memories:ペンタス
溢れかえるような蝉の声、照りつくような日差しが窓の外から差し込んで暑さが私を蝕んでいく。今年の夏は猛暑が続く。早く涼しい季節が来ればいいのにという想いと、高校生活最後の夏が終わってほしくないという想いが私の中で渦を巻く。
廊下に響く自分だけの足音。夏休み中の学校には生徒の気配はなく、私1人、世界から切り離されたような気さえする。誰かに、何かに、どこか縋るように視線を外へ向ける。窓の外に見える空はやけに近い。手を伸ばせば届きそうな気がして、無意識に伸ばしかけた手を───そっと握っておろした。
らしくない。そう言い聞かせるように胸の奥で唱えて視線を戻しかけたとき
「会長ぉ!」
遠く、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「会長、こっち~」
声の主を探すようにきょろきょろを視線を巡らせれば、中庭で手を振る手嶋の姿を捉えた。窓を開け、「夏休みに学校とは君も大変だな」と声を掛ければ「暇だったから遊びに来ただけ」とピースサインを添え満面の笑みが返される。
補習常連の彼が暇だったから、なんて───夏休みの課題はどうした。君のことだから終わってないんじゃないのか。
夏休み最後の日に慌てふためく彼の姿が容易に想像できて思わず苦笑してしまう。
「高校生活最後の夏だ。この夏は有意義に過ごした方がいいのではないかね」
最後の夏、自分の言葉が妙にズキンと胸の奥に刺さって、気づかれないように先程の苦笑にそっと隠す。
「会長……?」
少しだけ小首を傾げるように不思議そうな顔をした手嶋は、なにか言いかけて───はっとしたように空を見上げた。
真っ青な晴れ渡る空から、ぽつり、ぽつりと何かが落ちてくる。
「雨だ」
小さく呟いた。
「会長、雨だっ」
天を指さしはしゃぐその姿は、まるで仔犬のようで。少しずつ強まる雨脚など気にもしていない。
「わかったから、それ以上濡れる前にこっちに来なさい」
屋根のあるこちら側へ促すと少しだけ残念そうに駆けて来る。
「空晴れてるのに降ることもあるんだね」
小さく口を尖らせながら呟く手嶋に相槌を打ちながら「あぁ、狐の嫁入りだな」と返す。
「なにそれ」
キョトンとする手嶋に何処かで狐が嫁入り行列を作っているのを人目につかないように降らせる雨のことだと説明する。要は晴れているのに雨が降るという狐に化かされたような不思議な天気のことを言うのだと付け加えれば、感心したように「会長は物知りだな」と手嶋は大きく頷いた。
壁に寄りかかりながら、まだ少ししとしとと降り続ける空を見上げ
「狐、幸せになれるといいね」
そう告げる彼に「そうだな」と静かに言葉を返す。
弱まる雨を2人ぼんやりと眺めていると、思い出したように「あっ」と大袈裟な声を出し、ふいに手嶋が視界から消えた。何事かと窓枠から身を乗り出し覗き込めば、ニコニコと笑みを浮かべ「これがあった」と指差す手嶋がそこにいた。その指さす方へ視線を移せば、いくつものピンク色の花がこちらを向いていた。
「これ、ペンタスっていう花らしいんだけど、なんか星みたいな形してるじゃん? だから、流れ星になぞらえて花言葉は〝希望が叶う〟とかいうらしいよ」
「そうなのか。君は意外と物知りなんだな」
「へへっ、まぁ友達の請け売りなんだけどね」
気恥ずかしそうに笑った後、
「だからさ、これにお願いすれば狐も幸せになれそうじゃない?」
そういって手嶋は私の方を真っすぐ見つめた。そんな手嶋がなんだか眩しくて
「そう、だな」
ピンク色の花へと視線をずらした。
狐が幸せになれますように、そう手を合わせ花に願う手嶋の隣で、変わらない今を祈った。
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