小さな栞だった。真白な10㎝×2㎝程度のサイズの紙に、何処か鐘のような器の形をした花の絵が描かれている。淡い紫色で塗られた花弁は、まるで本当にそこに咲いているようで思わず感嘆が漏れる。
「綺麗、ですね」
「実は今度の美術の時間に水彩で絵を描くんで、折角なので栞を作ろうと試作をしてみたんですが……思いの外楽しくなってしまいまして。必要以上に作ってしまって捨てるのも忍びなくそれで園芸部の子達が貰ってくれればと思って持って行くところだったんです」
良ければ、貴女にも。
差し出されていた栞を躊躇しつつ受け取る。
「……鐘みたいな形してますが、えっと……金魚草、でしたっけ?」
「残念。カンパニュラといいます」
「そう、なんですか」
まじまじと栞の絵を見つめる。美術教師なだけあってやっぱりこの人は絵がうまい。上手いが、絵のタッチの癖とでもいうのだろうか。それがどうも交換日記の彼のものと似ている気がしてならない。見ていて優しい気持ちになれるこの感じ……やっぱり同じ気がする。
「是非、その花は貴女に受け取ってほしくて」
その声に視線を先生に向ければ
「また、頑張り過ぎているのではないかと思って」
そう、ぎこちなく笑う男の人がいた。
頑張り過ぎて───?
その言葉に顔が熱くなるような、血の気が引いて寒くなるようなそんな感覚に襲われ
「あ、あの、栞ありがとうございましたっ」
勢いよく頭を下げて、逃げるようにその場を後にする。
「こちらこそ受け取ってくれてありがとうございます」
遠くに聞こえる間の抜けた声に、あああああっと叫び出したいのをぐっと堪えて足を進める。
やっぱり先生があの人だなんて!
ああもう!
ぐるぐると頭の中を忙しなく駆け巡る思いを振り払うように、
「馬鹿って大きく書いたノート、机に突っ込んでおいてやる」
私はそんな決意をしたのだった。
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