memories:ナデシコ
6月だというのに真夏のような日が続いた。梅雨なんてものはきっともう今年は来ないのかもしれない。そう思っていた矢先の梅雨入り報道。途端に嘘みたいな寒い日が続いて、健康が取り柄だと思っていた私もその寒暖差には勝てなかったようで、くしゃみ、咳、鼻詰まりに寒気と見事なまでの風邪をひいてしまった。
布団を深く被りながら小さく息を吐く。
「……つまんない」
ぽつりと呟いた言葉は誰にも届くことなく消えていく。
体がだるくて動き回れないのと、ただただこの部屋に1人でいることが相まってなんだか世界から私だけ切り離された気さえする。
風邪にはちょっと人恋しくなる菌でも含まれているのだろうか。
───あぁ、今の私ちょっとめんどくさい。
身体を横向きにし、やることもないしと目を閉じ、気怠さに身体を預けようとしたときだった。
コンコン。
私の部屋をノックする音が聞こえた。
このまま微睡みを漂っていたくて返事をしないでいると、もう1度コンコン、とノックされる。
「……どうぞ」
仕方なく、掠れる声で招き入れれば「調子どうだ」とさして興味もなさそうな仏頂面の晴哉がのっそりと入ってくる。
「んー、寝てるだけでつまんない以外は特に問題はないかな」
「あ、そう。今日おばさんいないんだろ。母さんがお粥作ったから持って行けって」
「お、ありがと。おばさんの作るお粥、卵とネギが甘くて大好きなんだよね~」
鼻が詰まって匂いなんてさっぱりだけど、おばさんの作ってくれるお粥だけはたとえ鼻が詰まってようが優しい匂いが鼻を擽る気がする。
上半身をのっそり起こしていると「なぁアレって台所でいんだよな」と晴哉が話しかけてくる。
アレ? と働かない頭で言葉を巡らせて、ふと晴哉の手元に目がいき合点がいった。
「うん、台所。前と同じところにあるから」
「おう」
短く返事をして消えていく晴哉の後ろ姿を見送った。
晴哉家には家訓めいたお見舞いのルールがある。
「お見舞いには花束が当然だろ」
とはおじさんの言葉で、そんなしつけの元育った晴哉は疑うことなくお見舞いには花束持参の見事なまでのジェントルマンになったわけだ。絶対あれ、疑問すら抱いてない。しかも、子どもの頃はただおばさんに持たされていた花だけど、今は晴哉自身がその花も選らんで、自分のお金から出しているみたい。
私自身は滅多に風邪なんてひかないけど、他の人にもこんなことしてるんだろうか。けして安くはないそのお土産、嬉しい反面ちょっと申し訳ない気もする。少なくとも私のときはしなくてもいいのに。
そうこうしているうちに先程のアレ、花瓶を手に晴哉が戻ってきた。既にお見舞いの花束も活けられている。今日の花はナデシコらしい。薄ピンクの花弁の先が羽のように細かく分かれ、フワフワして可愛い。
「……あのさ、別に花束とかわざわざ買ってこなくてもいんだよ?」
私の勉強机の上に置いた花瓶の花を整えている晴哉に窺う様に声を掛けた。
男の子らしい節だった手に薄ピンク色の花。それが晴哉のものだと思うとなんだかミスマッチ過ぎてちょっと笑える。
「んなの今更だろ。子どもの頃からの習慣、そう簡単に変えられるかよ」
「でも晴哉のお小遣いから出してるわけでしょ。その分、別のことに使えばいいのに」
そう伝えれば、
「……なに、迷惑?」
と何処か拗ねたいみたいにこちらに背を向けた。
「別に迷惑とかでは……寧ろ嬉しいし。でも、なんか申し訳ない気がして」
「なら気にすんな。俺の勝手だろ」
それより早く飯食って寝ろ。
そういうと、晴哉は私のおでこに手を置いた。ちょっとひんやりとするその手に、私はそっと目を閉じてその冷たさに意識を向ける。
あ、この手なんか気持ちいい。
「ほらみろ、熱上がってんじゃねぇか。申し訳ねぇとかいう暇あったら、俺が見舞いに来ないで済むようそもそも風邪とか引くんじゃねぇよ」
言われてみればさっきよりも頭がぼうっとする気がするし、声を出すのが何となく億劫だ。通りで本来は温かいはずの晴哉の手を冷たいと感じるわけだ。
小さく頷いて、私はおばさんの作ってくれたお粥を口に運んだ。
「ありがとう、晴哉」
「とっとと食って寝ろ」
「うん」
ほんと、晴哉は分かり辛いけど優しいんだから。
私は小さく笑ってまたお粥を口に運んだ。
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